「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
ようやく(笑)近江八幡市を離れ、今回は彦根市をぶらぶら訪れております。
さて皆さん、大師(だいし)という言葉をご存知ですか?大師とは中国や日本に於いて高徳な僧に朝廷から勅賜の形式で贈られる尊称の一種です。
これまで日本では10宗派の高僧25人に大師の称号が朝廷より与えられました。でも一般的に「お大師さん」と言えば弘法大師、即ち真言宗の開祖・空海が圧倒的な知名度を誇っています。何せ『大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪わる』などという格言が残っている位ですからね(笑)。
弘法大師は庶民からの信奉が厚かったこともあり、全国各地にミラクルなエピソードが伝えられています。滋賀も勿論例に漏れず、拙ブログでもご紹介致しております。
今回そんなお大師さんの新たなエピソードを発掘して参りました。

彦根城の城下町西方。現在は住宅街ですが、かつて足軽屋敷が軒を並べていた場所に高野山真言宗 弘法大師堂があります。
県道2号(大津能登川長浜線)沿いには「まめ大師」と大きく書かれた矢印看板が設置されており、以前から気にはなっておりました。今回秘仏御開帳の情報を得ましたので、これを機会に奉拝することと致しました。
県道から繋がる参道は周辺の生活道路も兼ねており、道幅も駐車場も決して広くはないので、可能ならば軽自動車や小型車で訪れることをお勧め致します。弘法大師堂は庫裏と一体となった、こじんまりとした寺院というのが印象です。
近江新四国八十八第十番札所となっていますが、詳細は不明。江戸時代から明治時代に掛けて、四国八十八箇所霊場に代表されるように、庶民の間で巡礼ブーム巻き起こりましたので、その一種かと推察致します。

山門を潜り抜けて直ぐ左手に、水掛不動明王が祀られています。
水掛不動さんと言えば大阪の法善寺横丁に御座す、苔でモッフモフの水掛不動尊(西向不動明王)が有名ですね。因みに本来は「水を掛ける」ではなく「水を手向ける」、即ち“お供えする”という意味ですので、くれぐれもお間違いのございませんように。

関西在住の私たちにとって「お地蔵さん」のある光景は、至極日常的なこと。でも子供たちのイベントとして地蔵盆が行われたり、生活に密着して「お地蔵さん」が祀られていたりするのは、関西以外の方々にとっては奇異に映るのだそうですね。
関東甲信越の方々ならばむしろ、「道祖神さん」が私たちにとっての「お地蔵さん」に近い存在なのかも知れません。但しいくらお地蔵さんが子供たちに寄り添った存在とは言え、決して地蔵盆を「日本版ハロウィン」などと誤った解釈や説明をなされぬようお願い致します。
さて、いよいよ本堂にお邪魔致します。

弘法大師堂と銘打つに、正面に「お大師さん」が堂々と鎮座御座します。
これまで幾つかの真言宗の寺院を訪ねて参りましたが、宗派の開祖が御本尊として祀られているのは初めて遭遇しました。それだけ民衆に慕われていた証拠なのやも知れません。
それではようやく、今回御開帳となる秘仏・まめ大師尊のご縁起をお話し致します。
その昔、この寺院に少し風変わりな風体の僧侶が「宿を貸して欲しい」と言って突然訪れました。住職も「何とも変わったお方がお見えになられたものだな」と思いつつも、お迎えすることとします。程なくして何とも言えぬ有難いお声で読経され、その後「私は土佐國(現・高知県)からやってきた来ました。大阪に帰依してくれる方が居るので、正月の二日にはそこに行かねばならなりません」と仰るのです。
住職が「留守中、土佐のお寺はどうなさっているのですか」と尋ねると、「私の留守中は村の青年たちが番をしてくれているので少しも心配ない。私の寺には裏に細い滝があり、しばしば屋根の上に五色の雲がたなびいているので、お遍路さんが『あそこには何かご利益が有りそうだ』と言って、時折立ち寄っては拝んでいかれるのです」と申され、それから何と1週間も逗留されました。
その逗留中のこと。僧侶は信徒さんからの供物であった豆と米を「ちょっとおくれ」と言って奥の座敷に持っていかれました。住職が「何をなさるのだろう」と不思議に思っていると、旅立たれる前日、「この豆粒と米粒には、ここにお参りに来られる信心の方が、まめで達者で幸せに暮らせるようにとの秘法祈願を込めて書かせてもらったから」と、大豆に弘法大師様、観音菩薩様、地蔵菩薩様、不動明王様、稲荷神様の御影、いろは四十七文字。また米粒には弘法大師様、大黒様の御影、阿弥陀如来様の御名号(南無阿弥陀佛)が描かれた9つの大豆と米を渡されました。
他にも、この僧侶が雨の日に外出しても全く濡れずに帰って来たり、お見送りをすると何時の間にか御姿が見えなくなることがあったりと、実に不可思議なことが多々起きたそうです。そして約束の正月の二日になると、すうっと消えるように旅立たれてしまったのです。
知らぬ間に姿を消されたことを大層残念に思った住職は、後日四国遍路の巡礼に赴く方に、「土佐まで行ったら、裏に細い滝のあるお寺を探して、代りに御礼を述べて欲しい」と依頼しました。程なくしてお寺は捜し当てられましたが、誰もいる様子がありません。近在の住人に尋ねると、村の青年たちが持ち回りで番、掃除などをして世話をしているだけだとのこと。ただあるのは、 弘法様が祀られているだけ。「あの僧侶はここの弘法様だったに違いない」・・・住職はそう確信したそうです。
以後授かった豆粒と米粒はまめ大師尊と称し、秘仏として五年に一度の御開帳を厳修して大切に祀られています。そして、また無病息災・福徳長寿にご利益があるとして、信徒はもとより、近隣在郷の人々からも親しまれています。
『お大師さん』と豆のエピソードは、広島・厳島神社にも民話として伝えられていますが、趣は全く異なります。弘法大師の風変りと申しましょうか風来坊振りは往々にして一致しているのですが、全国に伝わるお話はその大半がウィットなテイストに満ちています。それ故、こちらに伝えられているお話は珍しい系統のように思えます。

令和3年はまさしくその5年に一度の御開帳の時期にあたり、去る10月21日から24日までの4日間、法要並びに秘仏公開。そしてワークショップや各種イベントが催されました。
小生も秘仏を奉拝致しましたが、経年劣化で風化が認められるとは言うものの、顕微鏡や拡大鏡な等といった文明の利器が存在しない時代に、このような極小のカンバスに如何様にしてかくも鮮やかな絵や文字が描けるものか・・・ご利益を願うことも忘れて見入ってしまいました(笑)。
なお御開帳という性質上、写真では秘仏をフレームアウトさせています。当日御朱印と散華を授与戴きましたので、そちらで雰囲気を味わって戴ければと存じます。実物は次回令和8(2026)年の機会に是非その眼で直接ご参拝ください。
住職の藤田さんは「真言宗は滋賀では圧倒的に規模の小さな宗派。それだけに少ない門徒さんや県外から転入されてきた信徒さんに寄り添った活動を心掛けています。今後も『お大師さん』のご加護でもって、世代を問わず地域に根差した温かみのある拠り所を目指していきたい」とお話しされてました。
後日まめ大師尊参拝の話を母に致しましたところ、母が小学生まで両親に連れられて御祈祷を受けていたと教えてくれました。世代から世代へ脈々と地域に根差してこられたのを改めて知り、また不思議な御縁を感じました。
今回の記事作成にあたり、 高野山真言宗 弘法大師堂 住職の藤田さんには多大なるご協力を賜りました。この場を借り厚く御礼申し上げます。
【取材協力】 高野山真言宗 弘法大師堂
#まめ大師尊 #弘法大師 #高野山 #真言宗 #御開帳 #水掛不動明王 #近江新四国八十八
・滋賀県彦根市栄町2丁目5-29
【TEL】 0749-22-5765
【駐車場】 あり(本堂前8台程度)

ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!