「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
本放送はお楽しみいただけましたでしょうか?
このブログはあんな感じの人間がつらつらと綴っております(^^)
今後ともご愛顧くださいますようお願い申し上げます<(_ _)>
ネタバレした滋賀エリアの皆様には「いまさら」感もございますが、もう暫くお付き合いくださいませ(関西エリアの皆様にはつまらない「国会中継」に化けてしまったことをお詫び申し上げます)。
さてはて、この彦根寺の運命やいかに・・・???
ご心配には及びません。流石は徳川四天王の誉れ高き名将、譜代中の譜代の家柄の「井伊家」。病弱であった直政の長男・直継に代り彦根藩第2代藩主となった次男・直孝(なおたか)は、彦根山にあった寺社全てを城下に移築して保護します。
芸能の神としても有名なこちらの彦根市京町に鎮座する千代神社もその1つです(当時は佐和山付近に移築されました)。
井伊家の前任地である上野國(こうずけのくに/現在の群馬県)は安中にあり、直孝と縁深き関係にあった北野寺に因み、彦根山彦根寺は名を金亀山北野寺と改めます。しかも彦根藩の祈願寺として維持管理の費用は幕末まで全て藩が負担し、手厚く保護されました。1795年に起こった彦根の大火で全焼しますが、第13代藩主・直中(なおなか)によって再建されます。
かつての彦根寺(現・北野寺)は現在、彦根市馬場1丁目のカインズホームセンター東隣にひっそりとたたずんでいます。以前はもっと広大な寺院で、南隣にある北野天満宮と一体となって一大「参詣スポット」を形成していたのですが、明治時代の「神仏分離令」により縮小された今の姿になってしまったとのこと。
藩の庇護のみで支えられていただけに明治以降はバックボーンを失い、かつての隆盛は見る影もありません。
残念ながら歴史書に記述のある高さ約6cmの金の亀に乗った観音は行方不明となってしまいましたが、北野寺には現在でも“金の亀に乗った観音さん”が安置されています(こちらはかなりのビッグサイズ!)。
御本尊は完全な秘仏で、寺に変事があった時に限られた関係者のみが拝謁を許されるのだと、ご住職の野路井邦充さんに伺いました(先代住職で野路井さんのお父上は生前一度も拝謁する機会を得られなかったそうです)。
でもその代わりに、こちらでは御本尊に瓜二つ(らしい)の前立仏(まえだちぶつ/平常公開されない秘仏の厨子の前に身代りとして安置され礼拝者にその尊容を偲ばせる仏像)がいらっしゃいますので、そのよすがを伺うことが出来ます。
本来なら前立仏も毎月18日の法要時のみの公開なのですが、今回特別に拝観させていただきました。私たちが連想する亀ではなく、むしろ古代中国の方角神で北の守護神である玄武(げんぶ)に近い印象です。
この北野寺はこんな街中にあって、実は修験道(山岳信仰)や密教と深い関わりがあるのです。境内には役小角(えんのおづぬ/飛鳥時代から奈良時代にかけての呪術者)を祀る堂があり、室町時代初期の作とされる“木造役ノ行者倚像”が安置されています。
また名の由来ともなった上野國・北野寺が、真言宗豊山派(ぶざんは)の総本山・長谷寺(はせでら/奈良県桜井市)と深い関係にあったことから、天台宗のお膝元である滋賀にあって非常に珍しい真言宗寺院なのです。よってここには立派な護摩壇(ごまだん/護摩を焚く炉を据える壇)が備えられています。ただ役行者が祀られている場所に護摩壇があるのは極めて稀で、修験と密教が融合した実に興味深いスポットでもあります。現在でも毎年8月に修験の護摩供が行われています。
さて前回、移転前の彦根寺を偲ぶものはな~んにも残っていないと申しましたが、実はほんのちょっぴり残っているのです(^^)v
彦根城の南側正面にある大手門口近くにある地蔵堂。ここは彦根城が築城される際に、山のあちこちにあったお地蔵さんを一箇所に集めて祀ってあるのです。
これが彦根山(金亀山)が巡礼の地であったことを物語る唯一の痕跡と言っても過言ではないでしょう。
築城の際、地蔵尊を始めとする石像が石垣造営に活用されることは決して珍しくありませんでしたが、彦根藩がそのセオリーに反して敢えてこのように合祀したことに、井伊家の信仰心の高さを伺わせます。
ちなみにこの地蔵堂には願い石というものがあります。京都の伏見稲荷大社にある「おもかる石」と同じようなもので、「願いが叶うと軽く、願いが叶わないと重く感じる」モノです。
願い石は3つありますが、これまで多くの人々の願いを見届けてきたせいか、表面はとてもツルツルテカテカです!
伏見のお稲荷さんのように参詣者でごった返していませんから、お忙しさに対しての“精度”的には狙い目?・・・かもしれませんね。
さ~て、キャスターの田中さんは軽く感じられたのでしょうか?それとも・・・(笑)。
もう1つ、彦根市城町には連着町の腹痛石というものがあります。
かつてここは連着町(れんじゃくまち)と呼ばれ、巡礼に訪れた多くの人々が彦根山に登る前にここで連着(荷物を背負うための道具)を解き、道端の石に腰掛けて休んでいたようです。
彦根山が巡礼の地であった記憶が次第に薄れ、露頭の腰掛け石も次々と失われていったことから、代々の古老たちが平安時代から存在する唯一のメモリアルとして残すため、いつしかこの石を腹痛石と呼び、触ると腹が痛くなるといい伝え残してきたものです。
額面通り伝説に倣えば「触っても腹は痛くならない」ハズですが・・・保証は致しません(>_<)
そしてこちらは補足。北野寺と同じ金亀山の山号を持つ寺院がもう1箇所あります。それが彦根市栄町にある聞光寺(もんこうじ)です。
正確な位置は不明ですが、かつて彦根城築城前は彦根山にあり、門甲寺と称する天台宗の寺院でした(現在は浄土真宗)。 なお聞光寺には平安時代のものとされる扁額(へんがく/寺社等の建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される看板)が伝えられています。
彦根城の観音台や地蔵堂、北野寺や腹痛石もメインの観光ルートからは外れますが、「国宝・彦根城築城400年祭」「井伊直弼と開国150年祭」が終わり、“ひこにゃんブーム”も一段落した今、「彦根の黒歴史めぐり」をするのも結構オツなもんですよ(^^)v
現代の「行政代執行」とは “月とスッポン”のお話でございました<(_ _)>
僅か5分の放送では伝え切れなかったエピソードを2週に渡りご紹介いたしました。TVと比較していかがでしたでしょうか?関西エリア以外の方にはご覧いただけなかった映像を、機会がございましたらこちらで公開したいと考えております。
さてさて今回も最後に街角風景を1つ。
キャスターの田中さんから「人気ブロガーが教える彦根の“ツウ”な楽しみ方の締めに相応しいスポットを!」との突然の要請に悩んだ挙句、1つのお店を選びました。
こちらは創業1954(昭和29)年にして彦根の洋菓子店の先駆け。50年以上に渡り彦根市民に、お菓子で夢を与え続けてくれる老舗、三中井(みなかい)です。
私が幼少の頃、生クリームでしかもホールのケーキを販売していたのはこのお店が唯一の存在で、毎年誕生日にここのバースデーケーキを買ってもらえるのが嬉しくてたまりませんでした(^^)v
特にオリンピアという名のロールケーキ(1,575円)は絶品で、あっさり味の生クリーム・しっとりしたシュークレープ・てんこ盛りのピーチのコラボレーションは、子供からご年配まで幅広い層に受け入れられるテイストとなっています。
今回三中井さんには突然の取材の申し出にも快く受け入れていただきました。むしろお店のスタッフの方と、昔のケーキ談義に花が咲いたほどです(^^)
そして本当に本当の最後にご紹介したいことを1つ 。
今回の取材に全面協力いただいた北野寺のご住職、野路井さん。実は真言密教の寺院のご住職のイメージとはかけ離れた特技をお持ちなんです。
こちらの写真のペーパークラフト、実は野路井さん即興のお手製なんです。しかも取材に同行した娘にこんなにたくさん作ってくださいました。
なお現在野路井さんがコンセプトにされているのは「気持ち悪い生物」なんだそうです(笑)。驚いたのは、今回取材いただいたNHK大津放送局の『おうみ探検隊』に既にご出演済みの大先輩なのです!
『おうみ探検隊』の出演者が偶然にもコラボしたのは初めてのことだったようです(^^)
今回の番組制作並びに取材協力いただきましたNHK大津放送局/大阪放送局の関係者の皆さん、キャスターの田中美紗貴さん、カメラマンさん、音声さん、ドライバーさん、北野寺住職の野路井邦充さん、彦根城管理事務所の皆さん、三中井のスタッフの皆さん、そして全面協力してくれた家族のみんな。この場を借りまして厚く御礼申し上げます、本当に有難うございました。
◆彦根城
・滋賀県彦根市金亀町1‐1
・TEL.0749-22-2742(彦根城管理事務所)
・営業時間/8:30~17:00・年中無休
・入場料/大人600円・小中学生200円
◆北野寺
・滋賀県彦根市馬場1丁目3-7
・TEL. 0749-22-5630
◆三中井
・滋賀県彦根市本町1丁目6-28
・営業時間/9:00~19:00・不定休
・TEL. 0749-22-5953

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