Category Archives: 浪漫回廊紀行

園城寺夜話(12)“残照・馬場町遊廓”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>  

 

今回の園城寺夜話は、馬場町遊廓(ばんばちょうゆうかく)についてご紹介したいと存じます。

 

馬場町遊郭(1)西日本最大級の歓楽街としてその名を欲しいままにした雄琴(おごと)が大津に位置することは今でも多くの人が知り得るところ。

 

しかし、かつて大津に国内屈指の規模を誇る遊廓(ゆうかく/公許の遊女屋を集め周囲を塀や堀などで囲った区画)が戦後間もない頃まで存在したことは以外と知られていません。

 

この地に遊廓が設けられた確たる時期は判然と致しませんが、大津宿に隣接して、江戸時代初期に現在の長等3丁目辺りに整備されたものと思われます。

 

延宝6(1678)年に藤本箕山によって著された『色道大鑑』によれば、遊廓は全国で25箇所存在し、ここはそのうちの1つとされています。

 

とはいえ「東海道の宿場町・大津に隣接しているとはいえ、何故園城寺の門前町に?」という下衆な勘繰りをせずにはいられません。

 

馬場町遊郭(2)またこの界隈は柴屋町(しばやまち)とも呼ばれ、柴屋町遊廓とも称しました。

 

その他にも大津宿周辺には、真野(長等1丁目)・四の宮(京町3丁目)・稲荷新地(松本2丁目)にも遊里は存在しました。

 

ですが、井原西鶴の『好色一代男』にも登場するこの遊廓は、当時“東の吉原、西の柴屋町”とも言われる程の格式と隆盛を誇っていたようです。

 

街の東西南北の入口に大門を設け、最盛期には廓内に約30軒の遊女屋が存在しました。

 

馬場町遊郭(3)明治以降、芸娼妓解放令の発令、内務省令娼妓取締規則の制定、そして大東亜戦争後のGHQの公娼制度廃止と様々な規制が発せられるものの、バーやスナック、料亭などと看板を変え、遊廓はほぼそのまま赤線の通称で呼ばれて存続しました。

 

 

しかし、昭和33(1958)年4月1日に施行された売春防止法。昭和46(1971)年に開業したトルコ風呂(現在のソープランド)“花影”を皮切りとする雄琴温泉の風俗街化が、この花街の衰退を決定的なものとしてしまいました。

 

流石に江戸時代の建物は残っていませんが、近世から近代へと移行した時期の花街の情景を今でも色濃く残しています。

 

かつて大津スチームバスセンターというソープランドが存在し、花街の残り香的存在として君臨していましたが、近年廃業し、現在は料理屋が建っています。

 

馬場町遊郭(4)格式高い花街として隆盛を誇った馬場町遊廓も、都市開発の波に押され、そのよすがは今や風前の灯です。

 

遊廓・遊里・花街の話題はとかく忌むべきものとして排除されがちですが、かつての日本の文化の一端としてその足跡だけでも残して欲しいと思うのは小生だけではないと思います。

 

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園城寺夜話(3)“What’s 三井古流煎茶道?”

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今回の園城寺夜話は前回お伝えした閼伽井にも縁の深い、三井古流煎茶道(みいこりゅうせんちゃどう)についてご紹介したいと存じます。

 

三井古流施茶案内さて皆さん、煎茶道ってご存知ですか?

 

茶道といえば一般的には抹茶を用いる抹茶道のことを指しますが、実は煎茶を用いた茶道もあるのです。

 

煎茶道のルーツは中国文化に由来しますが、日本では江戸時代初期に禅宗の一派である黄檗宗(おうばくしゅう)の開祖・隠元隆琦(いんげんりゅうき)が始めたとされます。現在でも全日本煎茶道連盟が黄檗宗の総本山・萬福寺(京都府宇治市)に設置され、連盟の会長は萬福寺の管長が兼務することが慣習となっています。

 

形式に囚われず煎茶を飲みながら清談を交わすというカジュアルなスタイルが、茶道の世界において形式化が進みつつあったことへの反発もあって、文人たちや江戸・京都・大坂を中心とした上流階級の間で急速に普及しました。

 

園城寺宝寿院・三井古流煎茶道本部江戸時代後期、文化・文政の頃。

 

園城寺に壷井軒(つぼいけん)という年老いた居士(こじ/出家をせずに家庭において修行を行う仏教の信者のことで千利休が代表例)が住むようになり、悟りを開いて真理を会得することに精進。

 

三井の霊水(閼伽井)をすくって金堂に奉安する弥勒菩薩に献茶し、また参詣の善男善女にも茶を振る舞っていました。これが三井古流煎茶道の始まりであるといわれています。

 

明治・大正期に入ると文明開化の潮流の中で西洋文化がもてはやされ、中国文化に由来する煎茶道は一時衰退を余儀なくされます。しかし昭和、特に大東亜戦争終結後に入り煎茶道復興の動きが各地で活発となり、1960~70年代には隆盛を極めました。

 

三井古流茶道具近年は煎茶の大衆化が進行したことにより煎茶道への関心は薄れつつあり、現在その動静は停滞しています。そのような理由もあって、煎茶道の知名度が低いのかも知れません。ですがそんな時代の流行り廃れに流されることなく、三井古流煎茶道では独自の流儀を保ち、今でも閼伽井で水を汲み、毎日金堂に献茶し、参詣者に煎茶道の愉しみを伝えています。

 

上の寫眞でもお解り頂けるかと思いますが、我々が見慣れている茶道具とは趣が全く異なります。抹茶道の作法とは全く異なるので少し戸惑いますが、一般の方々へのお点前ではスタイルをとやかく言われることはありませんので気軽に体験することが出来ます。

 

金堂から参道を南へ約300m下ったところに、三井古流煎茶道本部が置かれている宝寿院があります。ここで煎茶道を体験することが可能です。でもこの入口の風格に、敷居の高さを感じるのは致し方無きこと。

 

三井古流青山茶会そこで三井古流では、広く一般に開放して煎茶道に親しんでもらおうという行事を桜が満開となる4月、金堂と宝寿院の中間点にある唐院の敷地内で催されます。それが三井古流青山茶会です。    

 

通常宝寿院の茶室で施茶されるものを、気軽に屋外で体験して貰おうという年に1回のイベントです。毎年実施日が異なりますし、たった1日のみの行事ですので、興味のある方は事前に問い合わせされることをおススメ致します。

 

小生もまだ一度しかお点前に参加したことがなく、その時は“何が何やら”の状態でしたので、今度施茶戴く際はじっくりとその神髄に浸ってみたいと思います(^^)

 

園城寺宝寿院 三井古流煎茶道本部

・滋賀県大津市三井寺町246
【TEL】 077-522-9580

 

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園城寺夜話(1)“二つの総本山”

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今回から園城寺夜話(おんじょうじよわ)と題しまして、園城寺並びに門前町にまつわるエピソードを展開して参ります。 

 

園城寺大門(仁王門)まずは序章としまして、園城寺について簡単にご紹介したいと存じます。

 

 

園城寺とは滋賀では勿論、国内でも屈指の古刹の1つなのですが、一般には通称である三井寺(みいでら)の名で知られています。

 

 

最澄(伝教大師)を開祖とする天台宗の寺院なのですが、実は天台宗には総本山(俗に民間企業で言うところの本社)が2つ存在するのです。  一般的に知られる比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)と、ここ園城寺なのです。

 

正確に申しますと延暦寺が天台宗山門派、園城寺が天台宗寺門派となり、教義のルーツは同じくするものの宗派が異なるのです。分派の経緯は全く異なりますが、浄土真宗で言うところの東/西本願寺に分かれているような感じでイメージして戴ければ良いかと存じます。

 

園城寺金堂かつては延暦寺とは激しい対立関係にあり、互いの宗徒や僧兵による争いは絶えず、室町時代末期迄に大小合わせて実に50回近く焼打ちに遭っています。

 

また理由は定かではありませんが豊臣秀吉の逆鱗に触れ、寺領を没収され廃寺寸前までに追い詰められたこともあったとか。その度に奇跡の復活を遂げてきたので、不死鳥の寺とも称されていました。

 

いつも思うことなのですが・・・宗教的対立は今の時代にも形を変えて存在しますが、開祖・宗祖のただひたすら衆生を救うという崇高な教えが、なぜこうも人間の我欲剥き出しに対立の構図を生むのか不思議でなりません。    

 

そして日本三不動の1つに数えられる黄不動の寺院としても知られています。但し、原則非公開の秘仏ですので滅多にご尊像を拝することは出来ません。小生も残りの高野山明王院の赤不動、京都・青蓮院門跡の青不動は参拝の栄華を得ることが叶いましたが、県内に在住していながら未だ黄不動にはお目に掛かれません。それ程「近くて遠い」存在なのです。

 

今から4年前の平成26年、宗祖・智証大師生誕1200年慶讃大法会(10月18日~11月24日)が奉修され、その際期間限定(11月21日~11月23日)で国宝・金色不動明王像(黄不動尊)が公開されたのですが、それには結縁潅頂会(:けちえんかんじょうえ/出家・在家を問わず広く信者が仏縁を結ぶために潅頂壇に入り、曼荼羅の諸尊像に華を投じてその人の守り本尊を得るための密教儀式)に参加するという条件をクリアせねばなりませんでした。しかし・・・その志納金が10,000円・・・信心のためとは申せ、平民にはかなりハードル高いです(T_T)

 

果たして何人の方がこの高いハードルを越えられたのでしょうね?

 

ではこの序章の最後を締め括るお話を1つ。何故、園城寺のことを『三井寺』と呼ぶのか?

 

実は現在の“天台寺門宗の寺院”としてのスタートは平安時代中期ですが、そもそものルーツは飛鳥時代後期に大津京を造営した天智天皇の孫にあたる大友与多王(おおとものよたのおおきみ)が、父・大友皇子(弘文天皇)の菩提を弔うため、資材を投げ打って建立したものと伝えられています。

 

園城寺閼伽井屋そこに涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから御井(みい)の寺と呼ばれ、それが転じて三井寺となったと言われているのです。

 

その三井寺の由来となった井戸の閼伽井屋(あかいのや)は今でも現存しており、清水がコンコンと湧き出ています。

 

言い伝えや俗称が本来の名称よりも一般に流布した、極めて稀なケースと言えるでしょう。

 

長等山 園城寺 (三井寺)

・滋賀県大津市園城寺町246
【TEL】 077-522-2238
【Web】 http://www.shiga-miidera.or.jp/

 

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湖國紅葉めぐり“隠れ”名所選

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滋賀の紅葉は例年よりも早く見頃が訪れそうな様相です。冬支度もそろそろ始める時期ともななりつつありますね。“おでん”が恋しい季節でもあります(*^_^*)

 

皆さん、紅葉狩りにはもうお出掛け、もしくは予定はお決まりになられましたか?今年も異常な猛暑だったせいか、色付きがとても鮮やかに感じます。

 

滋賀の紅葉スポットと言えば、湖東三山(西明寺・金剛輪寺・百済寺)”“永源寺”“日吉大社”“比叡山延暦寺といったところがメジャーではないでしょうか。でも一番のネックは、そう“人出”ですよねぇ。晩秋の季節感を楽しみたいけれども、クルマが大渋滞。おまけに人でごった返すのはちょっと・・・と二の足を踏まれる方も多いのではないでしょうか。

 

そこで今回は小生が取材で(たまたま)知り得た場所で、観光客も比較的少なく、紅葉をゆっくりじっくり堪能できるスポットを特別に3箇所ご紹介致します(^^)

 

今からでも未だ未だ十分間に合いますし、来年への参考として頂くのも結構かと存じます。

 

◆太郎坊宮
 (東近江市小脇町)

 

標高350mの赤神山(あかがみやま)の中腹にある神社です。

 

地元の方には“太郎坊さん”の名で親しまれています。

 

近江鉄道からも、国道421号からでも、山に剥き出しの巨岩・怪石が一際目立ちますので直ぐ確認出来ます。

 

麓から740段の階段を登って本殿へ向かうことも可能ですが、クルマで自動車道を利用して中腹にある駐車場から入山されることをおススメします。

 

参道の紅葉も去ることながら、本殿から望む旧八日市エリアの眺望は絶景です。

 

ちなみに勝運・厄除・開運・商売繁盛に御利益があるそうですよ。

 

 

 

 

◆瓦屋禅寺
(東近江市建部瓦屋寺町)

 

標高372mの箕作山(みつくりやま)の山腹にある臨済宗の寺院です。

 

東側にある旧表参道からハイキングすることも可能ですが、林道延命線をクルマで利用されることをおススメします(太郎坊宮の自動車道からも来訪可です)。

 

まさにここは寂静の世界。鳥のさえずりと風の音のみで、不思議と下界の雑音は一切聞こえません。

 

ちなみにこの寺院は聖徳太子が四天王寺を建立するため、この地で10万8,000枚の瓦を焼きましたが、その瓦を管理するため建立したと伝えられています。

 

「“瓦”を冠する寺の本堂が“茅葺(かやぶき)”とはこれ如何に」というツッコミは無しということで(^^)

 

 

◆猪子山公園/北向岩屋十一面観音
(東近江市猪子町)

 

こここそ地元の方のみぞ知る裏スポット。JR琵琶湖線・能登川駅から南方へ約1km、標高268mの猪子山(いのこやま)にあります。

 

猪子山公園は麓に、北向岩屋十一面観音は山頂に、その他山中には100基を超える古墳と巨石祭祀の遺構が点在します。

 

クルマで登れる林道もありますが、狭くて傾斜がキツく、おまけにヘアピンカーブの連続となっておりますので、運転技術に自信のない方にはおススメいたしません。

 

北向岩屋十一面観音から望む琵琶湖の眺望は圧巻です。手前に見える湖は“伊庭内湖(いばないこ)”です。

 

ちなみに地元のアベック・・・いやいやカップルが夜景を楽しむスポットになっている・・・らしいです(*^_^*)

 

私が出向いた時は、オジさま1人☓2回&オバさま2人組☓1回とすれ違っただけでした(^^)

 

最後に1点だけご注意を。

 

何れのスポットも訪問に際し何かしらの“難点”がございます。決してご無理をなさいませんよう、くれぐれもお気を付けあそばしませ<(_ _)>

 

それでは皆様、よい紅葉めぐりをお愉しみください(^^)v

 

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天空の里山紀行(12) “向之倉集落”

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滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。最終回は犬上郡多賀町の向之倉(むかいのくら)集落をご案内致します。

 

向之倉集落011874(明治7)年に滋賀県に編入されて向之倉村に。

 

1889(明治22)年町村の再編に伴い、芹谷村へ編入されます。

 

最終的には1941(昭和16)年多賀町に併合され現在に至ります。

 

向之倉は芹川上流南岸、標高約350mのカルスト(石灰岩地形)山地の北斜面にある山村です。

 

向之倉集落02田地はなく、主に林業・製織業に従事し、薪炭や杉板、麻布の絣(かすり)などを生産して生計を立てていました。

 

戦後過疎化が急速に進み、1970(昭和45)年には完全に廃村となりました。現在、村としての名残が消滅、森に還りつつある状況にあります。

 

さてこの向之倉には他に神秘的なものが存在します。それは井戸神社のカツラです。

 

井戸神社のカツラ境内の中央にあり、樹は独特の株立ちで大小12本の幹が株立ちしてそびえています。幹周11.6m×樹高39mもの大きさは、県下最大の巨木の地位を誇ります。

 

カツラの根元には小さな池のような井戸があり、神秘的な色の水面をたたえています。成長に大量の水を必要とするカツラが今日こうしてあるのは、この井戸のお陰かも知れませんね。

 

樹齢は400年以上と推測され、2002(平成14)年4月には多賀町指定の天然記念物に選定されました。またここには白蛇にまつわる伝説も言い伝えられています。

 

12週連続でお届けして参りました天空の里山紀行は、今回をもちまして無事終幕とさせて戴きます。長きに渡りご来訪ご高覧賜りまして、誠に有難うございました<(_ _)>

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 MT TRADING

 

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天空の里山紀行(11) “栗栖集落”

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滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。第11回は犬上郡多賀町の栗栖(くるす)集落をご案内致します。


栗栖集落1874(明治7)年に滋賀県に編入されて栗栖村に。

 

1889(明治22)年町村の再編に伴い、西隣の久徳(きゅうとく)村へ編入されます。

 

最終的には1941(昭和16)年多賀町に併合され現在に至ります。

 

『限界集落』と呼ぶに未だ深刻度は低いと感じる集落の栗栖を取り上げることに些か迷いもございましたが、天空の里山廃村群への玄関口ということで、今回敢えてご紹介致します。

 

飛の木橋栗栖は西流する芹川が平地に出る谷口に位置する農村です。

 

流石に平野部だけあって米作が盛んで、他に麻布の絣(かすり)なども生産していました。

 

また旧脇ヶ畑村へアプローチする幹道の入口(飛の木橋)としても機能していました。

 

栗栖の名はその昔、「お伊勢お多賀の子でござる」と謳われるように、伊勢神宮の親神として知られる伊邪那岐尊(イザナギノミコト)・伊邪那美尊(イザナミノミコト)が多賀へ降臨する際、「ああ苦しい」と山麓の栗栖で休憩されたことに由来するのだとか。

 

調宮神社その休息の地が現在の調宮(つつみや)神社であると伝えられています。

 

この周辺では比較的規模の大きい集落ですが、それでも人口は最盛期に比べれば半分以下にまで減少し、過疎化と高齢化が進行しています。

 

 

2013(平成25)年3月の完成を目指して『栗栖治水ダム』がこの地に計画(後に上流の水谷に変更)されましたが、事業自体が中止となり、幸か不幸か集落の静観は保たれました。

 

西村商店(平成12年当時)さてこちらの茅葺屋根が特徴の建物は、平成10年代初頭までここから山間地に掛けて唯一の商店であった旧・西村商店

 

凡そ100年前に創業されたこの商店。3代目のご当主は早くにお父様を亡くされ、女手ひとつで店舗と家庭を切り盛りされていたお母様と二人三脚で、このお店を守り続けてこられたとのこと。

 

日用雑貨から生鮮食料品まで、充実のラインナップで周辺住民の生活を支えてこられました。かつては買い物が不便な山間の集落や、後谷鉱山の社員寮にも配達サービスを行っておられました。

 

西村商店店内(平成12年当時)残念ながらご当主が高齢のため店を畳まれましたが、世帯毎の『掛売帳』が廃業直前まで現役で、昔ながらの信用商法が機能していたのには正直驚きました。

 

閉店後、建屋の維持や屋根の補修が限界の状態に陥り、解体されることが決定。

 

しかし特定非営利活動法人・彦根景観フォーラムと滋賀県立大学の学生が中心となって保存に向けた活動が展開され、昨年秋には屋根の葺替えが行われました。いつまでも近代日本に於ける山間集落の歴史の生き証人として、姿を止めてほしいですね。

 

なお栗栖は準過疎地域であり、廃村ではございませんのでご注意ください。

 

次回もお愉しみに(^^)

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 西村商店 MT TRADING

 

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天空の里山紀行(10) “大佛次郎の足跡”

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滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。第10回は前回ご紹介致しました桃原集落に纏わる、ある文豪のエピソードについてご案内致します。

 

大佛次郎その文豪とは大佛次郎(おさらぎ・じろう)のこと。大正・昭和期に活躍した小説家です。

 

新聞小説・時代小説・現代小説・戯曲・ノンフィクション・童話などその類稀なる才能を余すところなく発揮。特に『鞍馬天狗』『赤穂浪士』『パリ燃ゆ』『天皇の世紀』などといった歴史小説は秀逸で、現在でも彼の作品には熱烈なファンが存在します。

 

その大佛次郎が折りに触れ執筆し、深い教養と批判精神に裏打ちされた彼の闊々とした人格の魅力を最もよく表現している随筆&歴史紀行集『大佛次郎随筆集』の「今日の雪」のくだりに、この桃原が登場するのです。

 

桃原集落04.1967(昭和42)年。新幹線に乗車していた彼は、ほんの気まぐれで米原駅を降り立ち、おもむろに多賀大社へと足を運びます。

 

その際利用したタクシーの運転手から『山奥の寒村』の話を耳にし、興味を持った彼はこの桃原を訪れます。

 

風光明媚な故郷・横浜の暮らしに慣れた彼にとって山奥の寒村は『桃源郷』のような幻想を抱いていたのですが、その現実とのギャップに大きなショックを受けます。

 

大佛次郎随筆集記念碑しかしある老婆との出逢いが、彼に様々な場所でのそれぞれの人生というものの持つ重みを痛切に感じさせたのです。

 

そんな大佛次郎の足跡をたどり、ここでの彼の心情に思いを馳せながら訪ねてみるのもまた一興ではないでしょうか。ちなみにこの記念碑は集落の入口にひっそりと佇んでいます。

 

次回もお愉しみに(^^)

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 MT TRADING

 

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天空の里山紀行(9) “桃原集落”

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滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。第9回は犬上郡多賀町の桃原(もばら)集落をご案内致します。


桃原集落011874(明治7)年に滋賀県に編入されて桃原村に。

 

1889(明治22)年町村の再編に伴い、芹谷村へ編入されます。

 

最終的には1941(昭和16)年多賀町に併合され現在に至ります。

 

桃原は芹川上流南岸、標高約320mのカルスト(石灰岩地形)山地の北斜面にある山農村です。

 

桃原集落02田地は少なく、主に柿・茶・ゴボウ・繭・薪炭・杉板・麻布の絣(かすり)などを生産して生計を立てていました。

 

桃原の名は室町時代末期より文献に現れ、豪族・京極政高が南方の阿弥陀峰に桃原城を構えたとあります。

 

比較的大きな集落であったことから、1889(明治22)年に芹谷村の一部になった際にはここに村役場が設置されました。

 

桃原集落03しかし戦後過疎化が急速に進み、今となっては往時の隆盛の面影はありません。

 

ただ立派な民家が数多く残り、また村を離れたかつての住人が定期的に訪れることから、村は比較的良好な状態で保たれています。

 

 

さらにここには昭和10~30年代まで、県内のスキー場の草分け的存在であった多賀(桃原)スキー場がありました。

 

桃原集落(日吉神社)1933(昭和8)年に開設され、近江鉄道や地元によるヒュッテ(山小屋)や冬季のみの民宿が運営されていました。

 

往時は県内はもとより大阪や京都等からもスキー客が来訪。小学生のスキー教室にも活用され、県内屈指のウインタースポーツの拠点として隆盛を極めていました。

 

昭和30年代当時の多賀(桃原)スキー場戦後高度成長期に差し掛かると周囲にも大規模なスキー場が次々と整備され、また積雪量も年々減少の一途をたどり閉鎖を余儀なくされました。

 

跡地には杉が植林され当時を偲ぶよすがはなく、今となってはその存在すら人々の記憶からは失われてしまった感があります。

 

なお桃原は廃村直前の過疎地であり、完全な廃村ではありませんのでご注意ください。

 

次回もお愉しみに(^^)

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 関西滑雪同友会 MT TRADING

 

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天空の里山紀行(8) “河内山女原集落”

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滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。第8回は犬上郡多賀町の河内山女原(かわちあけびはら)集落をご案内致します。


河内山女原集落011874(明治7)年に河内山女原村・河内宮前村・河内中村・河内下村の四ヶ村が合併して河内村に。

 

1889(明治22)年に水谷・桃原・向之倉・甲頭倉・後谷・屏風・霊仙の七ヶ村と合併して芹谷村の一部となります。そして最終的には1941(昭和16)年多賀町に併合され、現在に至ります。

 

河内は霊仙山の南西より発する芹川の上流渓谷に隣接する、標高200~240mの農村です。田地は少なく、主に林業(木材・薪炭)で生計を立てていました。その他、茶や牛蒡も生産し京都に出荷していました。特にここでも『多賀ゴボウ』の生産が盛んで、香味の良い牛蒡であることから特に珍重されたそうです。4つの集落で形成され、最盛期には合わせて400人を超える人口を有しましたが、現在常時在住するのは30人を下回り、子供の姿が消えて久しく高齢化が急速に進んでいます。

 

河内山女原集落02河内山女原は河内集落の最東端に位置し、芹川源流の1つ、権現谷(ごんげんだに)河畔にある集落。河内の中では唯一本川から外れています。山女原は妛原とも表記し、「あけんばら」とも称します。

 

他の集落に比べ平地が広く、また山が開けた地形ではありますが、最も標高が高いゆえ、冬季は積雪で「陸の孤島」と化したといいます。

 

この集落で特徴的なスポットと言えば、地元でも化石採集の場所としても有名な権現谷(ごんげんだに)です。

 

権現谷三重との県境近くにあるアサハギ谷・白谷が合流して、芹川に合流するまでの約3.5kmの渓谷が権現谷です。

 

霊仙山系付近や旧脇ヶ畑村(現・多賀町保月/杉/五僧)一帯に発達するカルスト山地の平坦面を開析する渓谷で、永年の激しい浸食作用により崩壊地形を形成したものです。

 

垂直にそそり立つ岩壁に挟まれ谷底には巨石が累積し、平水時に谷の水は巨礫の間を伏流しているなど、なかなか壮観な・・・というより『死の谷』の様相を呈しています。

 

権現谷の名は昔、修験者が権現様を祀ったことに由来し、現在でも住人により「口の権現」「奥の権現」が祀り継がれています。

 

元行者窟また関西圏でも有数の化石の産出地としても知られ、今までに三葉虫・ウミユリ・サンゴ・フズリナなどが発見されています。こんな山奥でも約2億8000万年前は、ここが海の底だったという証拠ですね。

 

さらにここは「犬戻り」の谷と呼ばれ、余りの険しさに犬も戻ってくると言われる程の難所でした。それが証拠に現在ここを通る権現谷林道は、1942(昭和17)年に起工され、完成するまで何と40年の歳月を費やしたとのことです。現在でも落石が激しく、除去作業が繰り返されています。

 

次回もお愉しみに(^^)

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 MT TRADING

 

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天空の里山紀行(7) “河内宮前集落” 

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。第7回は犬上郡多賀町の河内宮前(かわちみやまえ)集落をご案内致します。

 

河内宮前集落011874(明治7)年に河内山女原村・河内宮前村・河内中村・河内下村の四ヶ村が合併して河内村に。

 

1889(明治22)年に水谷・桃原・向之倉・甲頭倉・後谷・屏風・霊仙の七ヶ村と合併して芹谷村の一部となります。

 

そして最終的には1941(昭和16)年多賀町に併合され、現在に至ります。

 

河内宮前集落02河内は霊仙山の南西より発する芹川の上流渓谷に隣接する、標高200~240mの農村です。

 

田地は少なく、主に林業(木材・薪炭)で生計を立てていました。

 

その他、茶や牛蒡も生産し京都に出荷していました。

 

特にここでも『多賀ゴボウ』の生産が盛んで、香味の良い牛蒡であることから特に珍重されたそうです。

 

八幡神社4つの集落で形成され、最盛期には合わせて400人を超える人口を有しましたが、現在常時在住するのは30人を下回り、子供の姿が消えて久しく高齢化が急速に進んでいます。

 


河内宮前は河内集落の中心部に位置し、最も拓けた集落です。

 

集落の地名は河内の氏神様である八幡神社の門前ということに由来します。かつては彦根駅からここまで近江鉄道バス河内線が運行され、霊仙山登山のハイカーで賑わっていた時代もありました。


河内の風穴この集落随一の観光スポットと言えば、河内の風穴(かわちのふうけつ)です。

 

霊仙山系のカルスト地帯(鈴鹿山脈北部霊仙山山塊石灰岩地帯)に出来た石灰岩の洞穴で、古くは『河内の窟(いわや)』と呼ばれた関西圏はおろか国内でも屈指の鍾乳洞です。

 

4層構造で総延長は約10,020mで国内第3位の長さを誇ります。総面積は1,544m2。。その生成は約55万年前とされ、昭和34(1959)年には県の天然記念物にも指定されています。

 

エチガ谷またコバヤシミジンツボという僅か1mm程度の小さな巻き貝の世界で唯一の生息地として、環境省が定める『日本の重要湿地500』にも選定されています。風穴の内部の気温は摂氏11~13℃で、公開されているのは1・2層のみ。特に第1層は入口の狭さからは想像を絶する広大な洞内に感動を覚えること間違いなしです。かつて村人がここに犬を4匹放したら、うち3匹が三重県の伊勢で発見されたという逸話が残っています。

 

風穴への遊歩道の途中には滋賀でも屈指の湧水清流・エチガ谷が流れており、ここの景観に魅せられたプロの写真家が時折撮影に訪れるそうです。『心と身体の癒し』にはもってこいのスポットです。

 

ちなみに河内の風穴入口にある八幡神社の鳥居前に見慣れぬ物体を発見!!

 

芹谷二宮金次郎何とそこには二宮金次郎像。

 

何故こんなところに?・・・と首をかしげている小生にお声掛け頂いたのが河内観光協会の管理人さんでした。

 

管理人さんは代々の遺業を受け継いで、河内の風穴の管理をされているそうです。

 

この金次郎像はかつて河内の某有志が芹谷分校に寄贈されたものなのだとか。

 

しかし廃校によりここへ里帰りし、いつしか子供の学業成就を願う信仰の対象として、知る人ぞ知る存在になったそうです。

 

河内観光協会売店その他、河内にまつわる色々なお話をご教授頂きました。「夏場は非常に混雑しますが、9月以降は比較的ゆっくりと散策していただけます。残暑しのぎの節は是非どうぞ」とのことでした。

 

【入場料金】     大人500円  小人300円
【営業時間】     9:00~16:00
【休  業  日】     雨天・台風・積雪時
【駐  車  場】     40台 400円(2時間)
【お問合せ先】 TEL.0749-48–0552 

 

次回もお愉しみに(^^)

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 河内観光協会 MT TRADING

 

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