Category Archives: 徒然えぴそ~ど

遷座1300年!モノノフの聖地“兵主大社”の伝説・補遺

「湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

前回お届け致しましたは兵主大社(ひょうずたいしゃ)のお話つきまして、今回少し情報を補足致したく存じます。

兵主大社神紋

前回の記事の中で、『兵主大社の神紋は「亀の甲羅に鹿の角」の文様です(是非境内で探してみてください)』と記述致しましたが、読者の方から『どんな形のものですか?イメージが湧きません』との投書を頂戴致しました。

・・・という訳で、特別に公開致します(笑)。左の写真の文様は境内のあちこちで見受けられますので、是非探してみてください。

遷座1300年記念 兵主大社展

現在、野洲市歴史民俗博物館では、開館30周年特別展「遷座1300年記念 兵主大社展―琵琶湖を渡って来た神さま―」が開催されています。

なおこの企画展を観覧されますと、ある特典がもれなく提供されることが判明致しました!

それは・・・平安時代後期に造営されたと伝えられ、国の名勝にも指定されている兵主大社の庭園が無料で拝観出来る証明書がいただけるのです!

これに伴い庭園の拝観時間も企画展開催中に限定して9:00~16:00に変更されています。証明書配付並びに無料拝観も企画展最終日の12月2日(日)までの特典となりますので、兵主大社参拝前に訪問されては如何でしょうか。

最後に名園と評判高き庭園の情景を特別(笑)ご紹介致します。紅葉はこの週末までが見頃のリミットかと存じます。

名勝兵主大社庭園

「子供連れで庭園の見学なんて・・・」というファミリーにもミニ情報を!実はこの庭園、ドングリの宝庫でもあるのです。お子さんにドングリ拾いなんていうのも如何でしょうか。

但し兵主大社様の「古の庭園の素晴らしさを、ありのままの状態で堪能してもらいたい」とのご配慮から、園内には防護柵や規制ロープ等は一切設置されておりません。

庭園には池や川、苔の自生エリアもございますので、引率の保護者の方はくれぐれもお子さんから目を離さぬようご配慮ください。

“紅葉の名所”と呼ばれる有名な観光地での散策も良いですが、足早に去っていく今秋の趣を、ゆったり・しっとり・静かに、そして郷土の歴史に想いを馳せながら過ごしてみるのもまた一興ではないでしょうか。

兵主大社

滋賀県野洲市五条566番地
TEL:077-589-2072
庭園/収蔵庫入場時間:13:00~16:00
庭園拝観:500円(4/15~7/15・9/15~12/15)
収蔵庫見学:500円 ※要予約

野洲市歴史民俗博物館

滋賀県滋賀県野洲市辻町57番地1
TEL:077-587-4410
開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料/大人200円・学生150円・小中学生100円
休館日/月曜日(祝日の場合は翌火曜日

◎「湖國浪漫風土記」ブログ全表示はこちら!

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ


ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!


本日のNスタに当ブログより資料提供致します!

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

平(藤原)景清

平(藤原)景清

突然ですが、本日放送のTBSテレビ報道番組・Nスタでのニュースに、急遽当ブログより資料提供を実施することが決定致しました。

 

 

記事内容は「鍾乳洞に悪質いたずら」に関するもので、滋賀に直接関連性は無いようにも思えますが、その中で滋賀にゆかりの深いコチラの人物の肖像写真を提供致します。

 

 

ご興味がございましたら是非ご覧ください<(_ _)>

 

提供情報の告知(悪質・荘厳な鍾乳洞で迷惑行為)はコチラ!

◆TBSテレビ Nスタ 関東エリア:15時49分より(一部地域は17時50分より)

※地域によりましては放送されない場合がございます。

 

◎「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」ブログ全表示はこちら!

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ
ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!


地方行政崩壊⁉“村ごと消えた村”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

2ヶ月振りの御無沙汰でございます。何分公私共に“激”多忙を窮めておりまして、なかなか記事取材&更新に着手出来ない有様です。週に1日、せめて休日だけは36時間欲しいものです(^^)

 

さて毎週水曜日の午後7時からフジテレビ系列で放送されている『世界の何だコレ⁉ミステリー』という番組をご存知でしょうか?

 

最近はグー〇ルアースで気になったオブジェクトを探索するというコーナーが定番化しており、企画的にもネタ探し的にも些か安易さを禁じ得ないのですが、どうもこれの影響(恩恵?)で水曜日の当ブログのアクセス数が急激に伸びるという怪現象が認められ、幾分複雑な心境にございます。

 

今回はその影響(恩恵?)に便乗しよう!という意図はさらさらございませんが・・・昨今は「過疎地」のことを限界集落などと言うのだそうです。何ともピンと来ないワードです。何が“限界”なのやら・・・世には実に解せぬファジーな言葉が溢れかえっております。

 

山村・農村・漁村の過疎化などは今に始まった訳ではなく、高度成長期の昭和40年代から既に深刻化しているのですが、一頃また何かと話題になっているようです。理由はよく解りませんが・・・。

 

日本のほぼド真ん中にある、比較的インフラには恵まれた滋賀ですが、ご多分に漏れず非常に多くの「限界集落」や「廃村」を抱えています。

 

ただその大半は最小単位の地域(第2次世界大戦後に制定された市町村内の町や字)といった限定的なレベルのものなのです。

 

「限界集落」「廃村」の主な理由としては、

 

■高齢化・挙家離村による人口の減少
■林業・農業・漁業の衰退並びに後継者不足
■ダム建設による移住
■鉱山の廃鉱
■大規模災害による移住

 

といった理由が挙げられます。そんな中、滋賀には全国的にも珍しいレアなケースがあるのです。今回はそのレアケースについてのお話をいたしたいと存じます。

 

かつて犬上郡には脇ヶ畑(わきがはた)という村がありました。1889(明治22)年の「明治の大合併」で、保月(ほうづき)・(すぎ)・五僧(ごそう)の3集落が合併して誕生した村です。

 

平均標高550mという県内屈指の高地の山村で、古くは美濃國(現・岐阜県)時山と中山道の高宮を結ぶ五僧越(ごそうごえ)の中継地として、ここを通商路としていた近江商人で賑わっていました。

 

しかし近代に入り、その地理的条件から『陸の孤島』と化し、戦後行政の集落再編成事業による離村勧奨もあり、1955(昭和30)年に町村合併促進法(昭和の大合併)によって多賀町に併合、昭和50年代前半には廃村となりました。

 

村という一つの行政区画ごと廃村となったのは、滋賀ではこの脇ヶ畑村が唯一の存在であり、全国的にも非常に稀なケースなのです。

 

当然当時ここには村役場があり、小学校・中学校(分校)・郵便局・駐在所、昭和初期までは旅館や商店もありました。

 

ただ最盛期でも人口が500人程度の村でしたのでインフラの整備は恐ろしく遅れ、電気が通じたのは県内で最も遅い1950(昭和25)年。

 

村内の中心を通る“県道上石津多賀線”の開通も1950(昭和25)年。舗装に至っては実に廃村後の1992(平成4)年の完成でした。

 

このような寒村ですが、日本の動乱期には必ず歴史の檜舞台に登場しています。

 

安土・桃山時代末期、関ヶ原合戦で西軍に加勢していた薩摩國の大名・島津義久は小早川秀秋らの裏切りにより一転して敗色濃厚とり、窮地に立たされます。

 

そこで義久は戦場に唯一残された自らの軍勢を脱出させるべく、敵陣を強行突破するという大胆な手段に打って出ます。

 

これが世に言う『島津の前退(まえのき)』で、島津軍は船で本国への脱出を果たすべく和泉國・堺(現在の大阪府堺市)へ向かう途中、五僧越を駆け抜けていきました。以来、五僧越を通称『島津越』とも呼ぶようになりました。

 

今年4月11日に放送されたNHK『歴史秘話ヒストリア』の“心そろえて生き抜いてこそ 島津義弘・奇跡の敵中突破”でも、このことが詳しく解説されました。

 

歴史にもしもは禁物ですが、この強行突破に失敗し島津家が滅亡していたら・・・明治維新は無かった!・・・かも知れません。

 

また幕末には、佐幕派であった伊勢國・桑名藩の動向(桑名騒動)を牽制すべく、勤皇派であった彦根藩は大砲を分解して搬出し、五僧峠に設置して警戒態勢を敷いたこともありました。結局桑名藩が官軍に対して無血開城したため、大砲が火を噴くことはありませんでした。

 

ここでも“もしも”は禁物ですが、桑名藩が徹底抗戦の構えを見せ無血開城に応じていなかったら・・・大河ドラマ『西郷どん』は無かった!・・・のかも知れません。

 

現在は冬季を除いた時期に数人程度の居住が認められるだけで、かつての栄華を偲ぶものは何一つありません。一時期「廃墟ブーム」があり、心ない人たちによる不法侵入や窃盗、破壊行為があったと聞いています。日本人として実に情けない限りです。

 

こちらの集落を訪問される際は、最低限の登山装備の準備と入念な事前計画をしたうえで赴かれることをおススメします。それだけ道のりはとても厳しいのです。あと事前準備には多賀町立図書館所蔵の『脇ヶ畑史話』に目を通されることもおススメします。これを読みますと、村のあらゆる背景が鮮やかに蘇ること請け合いです。

 

あっそうそう、この村は多賀大社の御祭神である伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)と伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)が地上に降臨したと伝えられる神聖なエリアで、現在でも厳かな祭礼が行われています(杉坂峠の御神木)。ですので、ナメてかかると有り難くない“ご利益”にあやかるかも・・・です(=_=)

 

◎「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」ブログ全表示はこちら!

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ
ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!


さらば!近江鉄道の古典電気機関車たち

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

またもや近江鉄道が誠にもって残念な決断を下しました。

 

近江鉄道ミュージアム鉄道資料館12月7日、近江鉄道は同社が彦根に近江鉄道ミュージアム鉄道資料館に保有する電気機関車10輌(ED14形×4輌、ED31形×5輌、ロコ1101形×1輌)を、車体の老朽化による維持が困難なことを理由として、来る12月16日(土)でのお別れイベントでの公開を最後に順次解体処分することを発表しました。

 

 

先般のボンネットバスの引退と言い、この企業は『効率』という名の錦の御旗を盾に、いくつの愚行を重ねれば気が済むのでしょう。百歩譲って「一部を除いて・・・」ならいざ知らず、10輌全てを対象としているのです。これら大正末期から昭和初期に製造され、日本の近代化に寄与した機関車たちが現存することの価値を全く理解していないと言わざるを得ません。

 

一番上の写真右端に写っているED4001形は、平成21年1月にもともとの出身である東武鉄道に引き取られ、出来得る限り在籍当時の姿に復元され、現在東武博物館で保存されています。こうも鉄道会社によって扱いが異なるものかと、憤懣やる方ない心境です。ED4001形は余り近江鉄道で活躍を果たせなかった分、晩年に幸せを掴めたのでしょう。

 

近江鉄道電気機関車群ED14形(写真中央)は大正15(1926)年にアメリカのゼネラル・エレクトリック社で製造され、国鉄が東海道線電化開業に合わせ輸入。

 

東海道線を皮切りに中央線、飯田線、仙山線で活躍。国鉄で御役御免になった後は輸入された4輌全てが近江鉄道に譲渡されました(3号機は一時期西武鉄道に貸し出されサーモンピンクに塗装されていました)。

 

凸型車体が特徴的なED31形(写真右)は大正12(1923)年に芝浦製作所・石川島造船所で製造され、国鉄/JR飯田線の前身である伊那電気鉄道に入線。その後同社が国鉄に買収され、昭和27(1952)年にED31形に改称。製造された6輌のうち1・2号機が西武鉄道に譲渡され、後に近江鉄道に再譲渡。3~5号機が近江鉄道、6号機が上信電気鉄道に譲渡されました。

 

前述の2形式より一回り小さなロコ1101形(写真左)は昭和5(1930)年に東洋電気・日本車輌で製造され、国鉄/JR阪和線の前身である阪和電気鉄道に入線。その後南海電気鉄道、国鉄阪和線を経て近江鉄道に。低速でのポテンシャルの高さを買われて、長年彦根列車区の入換機として活躍しました。

 

ED14形4号機かつて平成19年(2007)3月に整備された近江鉄道ミュージアム鉄道資料館での保存展示に接した際は、同社の鉄道遺産の価値に対する『本気度』を感じました。

 

しかしその後の維持管理への対応には眉を顰めることも多く、存続に一抹の危惧は抱いておりました。

 

同社では同時に個人・団体を問わず車体単体のみの無償譲渡(輸送・設置費は自己負担)も検討するとも付け加えましたが、この短期間で決断出来る個人・団体が果たして現れるかどうか・・・奇跡に掛けるしかありません(自身にもっと財力があれば・・・本当に悔やまれてなりません)。

 

兎に角彼らの雄姿を眼に焼き付ける機会は来る16日が最後。どうか彼らのこれまでの功績に賞賛の拍手を送ってあげましょう。なお、詳しくはコチラの近江鉄道のイベント告知サイトをご覧ください。

 

◎「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」ブログ全表示はこちら!

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ
ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!


小さい秋み~つけた

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

前回、“隠れ”紅葉スポットをご案内致しましたが、皆様晩秋の湖國の情景をご堪能頂けておりますでしょうか。今年の秋は本当に駆け足で過ぎ去っていく様相で、小生は堪能どころか例年より半月ほど早く冬支度に追われる始末にございます(*^_^*)

 

何かと多忙で紅葉狩りに出掛けることが叶わぬ現状ですが、何とか棲家の周辺で『小さい秋』を感じております。

 

晩秋地蔵

いつもお参りしているお地蔵様。

 

何たる偶然か、枯葉とお供えの花で厚着のお召し物を羽織っておられました。

 

しかもここ数日の強い寒気にも関わらず、自生のタンポポの開花。自然の成せる業の如何に珍妙なことか・・・と驚きを禁じ得ません。

 

空の青と、柿の橙。

 

蒼空と渋柿自然の色というのは、何故にこのように『映えるコントラスト』を生み出せるのだろうと感心しきりです。

 

さしもの雑食のカラスですら、食指を伸ばさぬ渋柿。

 

これは木守として朽ちていくのでしょうが、それでも人間は工夫してこれらを食す。人間の積み重ねられた『知恵』は素晴らしいと感服します。

 

手のひらいっぱいのドングリ。

 

手のひらいっぱいのドングリもうすぐ2歳になる小生の愛娘は、ドングリ拾いに夢中!

 

散歩に行く度拾うので、ベビーカーのラックはドングリでいつぱい。

 

小生も付き合わされていますが、小学生以来のイベント。大人になっても意外や楽しいものです(^^)

 

名所巡りも良いのですが、自身の生活圏の変化を見つけるのもまた一興。あなたの周りの『小さい秋』、見つけてみませんか?

 

◎「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」ブログ全表示はこちら!

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ
ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!


さらば!愛しのボンネットバス

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

皆様ご無沙汰致しております。息災でいらっしゃいますでしょうか。前回「超スローな更新」などと申しておりましたが、いやはやあれからもう3ヶ月余り・・・祇園祭がどうのこうのと言っていたのも束の間、秋というか冬にも手が届きそうな勢いの今日此頃でございます。

 

本当に久し振りに筆を執ります。乱文乱筆平にご容赦くださいませ。

 

いすゞBXD30(彦根ご城下巡回バス01)さて去る9月25日。何気なくテレビのローカルニュースを視聴しておりましたら、『ひこにゃんラッピングバス、50歳超え引退へ』の一報が!それまで半眠状態で視聴していた小生は、思わずテレビに噛り付きました。

 

余り地元の悪口を言いたくはないのですが、明確なビジョンを示せず、おまけに何分アピールが下手くそで町興しが不発続きの彦根。

 

そんな故郷にあって、ひこにゃんボンネットバスの定期運行は唯一無二の貴重な観光資源。よくもまぁあっさりと決まったものよと、驚くやら呆れるやら・・・(どうした御膝元行政は!!)。

 

ひこにゃんラッピングバスと呼ばれるこの昭和レトロぷんぷんのこのボンネットバス。正式にはいすゞ自動車BXD30型と称します。全長8.31m/全幅2.45m/全高2.93m/定員は46名。総重量8.5トンで6,370cc(130馬力)のディーゼルエンジンをボンネットに収納しています。

 

いすゞBXD30(江若交通時代)このバスは1966(昭和41)年に製造され、当時湖西エリアでの交通機関の中核として君臨していた江若(こうじゃく)交通の路線バスとして導入されました。

 

堅田営業所に配属され、その運転し易さから、狭隘路であった葛川・途中・和邇方面と旧滋賀郡堅田町(現・大津市堅田地区)の巡回路線を中心に活躍。

 

江若交通時代のナンバーは滋2い1074。4台所属していたボンネットバスの1台として沿線住民に親しまれていましたが、道路整備の促進や輸送効率の高い(定員の多い)箱型車体バスの台頭から、1981(昭和56)年2月12日付で廃車となります。

 

その後、同じく堅田町にあった名鉄マリーナホテル(平成11年3月閉鎖)に引き取られ、ナンバーも新たに滋賀22や200となり、利用客の送迎用として第2の人生をスタートさせます。実はこの時に赤・黒・白のトリコロールカラーに変更されています。「赤は『井伊の赤備え』をイメージしたもの」と仰る方もいらっしゃいますが、それは大きな誤り。これは名鉄カラーの赤なのです。

 

いすゞBXD30(長浜観光楽らくバス時代)しかしここでの活躍は僅か7年。長浜商業開発協同組合により1988(昭和63)年に開設された商業施設・長浜楽市に於いて、長浜駅や市内観光地との循環バス・長浜楽らく観光バスとして着任。

 

湖西から琵琶湖を対角線上にぐるっと回って、湖北にやってきたのです。

 

この時現在のナンバー滋賀22き25となり、当時としては珍しく所有は長浜市、運行は近江鉄道という事業分離形態を採用。多くの観光客や買物客から親しまれ、長浜の観光振興に大きく寄与しました。

 

しかし、運命の悪戯か長浜楽市の商業施設としての陳腐化と周辺への大型商業施設の進出が仇となり、循環バスの運行は廃止。老朽化も相まって、いよいよこのボンネットバスの命運も尽きたかと思われました。

 

いすゞBXD30(彦根ご城下巡回バス02)でも幸運の女神はまたもこのバスに微笑みかけたのです。車輌は近江鉄道に譲渡され、1997(平成9)年4月より彦根ご城下巡回バスとして再々々々スタート。ようやく安住の地を得たのです。

 

それまで観光客誘致での大きなネックであった彦根駅と彦根城周辺とのアクセスが格段に向上し、また昭和レトロ(というより高度成長期の雰囲気)な街並みともマッチして、その存在は市民や多くの観光客に愛されました。大きなトラブルもなく、観光シーズンと週末の定期運行を、老体に鞭打って見事に完遂。

 

さらに2007(平成19)年に開催された『国宝・彦根城築城400年祭』で登場したマスコットキャラクター・ひこにゃんの人気沸騰ぶりも手伝って、全国にその認知度を高めました。

 

2013(平成25)年6月にはひこにゃんラッピングが施され益々人気が高まってきていただけに、突然の引退は正に青天の霹靂。とはいえ、結局最初に納車された江若交通よりも長く彦根で活躍してくれたことには、感謝の念に堪えません。

 

老朽化と部品調達の困難、運転手の後継者不足が大きな理由とされてはいますが・・・小生の(個人的な)見解として、

(1)所属していた彦根営業所の整備工場が、大津営業所に移転。理由は立命館大学路線に導入した大型連接バスのメンテナンスを行うため。これにより彦根営業所ではオーバーホールを伴う大規模な整備が、設備・人員不足により困難となった。

(2)ボンネットバス運転手の高齢化と、慢性的なバス運転手不足。路線バスの運行を優先させるためには、観光用の古いバス1台の維持のために予算も教育の時間も割けない。

結局、昨今の事業会社の大規模な合理化の波の犠牲になったと考えるのが妥当でしょう(因みに同様の車輛を保有する奈良交通は、自社で部品を自作してでも動態維持するとのこと)。

 

近畿で唯一定期運行を維持してきたボンネットバスだけに、このまま滋賀の貴重な観光資源を見す見す消滅させてしまうのは地元として無策の極み。せめて動態保存し、時折イベント等でお披露目する状態には維持してもらいたいものです。

 

彦根ご城下巡回バスポストカードなお、この週末の10月28日(土)・29日(日)は彦根ご城下巡回バスでの最後のご奉公、つまりラストランになります。まだボンネットバスを体感しておられない方は、現段階で最後のチャンスとなりますので、是非彦根へお出掛けください。

 

あとボンネットバス唯一のオフィシャルグッズであるポストカードも残部僅少とのこと。

 

こちらもお急ぎください。詳しくはコチラの近江鉄道のグッズサイトをご覧ください(彦根観光協会の販売分は完売しました)。

 

久々の執筆、大変疲れました(+o+)

また時間と気分とネタに余裕が出て参りましたら再臨致します。相も変わらずの長文ダラダラにお付き合い頂きまして誠に有難う存じました<(_ _)>

 

【資料提供】昭和有閑倶楽部 乗合自動車分科会

 

◎「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」ブログ全表示はこちら!

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ
ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!


宇曾川堤の櫻と父と

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

今年は開花時期に悪天候が重なり、存分に花見が愉しめなかった感のある滋賀の櫻。それでも例年に違わぬ美しさで、湖國に本格的な春の訪れの報をもたらしてくれました。

 

櫻は冬の寒さが厳しければ厳しい程、その耐えた力の反動で美しく咲くそうですね。ですから昨今の温暖化の影響は、櫻の開花エリアの南限をも徐々に押し上げているのだとか。また基本櫻は自生するものではなく人工的に植樹されているものなので、環境の変化やメンテナンス不足、そして何より我々人間が「愛でる」ことから「遊興にふける」対象にしてしまったために、急速にその数を減らしているとも聞きます。

 

宇曾川堤の櫻さて県内に櫻の名所は数あれど、小生がゆったりとした気持ちで湖國の春を満喫出来るスポットとして毎年訪れるのが宇曾川堤です。

 

何時頃から流域ほぼ全ての堤防に植樹されるようになったのかは不明ですが、昭和30年代の地図には櫻の名所としての表記が認められ、また流域近郊の小学校の校歌の歌詞にも採用されていることから、相応に歴史が深いものと推察します。


一時期は河川改修や乱伐で急速にその数を減らし、絶滅の危機に瀕したこともありましたが、昨今の流域住民の熱心な保護並びに植樹活動により、かつての隆盛を取り戻しつつあります。

 

かく言う小生の父も、この宇曾川堤の櫻を愛して止まない一人でした。しかし残念ながら今年の開花を見届けることは出来ませんでした。


平成29年3月1日。父は何の兆候を示すこともなく突然身罷りました。享年80歳。

 

その日は何時ものように起床し、何時も通りに日中を過ごし、普通に夕食を取ったのですが、深夜に体調の急変を示し、小生による救護措置の甲斐なく、そのまま息を引き取りました。

 

野辺の花余りにも突然のことで、加えて葬儀・年度末に於ける仕事の繁忙・各種手続に追われて、生活のリズムや体調を崩し、先週完結致しましたシリーズ記事の執筆を何度も中断しようと考えました。

 

しかし何より「中途半端に放り出す」ことを殊更嫌う父でしたから、父のことを言い訳にするのは矢張り親不孝であると考え、予定通り進行させることにしたのです。

 

別に父に褒めてもらいたい訳ではありませんが、少なくとも叱られることは無いだろうと思っております。

 

そして昨日、周囲の皆様のご助力でもって無事満中陰(四十九日)を迎えることが出来ました。家族全員未だに父の死を実感出来ずにはおりますが、何とかお浄土へと送り出すことは出来たと安堵致しておる次第です。

 

一周忌までは服喪の期間に入ります。徐々に生活のリズムや体調を元に戻していくとともに、服喪に伴う行動の制限もございますので、当面ブログの執筆は「可能な範囲」でスローに進めて参りたいと存じます。何時もご来訪ご高覧戴いている皆様にはご心配をお掛け致しますが、何卒当方の諸事情をお汲み取り賜りまして、温かくお見守り戴ければ幸甚です<(_ _)>

 

◎「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」ブログ全表示はこちら!

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ
ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!


Do you know MU-BE?

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

急に寒さが増したり、かと言えば小春日和が訪れたり・・・でも確実に冬が近づきつつある昨今。皆様、お風邪など召されておられませんか?

 

さて先日、ある方からこのような疑問をお寄せいただきました。

 

むべ狩り湖岸道路を普段からご利用される方ならご存知かと思いますが、近江八幡の長命寺川に並走する区間で、このような看板やノボリを見掛たことはございませんか?

 

『むぺ狩り』

 

秋の味覚の収穫体験と言えば、梨・栗・葡萄・桃・松茸などが挙げられますが、“むべ狩り”って???

 

いったい“”むべ、とは如何なるモノなのでしょうか?

 

先頃プロ野球の話題で、広島東洋カープの例年にない躍進振りに、当の監督の緒方さんが『神ってる』などと表現したのは記憶に新しいところ。

 

実はそのまさしく『神ってる』と表現するに相応しいモノが“むべ”なのです。滋賀の名産の1つでありながら、意外にもまだまだ知名度の低い“むべ”・・・

 

その疑惑・・・いえいえ魅惑の“むべ”の真相に迫るお話はこちら!

 

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」ブログ全表示はこちら!

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ
ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!


ナゼにイマゴロ初詣?

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

4月29日より10日間、ゴールデンウイークを通してまたまた「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」が閲覧出来ない状態となっておりました。レンタルサーバーが再びダウンしてしまい、ご来訪頂いた皆様には大変ご心配をお掛け致しまして誠に申し訳ございませんでした。管理会社からは5月中旬まで不安定な状態が継続する旨連絡を受けております。何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます<(_ _)>

 

さてゴールデンウイーク期間中、皆様はお休みを満喫されましたか?小生は休みとはいえ、職場から待機を仰せつかっており、また宿題もございましたので、育児も兼ねての自宅暮らしでございました(>_<)

 

ただ昨年末の二女の降誕で家族打ち揃っての初詣が出来ずじまいでしたので、連休中の1日を利用して、何時もご加護を戴いている氏神様・お多賀さん・金咲のお稲荷さん・木之本のお地蔵さんに強行初詣を敢行致しました!

 

よもぎの糸切り餅01その旅路で珍しいものを発見。それがコチラ!

 

 

お多賀さん・よもきの糸切り餅

 

 

店頭で見掛けた時、一瞬「なんじゃコリャ」と思いましたが・・・

 

多賀大社門前にある莚壽堂本舗で、4月の週末とゴールデンウイークの期間中、数量限定で販売されているとか。あらゆる意味で限定ということもあり、何時も午前中には完売しているそうです。

 

よもぎの糸切り餅02さて肝心の中身はというと・・・

 

スゴイ、真緑だっ!

 

糸切り餅の特徴である、蒙古軍の御旗由来といわれる色彩は消え、代わりにたっぷりと黄な粉が塗されています。

 

餡も従来の漉し餡から、粒餡へ変更。

 

ファーストインプレッションとしまして簡単に味・食感を述べますと、「糸切り餅の形状をしたヨモギ餅」といったところでしょうか。

 

機械製造で米粉にヨモギを加えますとどうしても食感が固くなりますので、糸切り餅特有のモチモチ感は少しスポイルしたような感じがします。これを是とするか非とするかは人それぞれですので、機会がございましたら是非実際に手に取ってご賞味ください。

 

ちなみに・・・お多賀さん参拝時に必ず訪れる隠れた銘店がございます。以前このブログでもご紹介しておりますので、こちらも是非ご覧ください。

http://biwako.cafemix.jp/?p=4405

 

アーカイブスサイト後藤奇壹の湖國浪漫風土記・淡海鏡も是非ご覧ください!

 

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」ブログ全表示はこちら!

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ
ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!


とある機関車の終焉、そして追憶の彼方へ

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

三岐鉄道 保々車両区お隣の三重県にある地方私鉄、三岐(さんぎ)鉄道。その中核路線である三岐線に、保々(ほぼ)という駅があります。

 

同駅構内にはCTC(列車集中制御)センターを始め、車両区や施設区があり、三岐線の中枢的役割を担っています。

 

去る5月のことです。

 

この保々駅構内の片隅で、人知れずこの世に別れを告げた1輌の電気機関車がありました。その機関車の名はED500形502号機。またの名をいぶき500形502号機と称しました。

 

昭和27(1952)年6月。ライオン印の“ライオンセメント”で知られていた大阪窯業セメント(現在の住友大阪セメント)は、伊吹山に石灰石鉱山(伊吹鉱山)を操業。翌月、山麓にセメント加工プラント(伊吹工場)を新設しました。同時にバラセメントの大量輸送のため、国鉄(現JR)近江長岡駅に接続する全長3.7kmの貨物線(伊吹工場専用線)が整備されます。

 

伊吹工場専用線の車庫で休息する在りし日のいぶき501・502(1994年5月)昭和30(1955)年に東海道線・稲沢~米原間が電化。これに追随して翌年1月に同専用線も電化され、日立製作所製の自社発注電気機関車が2輌導入されました。

 

 

運転整備重量が50tであることと、導入路線に因み、いぶき500形(501・502号機)と命名されます。

 

上の写真は、まだ小生が社会人成り立ての頃、運転休止日に伊吹工場構内での撮影を特別に許可戴いた時のものです。製造から40年近く経過しているとは思えぬほどの“艶っぷり”。大変大事に扱われていたことが窺えました。

 

運用は平日のみの6往復で、長いセメント貨物列車を従えて地道に活躍。長年日本のインフラ整備の根幹の一端を担いました。しかしモータリゼーションと国内鉱山の需要低下の波には勝てず、平成11(1999)年6月28日をもって運行を終了。開業から47年の歴史に幕を下ろし、2輌の機関車もお役御免となりました。

 

セメント輸送はトラックに切り換えられ、専用線の鉄道設備は程なくして全て撤去されました。

 

住友大阪セメント伊吹工場専用線跡(2009年9月)現在同線跡は伊吹せんろみちと称するサイクリングロード&遊歩道として整備され、かつての線路跡を辿ることが出来ます。またトンネルや橋梁も一部が残されており、現役当時の面影を偲ばせます。

 

右写真の舗装道路がかつての路線跡です。ホームや待合室様の建築物は、公園設備として後から設置されたものです(レールと枕木は本来の場所から移設されていますがホンモノです)。

 

さて、廃線後も車庫に保管されていた機関車たち。平成11(1999)年8月に廃車となり、このまま専用線と運命を共にするかと思われました。しかし幸運にも遠く静岡は大井川鐵道に譲渡されることが決定。同年10月にトラックにて移送。殆ど原形を留めた状態で、翌年2月22日にED500形として竣工。3月18日より同社名物・SL列車の補機として第2の人生をスタートさせました。

 

大井川鐵道で活躍するいぶき501(2008年8月)しかし運命とは数奇なもの。

 

平成17(2005)年2月開港を目指す中部国際空港建設用埋立土砂輸送のために機関車不足となる三岐鉄道からの要請を受諾。501号機は貸与、502号機は売却という形で再び移送されることに。同社での運用に合わせた改造を受け、平成12(2000)年5月18日より運用を開始。大井川鐵道での活躍は僅か2ヶ月足らずでした。

 

いきなり訪れた第3の人生は勝手知ったる本来の姿。土砂輸送が完了するまでの約2年半、三岐鉄道の貨物輸送の一端を担いました。

 

しかしこれまで常に寄り添って活躍してきたこの2輌に今生の別れが訪れます。土砂輸送が終了した平成14(2002)年10月29日。余剰となった2輌はこの日をもって廃車。翌年3月18日に貸与扱いであった501号機は大井川鐵道へ返却。502号機は三岐線の終点・西藤原駅の構内で静態保存されることとなりました。かつて伊吹専用線で活躍し一足先に里帰りを果たしていたE101形蒸気機関車(102号機)と共に、この地で静かに余生を送るはずでした。

 

三岐鉄道で静態保存されていたいぶき502(2005年2月)しかし運命とは残酷なもの。

 

屋根下展示であったE101形と異なり、露天展示されていた502号機は老朽化が急速に進行。保存状態を維持することが困難となりました。平成26(2014)年8月には保々車両区へと回送。約9ヶ月の間雨晒しにされ、後に解体となりました。使用可能な部品は、501号機用のスペアとして大井川鐵道へ引き渡された模様です。

 

そして502号機がこの世を去った同時期。大井川鐵道は名古屋鉄道の傘下から離脱し、地域経済活性化支援機構の支援のもと、静岡銀行とエクリプス日高による事業再生を受け、厳しい経営改善への道を歩むこととなりました。既に老朽化した電機置換用として、西武鉄道からE31形3輌が譲渡されており、501号機も終生安泰とは言えない状況になっています。

 

今となってはどうしようもないことですが、502号機を何等かの形で滋賀に里帰りさせてやれれば良かったのにと、悔恨の念が募るばかりです。ただせめてこの502号機の尊い犠牲が、501号機のあと40年動態運用へ繋がってくれればと、祈らずにはいられないのです。

 

◎「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」ブログ全表示はこちら!

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ
ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!