Author Archives: chaos510

閑話徘徊“ジェットストリームアタック? in 滋賀”

「湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

まだまだ初心者の域は脱しませんが、この歳になってようやく“日本酒”の良さが解かり始めて参りました。と同時に最近まで抱いていた『いくら米どころの滋賀といえども、地酒はねぇ…』などといった偏見も徐々に解消しつつあります。

これまで日本酒を敬遠してきたのには、大東亜戦争後の物資貧窮に対処するための大量生産を目的とした技術、即ち『醸造用アルコールの添加』が、物資が潤沢となった現在でも連綿と行われていることが最大の原因であります。あの技術が戦後の酒造を支え、そして酒造の地位を失墜させたといっても過言ではありません。

でも昨今、世界的に日本酒が注目されてきていることを契機に、特に地酒を地道に育んできた酒蔵が切磋琢磨し、全国的に勢力を盛り返しつつあります。その動向を受けて、小生も日本酒、特に『湖國の地酒』に興味を示し始めた次第です。決して流行に乗った訳ではございません(笑)。

勉強し始めた『湖國の地酒』に 関して触れるのはまた別の機会にしまして、今回はこんなネタを仕入れて参りました。

三連星

皆さん、この三漣星という銘柄をご存知ですか?地酒通の方からすれば『何を今さら…』と言われるかも知れませんが、小生はこのネーミングにとても興味を掻き立てられました。なお一升瓶の前に鎮座するオブジェクトは特段意味はございません…と言っても説得力はないですよね~(苦笑)。

この銘柄を知ったのは先の年末年始に放送されたとあるTV番組。たまたま耳に飛び込んできた情報だけを頼りに色々と調べてみて、この銘柄が滋賀の蔵元のものだと知って改めて驚きました。

この銘柄に関する詳細な情報は下記のリンクより御覧頂ければと存じますが、簡単にご紹介致しますと、甲賀市にある美冨久酒造の若手杜氏さんが世に問うた意欲作であるということ。そして関西のこだわりの店舗運営をされている若手居酒屋オーナーさんを中心として、 徐々に支持を拡げている銘柄であるということです。

『三連星』に関する情報はコチラ>>>

実は県内産・山田錦を用いた大吟醸もラインナップされているのですが、今回小生は敢えて県内の地酒に使用されている酒米の中でも非常にメジャーな吟吹雪を用いた純米酒をチョイスしました。

2019湖國春の訪れ

長期予報では暖冬とも言われていた平成最後の冬。でも『史上最大の寒波到来』等、実際はやはり寒いのに変わりはありませんよね。こんな寒い日々ではありますが、もう春の訪れが垣間見えています。本当に自然って偉大です。

もともと“花見”とは、桜ではなく梅を愛でることだとか。この芽吹き始めた春の訪れを愛でつつ、新風香るこの若い銘柄を愉しみたいと思います。さて小生が長年湖國の地酒に抱いていた偏見に、ジェットストリームアタックを仕掛けてくれるでしょうか (^o^)v

最後に、この三漣星は特約店のみの限定販売となります。蔵元及び県内の一般的な地酒販売コーナーでは取り扱われておりませんのでご注意ください。

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これぞ征夷大将軍の真の力!“鬼の首塚”の伝説

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

もうすぐ“節分”。節分に欠かせない存在なのが、そう“鬼”ですよね。今回は節分に因みまして、“鬼の首塚”のお話をいたしたいと存じます。

昔々、平安時代の初期に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)という武官がおりました。

坂上田村麻呂

田村麻呂は武芸・軍略に優れ、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に二度任官。

後代に様々な伝説を生み、“稀代の名将”“ 毘沙門天の化身”とも称され、文才に長けた菅原道真と共に平安期に於ける文武の象徴的存在でした。

「征夷大将軍はそんな昔からあったの?」「○○幕府の将軍のことじゃないの?」などと仰る方もいらっしゃるのではないでしょうか。

鎌倉幕府以降の将軍職に付与されていた“征夷大将軍”は、武家の頭領としての象徴的官職として「武士の自治」を事実上朝廷に認めさせるための形式的なものでした。

本来は朝廷より蝦夷(えぞ/当時の東北地方以北)征伐を命じられた軍隊の指揮官に与えられた重責ある官職だったのです。

さて今から1220年前の延暦10(791)年のこと。伊勢國(現在の三重県)・鈴鹿山で大嶽丸(おおたけまる)という鬼神が悪事の限りを尽くし、その影響で周辺の往来が途絶えてしまいました。このことを憂慮した桓武天皇(かんむてんのう/第50代天皇で後に平安京を造営)は、田村麻呂に大嶽丸の討伐を命じます。

早速田村麻呂は京都の清水寺で鬼神の討伐成功を祈願しました。

清水寺

すると観世音菩薩から霊感(お告げ)を得ましたので、今度は善勝寺(ぜんしょうじ)に籠ります。

お告げに従い7日間の祈りを捧げた田村麻呂は、勇躍して3万余の兵を従え鈴鹿山に向かいました。

しかし神通力を操る大嶽丸は山を暗雲で隠し、暴風雨・雷・火の粉などで討伐隊を苦しめます。 攻めあぐねた田村麻呂は、毘沙門天と千手観世音菩薩に祈りました。

するとある晩、夢の中に1人の老人が現れ、「この山に住む鈴鹿御前の助力を得よ」と告げられます。 田村麻呂は3万余の兵を都に帰還させ、単身鈴鹿御前を探しに鈴鹿山に入ります。

大嶽丸と鈴鹿御前

鈴鹿山に分け入った田村麻呂は、そこでこの世のものとは思えぬ絶世の美女に出逢います。

それこそが鈴鹿山に住む天女で、かねてより大嶽丸に求婚を迫られているという鈴鹿御前(すずかごぜん)でした。

鈴鹿御前は自らが囮となって大嶽丸に完全なる防御を与えている3本の宝剣を奪取し、田村麻呂に討たせるという策を講じます。

大嶽丸は鈴鹿御前の計略に堕ち、田村麻呂は見事その首を刎ねることに成功します。その後、田村麻呂と鈴鹿御前は夫婦となりました。

持ち帰った大嶽丸の首は善勝寺に埋めました。

その善勝寺は東近江市佐野町の猪子山(いのこやま)中腹にあります。

善勝寺

創建当初は釈善寺と号していましたが、田村麻呂の東征勝利に因んで改称したのだそうです。

善勝寺には次のような御詠歌が残っています。

鬼にさえ 善く勝つ寺ときくからに なほたのまるる 人ののちのよ

善勝寺の境内奥地にある墓地の中に、2m四方もある一際目立つ巨石があります。これが大嶽丸の首を埋めたという“鬼の首塚”です。

鬼の首塚

討伐時の戦利品も埋められていると伝えられており、かつて村人がその北面の崖を掘ったところ古墳のような構造になっていて、約3m下には石垣のようなものもあったそうです。

鬼の首塚のあるこの一帯、何やらまがまがしい空気で包まれているような雰囲気を感じます。あながち“単なる御伽噺(おとぎばなし)” ではないような気もします。

なお田村麻呂が7日間籠ったというこの善勝寺。

実際はこの寺の境内ではなく、厳密には“奥の院”と呼ばれる場所であったとか…。

北向岩屋十一面観音

その“奥の院”と称される猪子山頂には、北向岩屋十一面観音(きたむきじゅういちめんかんのん)が祀られています。

この観音堂の奥にある岩屋には、高さ55cm程の石像の十一面観音が安置されています。

ここに籠って田村麻呂は祈願したと伝えられています。

十一面観音石像

またこちらの十一面観音は合掌する手に数珠を掛けており、全国的にも大変珍しいお姿をされています。

災厄消除と災害防除に御利益があるといわれており、毎年7月17日には千日会法要が盛大に勤行され、京阪神や中京方面からの多くの参拝者で賑わいます。

さらに毎月17日にも、近在の信者が多数参拝に訪れます。

ちなみに琵琶湖の絶景or夜景をご覧になりたい方にもおススメです。

奥の院からの眺望(1)

西は長命寺山(ちょうめいじやま)・八幡山から、北は遥か竹生島(ちくぶしま)まで。

そして滋賀のアルプス(?)ともいうべき雄大な比良(ひら)山系を正面に望むことが出来ます。

噂では地元のカップルが夜景を楽しむスポットにもなっている…らしいですよ(*^_^*)

奥の院からの眺望(2)

なお、猪子山を訪れる際にご注意いただきたいことがございます。

急傾斜の細いヘアピンカーブの連続ですので、クルマで訪れるにはそれなりの運転テクニックが必要です。

また徒歩での訪問なら、それなりの体力を要します(クルマで訪問しましても、駐車場から頂上までは約300mの階段参道を登らねばなりません)。

また夜間の来訪はシーズンを問わず様々な危険要素を伴いますので、細心の注意を払い自己の責任のもとでトライしてください。くれぐれもご無理をなさいませんように。

最後に豆知識。

因縁浅からぬ鈴鹿山(鈴鹿峠)の近く、甲賀市土山町北土山には坂上田村麻呂を祭神として祀っている田村神社があります。

田村神社

開運厄除・交通安全・家内安全・八方除けにとてもご利益があるとされ、滋賀を始めとして中京圏からも連日多くの参拝者が訪れています。

特に毎年2月17~19日には厄除大祭・田村まつりが催され、開運厄除を願う人々で賑わいます。先日も妻の本厄除のご祈祷をお願いしてきたところです(^^)

参拝後は、神社と国道1号を隔てた向かい側にある道の駅・あいの土山での休憩をおススメします。特にフードコートで供されるうどんは、お味もなかなかにとてもリーズナブル!あとは1回400円でやりたい放題(?)の抹茶ソフトクリームにも是非チャレンジしてください(^^)

それでは早速…鬼は~そと♪ 福は~うち♪(^^)

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ヒトリハミナノタメニ“比夜叉御前”の伝説

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今回は多くの人々を助けるために犠牲となった悲劇の女性、比夜叉御前(ひやしゃごぜん)についてのお話をいたしたいと存じます。

冬の三島池

本題に入る前に、このお話の舞台となります三島池に関する豆知識を少々…。

別名“比夜叉池”とも呼ばれ、米原市池下(旧・坂田郡山東町エリア)にあります。

周囲は約910m。 面積37,603㎡、水深は80cm(雨季は120cm)で、南北に長い楕円形をしています。

今から約880年前の平安時代末期。時の領主であった佐々木秀義(ささきひでよし/源頼朝挙兵に尽力した近江源氏の祖)によって、姉川の伏流水を利用して灌漑用貯水池、つまり農業用水確保のために人工的に造成された池と言われています。

池の周囲には桜・柳・紅葉などが植樹され、霊峰・伊吹山を背景とする景勝地として(特に写真愛好家の中では)全国的にも有名なスポットです。

三島池の水鳥

また水質は清冷で多くの生物が生息し、マガモ・カイツブリ・バン・オシドリ・オナガガモ・ホシハジロ・キンクロハジロ・ミコアイサ・サギといった多くの水鳥や野鳥が飛来します。

特に地元中学校の科学クラブによる2年間の観察の結果、「マガモ自然繁殖の南限地」であることが判明し、昭和34(1959)年には滋賀県の天然記念物に指定され、この地の存在は学術的にも高く評価されています。

ではここからが本題です。

その年は例年になく日照りが続き、農業に欠かせない池の水が涸れてしまいました。領主の佐々木秀義は、池に水の無いことを心配して祈祷師に占ってもらいました。すると「1人の女を池の中に沈めて水神に祈れば、水が絶えることは無くなるであろう」とのお告げが出ます。

早速秀義は人柱となる女を領内から募りますが、喜んで申し出る者など誰一人としてありはしません。沢山恩賞を出すとも触れましたが、反応は皆無でした。

むしろ領内では「誰が人柱になるのか?」という疑心暗鬼と不安が蔓延するばかり…。

三島神社から望む夏の三島池【滋賀県提供】

ある日のこと。

秀義の乳母である比夜叉御前が機織りをしている時、偶然外で村人がこの人柱の話をしているのを聞いてしまいます。

そして、その日の夜。比夜叉御前は織った機を抱えたまま池の畔に向かい、人知れず僅かに水の残る池に身を投じました。

翌朝、池は溢れんばかりの水を湛えていました。歓喜に沸く村人たちとは対照的に、事の真相を知った秀義はとても嘆き悲しみ、比夜叉御前をこの池の水神として祀りました。

それ以来、この池の水は如何に酷い干ばつに襲われても、水が涸れることは無いそうです。また雨の降る夜には池の底から機織りの音が聞こえてくると言います。

三島神社

池の西岸に鎮座する三島神社の鳥居横に、ひっそりと石塔が建立されています。
ちなみにこの神社は、佐々木氏の氏神とされています。

これが“比夜叉女墓(ひやしゃひめはか)”であると伝えられています。

比夜叉女墓

なお現在の姿は地元有志によって整備されたもので、昭和61(1986)年には供養塔が建立されています。

そして比夜叉御前の墓には松が植えられ、それが機織松(“はたおりまつ”または比夜叉松)と呼ばれ現在でも大切に守られています。

機織松

なお、比夜叉御前にまつわるこんな古い歌が今でも残っています。

名にも似ず 心やさしき たをやめの
誓も深く みつる池水

夜叉(鬼神)という名前に似ても似つかぬ心やさしい女のお陰で、お告げの通りこれまで池の水は涸れずに満ちている。

比夜叉御前が護った池は、現在水鳥たちの楽園と人々の憩いの場になっています。

ナゼだか野良猫たちの穴場にもなっていますが…(>_<)

ノラの日向ぼっこ

水鳥さんたちとケンカにならないことを願います(^^)

今回の記事編集に写真をご提供いただきました滋賀県庁広報課様。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

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謹賀新年 天上天下唯我独尊 2019

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新年、明けましておめでとうございます。 今年は“平成”最後の年となります。

琵琶湖と三上山~日の出

本日で「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」開設7周年を迎えました(^^)

昨年は 躍動の1年 でございました。今年は飛躍の1年として邁進いたす所存でございます。本年も相変わりませぬご贔屓を賜りますようお願い申し上げます<(_ _)>

なお自身の技術力の稚拙さと時間不足から、未だアーキテクチャーの完全復旧に至っておりません。牛歩ではございますが少しずつ作業を進めておりますので、引き続き生温かい眼でお見守り賜れば幸甚です。

今頃・・・2年振りに地元の氏神様の元旦祭に参賀している・・・ハズです(^^)v

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システムメンテナンスに伴いブログの更新を休止します


「湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

ブログの更新システムのアーキテクチャー変更に伴い、メンテナンスのため当面の間記事の更新を休止致します。ブログを楽しみにしてくださっている皆様にはご心配をお掛け致しますが、1日も早い復旧を目指して参る所存でございますので、ご理解賜れば幸甚です。

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遷座1300年!モノノフの聖地“兵主大社”の伝説・補遺

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前回お届け致しましたは兵主大社(ひょうずたいしゃ)のお話つきまして、今回少し情報を補足致したく存じます。

前回の記事の中で、『兵主大社の神紋は「亀の甲羅に鹿の角」の文様です(是非境内で探してみてください)』と記述致しましたが、読者の方から『どんな形のものですか?イメージが湧きません』との投書を頂戴致しました。

兵主大社神紋

・・・という訳で、特別に公開致します(笑)。上の写真の文様は境内のあちこちで見受けられますので、是非探してみてください。

遷座1300年記念 兵主大社展

現在、野洲市歴史民俗博物館では、開館30周年特別展「遷座1300年記念 兵主大社展―琵琶湖を渡って来た神さま―」が開催されています。

なおこの企画展を観覧されますと、ある特典がもれなく提供されることが判明致しました!

それは・・・平安時代後期に造営されたと伝えられ、国の名勝にも指定されている兵主大社の庭園が無料で拝観出来る証明書がいただけるのです!

これに伴い庭園の拝観時間も企画展開催中に限定して9:00~16:00に変更されています。証明書配付並びに無料拝観も企画展最終日の12月2日(日)までの特典となりますので、兵主大社参拝前に訪問されては如何でしょうか。

最後に名園と評判高き庭園の情景を特別(笑)ご紹介致します。紅葉はこの週末までが見頃のリミットかと存じます。

名勝兵主大社庭園

「子供連れで庭園の見学なんて・・・」というファミリーにもミニ情報を!実はこの庭園、ドングリの宝庫でもあるのです。お子さんにドングリ拾いなんていうのも如何でしょうか。

但し兵主大社様の「古の庭園の素晴らしさを、ありのままの状態で堪能してもらいたい」とのご配慮から、園内には防護柵や規制ロープ等は一切設置されておりません。

庭園には池や川、苔の自生エリアもございますので、引率の保護者の方はくれぐれもお子さんから目を離さぬようご配慮ください。

“紅葉の名所”と呼ばれる有名な観光地での散策も良いですが、足早に去っていく今秋の趣を、ゆったり・しっとり・静かに、そして郷土の歴史に想いを馳せながら過ごしてみるのもまた一興ではないでしょうか。

兵主大社

滋賀県野洲市五条566番地
TEL:077-589-2072
庭園/収蔵庫入場時間:13:00~16:00
庭園拝観:500円(4/15~7/15・9/15~12/15)
収蔵庫見学:500円 ※要予約

野洲市歴史民俗博物館

滋賀県滋賀県野洲市辻町57番地1
TEL:077-587-4410
開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料/大人200円・学生150円・小中学生100円
休館日/月曜日(祝日の場合は翌火曜日

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遷座1300年!モノノフの聖地“兵主大社”の伝説

「湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

今回は旧中主(ちゅうず)町の中心部、野洲(やす)市五条にございます兵主大社(ひょうずたいしゃ)についてお話をいたしたいと存じます。

 

武神・軍神である「兵主神(ひょうずのかみ)」を祀る神社は全国に約50社ありますが、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう/927年に編纂された全国の神社及びその社格の一覧)に記載されるのは19社。

 

そのうち名神大社(みょうじんたいしゃ/神々の中で特に古来より霊験が著しいとされる神を祀る神社)の社格を戴くのは僅か3社のみで、兵主大社はその1社に列する由緒正しき神社です。

 

中世には「兵主」を「つわものぬし」と読むことにより武士の厚い信仰を得、その縁あって源頼朝・足利氏・徳川氏らに関連する文化財を多数所蔵しています。また京都の苔寺を彷彿とさせる国指定名勝の庭園もあります。

 

この神社の縁起にはこのような伝説があります。

 

「兵主大明神縁起」によりますと、大己貴命(おおなむちのみこと/一般には出雲神話「因幡の白ウサギ」に登場する大国主で知られる)が718年に不動明王の姿を借りて、琵琶湖の対岸・穴太(あのう)より八ッ崎(やつがさきき/現在の旧野洲川北流河口・マイアミあやめ浜西端)に上陸し、この地に鎮座されたのが起源と伝えられています。

 

その昔、兵主大明神(大己貴命)が穴太を発たれる際のこと。大明神は白蛇に姿を変え、大亀の背中に乗って琵琶湖を渡り八ッ崎に上陸。

 

そこから鹿が護り運び、この五条の地に遷座されました。

 

この伝承を顕彰するために、明治時代末期に“亀塚”“鹿塚”が建立されました。

 

現在亀塚は野洲市野田の田地に、鹿塚は兵主大社の庭園内にあります。

 

因みに兵主大社の神紋は「亀の甲羅に鹿の角」の文様です(是非境内で探してみてください)。

 

さらに「兵主大明神縁起」にはこのようなお話も残されています。

 

平安時代末期、源頼朝がまだ若かりし頃。琵琶湖上に於いて暴風雨に遭い、乗っていた船が方向を見失って八ッ崎に辿り着きました。

 

船人たちは困り果てて神に祈りました。頼朝が「何という神に祈るのか?」と尋ねると、船人たちは「昔、白蛇の姿をして大亀に乗り湖を渡った兵主大明神に祈っています」と答えました。

 

すると祈願の甲斐あって暴風雨は収まり、無事湖上を渡ることが出来ました。後に頼朝は鎌倉幕府を開き、天下を治めることに成功します。頼朝はかつての神の加護に感謝して、兵主大社の社殿を造営し、宝物を寄進したとされています。

 

以来、源氏・足利氏・徳川氏と代々幕府を開いた武家から手厚い庇護を受け続けました。

 

さて兵主大社と何かと関わりの深い「八ッ崎」の地ですが、こちらでは御鎮座故実の神迎えを八ッ崎神事として毎年12月上旬に兵主大社によって執り行われています。

 

長きに渡り密儀(みつぎ/特別の資格を持つ者だけが参加できる秘密の儀式)とされてきたのですが、近年は一般に公開されていますので、興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。

 

なお平成30(2018)年5月には、『兵主大社と八ヶ崎神事』が文化庁所管の日本遺産、「琵琶湖とその水辺景観―祈りと暮らしの水遺産」の一部として追加認定されました。

 

遷座1300年記念 兵主大社展また現在、野洲市歴史民俗博物館では、開館30周年特別展「遷座1300年記念 兵主大社展―琵琶湖を渡って来た神さま―」を開催しております。

 

兵主大社をより深く知る絶好の機会ですので、是非こちらもお立ち寄りください。

 

兵主大社では近隣の今回取材にご協力いただきました兵主大社様、野田/五条地区の皆さん。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

 

 

兵主大社

滋賀県野洲市五条566番地
TEL:077-589-2072
庭園/収蔵庫入場時間:13:00~16:00
庭園拝観:500円(4/15~7/15・9/15~12/15)
収蔵庫見学:500円 ※要予約

 

野洲市歴史民俗博物館

滋賀県滋賀県野洲市辻町57番地1
TEL:077-587-4410
開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料/大人200円・学生150円・小中学生100円
休館日/月曜日(祝日の場合は翌火曜日)
※「遷座1300年記念 兵主大社展」の企画展示は12月2日まで。

 

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Ailes de résurrection!“L’hirondelle”

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sweets&cafe L'hirondelle以前小生が家族ぐるみで通い詰めていたスイーツカフェ、L’hirondelle(リロンデル)。

 

開業から僅か3年余りでオーナーさんが急の病に倒れられ、まさかの休業に追い込まれました。

 

以前リロンデルさんをご紹介した記事はコチラ>>>

 

当初1年位で復活されると見込んでいましたが、思いの外回復が芳しくなく、一時は復活も危ぶまれました。

 

 

その間我が家では、特にバースデーケーキやちょっとしたお茶会のお茶請けの依頼先に窮し、ジプシーの如くスイーツショップを彷徨う日々を送っておりました。

 

復活のスイーツたち先週25日(木)、約2年半の眠りから覚め、ようやく営業再開に漕ぎ着けられました。

 

もちろんお味に長いブランクの影響は感じられません。

 

これまでリハビリ中に鬱々とされてきた分、色々と構想を練っておられたようで、新たなスタートがとても愉しみです。

 

当面はアイドリング&リハビリ営業とのことですので、特にカフェをご利用される際は事前のご予約がおススメです。

 

リロンデルの名に相応しく、不死鳥ならぬ不死の如き復活は、小生にとって今年一番の嬉しい話題です (^o^)v

 

sweets&cafe L’hirondelle

・滋賀県彦根市甘呂町264番地5
【TEL】  0749-49-3757
【休業日】   月曜日~水曜日
                       ※リハビリ営業のため不定休あり
【営業時間】 12:00~18:00

 

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源平合戦の隠れた猛将“平景清”が辿りし執念の道(後篇)

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今回も源平合戦悲運の猛将、平景清が辿った足跡についてお話をいたしたいと存じます。

 

袈裟切地蔵

 

近江八幡市安土町上豊浦のJR琵琶湖線の東側にある集落の一角に、首のないお地蔵様が祀られています。

 

景清が桑實寺に参拝の折、そのお地蔵様は景清の真意を探るため容姿端麗な女に化けて誘惑を試みました。

 

しかし景清は動じないどころか「さては妖怪の化身め!」と腰の太刀でその女を一刀両断、袈裟切りにしてしまいました。

 

以来、お地蔵様は「私の首を見付けた者は幸福になる」と言いつつ、未だにその首を探しているのだそうです。

 

景清身丈石(景清の背比べ石)

 

桑實寺の庭園の一角にあります。

 

武具を付けた景清が、身をもたせて休んだ石と伝えられています。

 

ちなみにこの身丈石、実は2代目なのだとか。

 

本来の身丈石は現在庭園内の池の石橋になっているそうです。

 

 

景清目洗い井戸

 

こちらも桑實寺の庭園の一角にあります。

 

景清が百日参りを行った際、眼病を患っていた目を清めたとされる井戸です。

 

今はすっかり枯れてしまったようです。

 

 

 

景清眼洗い井戸

 

こちらは所変わって彦根市芹川町、雨壺山(あまつぼやま/通称:平田山)の麓の公営団地の裏手にあります。

 

戦がもとで負傷した目が悪化し、旅の途中で目を清めるための名水を求めます。そして雨壺山の麓までやって来た時、小魚が群れ遊ぶ美しい水の小川がありました。

 

その小川を辿っていくと、五尺(約150cm)程の大きさの井戸から水がコンコンと湧き出ています。景清がその井戸の水で目を洗うと、体中の疲れが取れ爽快な気分になりました。さらに何度も目を洗うと、次第に痛みも治まってきました。

 

景清は近くに小屋を建て、しばらくこの地に逗留することにしました。その後毎日目を洗ったお陰ですっかりと回復し、また旅を続けたと伝えられています。昭和の高度成長期頃までは原形を留めていたそうですが、現在はコンクリートで整備されこのような姿となってしましました。

 

景清の晩年はかなり不遇であったと伝えられていますが、それ故に贔屓する人々も多かったようで、後の時代には「浄瑠璃」や「歌舞伎」、はたまた「古典落語」の世界でしばしば彼の波乱に満ちた人生が題材として採り上げられています。

 

それにしましても、源平合戦(屋島の戦い)では源氏方の無粋な行為に対して勇猛果敢に攻め立て、また壇ノ浦の戦いから敗走を続けるも平家の再興を願い、何と源頼朝の暗殺の機会を37回も狙ったという 忠臣中の忠臣なのですが、いくら資料に乏しい人物とはいえ現代人の彼に対する評価が余りにも低いと感じるのは私だけでしょうか。

 

さて最後に話題は180度回頭いたしまして・・・

 

まさかナムコが源平討魔伝というアーケードゲーム(後に様々な家庭用ゲーム機へコンシュマー化)の題材に、景清を抜擢していたとは知りませんでした。

 

これがそのゲームに登場する景清なのだそうです。う~ん、これじゃまるでカブキロックスですよねぇ(苦笑)。

 

 

今回は取材範囲がかなり広域に渡り、またとてもマイナーな題材であるため、情報収集に大変苦労しました。しかし多くの方々のお力添えにより、こうして纏め上げることが出来、感無量でございます。

 

情報提供いただきました彦根市芹川町の北川さん、近江八幡市安土町上豊浦の糠さん。情報収集にご協力いただきました彦根市・伊藤仏壇のスタッフの皆さん、安土観光案内所のスタッフの皆さん。また取材に全面協力いただきました旅庵寺の小嶋安寿様、桑實寺の北川住職様。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。本当に有難うございました。

 

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源平合戦の隠れた猛将“平景清”が辿りし執念の道(前篇)

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

TBSのNスタさんに資料を提供しましたことを契機に、今回は平安末期に源平合戦で平家側の勇猛な武将として名を馳せた平景清(たいらのかげきよ)についてお話をいたしたいと存じます。

 

“名を馳せた”と前述しましたが、教科書に登場することはほとんどありません。

 

また一般には平氏に仕え戦ったため俗に“平姓”で呼ばれてはいますが、本来は藤原秀郷(ふじわらのひでさと/滋賀では三上山のムカデ退治に登場する“俵藤太”で知られる)の子孫の伊勢藤原氏であるので、正確には“藤原景清”なのです。

 

源平合戦で勇猛に戦った実在する武将であった割には彼に関する資料がほとんど残っていないため、とても謎多き人物とされています。肖像画も一般的に知られているのは景清を主題とした浄瑠璃に関連する挿絵(歌川國芳・画)くらいしかありま。

 

しかし今回景清に縁の深い旅庵寺(りょあんじ/近江八幡市)の特別なお計らいにより、寺宝の肖像画を公開いただきました。

 

そんな謎多き景清にまつわる伝説は全国各地に残っており(今回Nスタで取り上げられた山口県の秋芳洞もその1つ)、この滋賀にもあります。それが今回ご紹介いたします景清道(かげきよみち)のお話です。

 

 

近江八幡市内を、桑實寺(くわのみでら)から、旧安土町上豊浦/小中/慈恩寺を経て中村町の旅庵寺(一説には愛知県から京都・清水寺)に至る道を、地元では“景清道”と呼んでいます。

 

源平合戦に敗れた後も景清は逃亡し、源頼朝暗殺の機会を虎視眈々と狙っていました。無念にも捕縛されてしまいますが、かつての勇猛振りを惜しまれ頼朝により助命されます。

 

最終的には九州へ配流され波乱の生涯を終えますが、一時期尾張國(現在の愛知県)熱田に居住していました。

 

この道は、その時景清が平家再興を祈念するために、京都の清水寺の薬師如来へ参詣する際に通った道。

 

または一時的に身を寄せていた旅庵寺から桑實寺の薬師如来へ自らの眼病平癒のために百日参りを行った道だとも言われています。

 

では順を追って景清の足跡を辿ってみましょう。

 

旅庵寺

 

近江八幡市中村町にあります天台宗の寺院です。景清は一時的にここへ身を寄せていたと伝えられています。

 

景清が安置したと伝えられる薬師如来を本尊とし、また景清の肖像画も寺宝として残されておりますが、共に非公開です。

 

景清腰掛石

 

同じく旅庵寺の境内にあります。

 

特に案内板がある訳でもなく、一見何の変哲もない大きな石にしか見えません。

 

以前は境内の片隅にありましたが、現在は門前に保存されています。

 

あ、手前のま~るいコンクリートの塊じゃあないですよ~(^^)

 

景清橋

 

近江八幡市安土町慈恩寺の山本川に架かる、景清の名が伝えられる唯一の橋です。

 

橋本体は平成6年に竣工したものですが、近くにその名を刻む石標が残っており、ここが古くから「景清橋」であったことが窺えます。

 

この続きは後半で。次回の更新をお楽しみに!

 

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