Author Archives: chaos510

一粒一品に優しさ込めて“古民家 餃子省”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

このコロナ禍に於いて、人命にも関わる自身の仕事の絡みもあり、生活必需品調達のための短時間外出を除いて、もう1年以上家族サービスとしてのお出掛けを控えております。

自粛慣れしているとはいえ、やはり少しは気分転換も必要かと外食を検討。新規開拓も兼ねる・小生規定の感染予防対策ガイドラインに資する・安近短(超古いフレーズ)という条件をクリアするお店を妻と共に検索・・・これが結構難しい。

多くの選択肢が脱落していく中、数少ない候補の中に何やら怪しげな名称。政府機関でもないのに“省”という呼称を耳にすると、かつて凶悪な犯罪に手を染めた某新興宗教団体しか思い当たりません(苦笑)。

待ち時間の回避と利用の確実性を担保するため先ずは電話予約。一抹の不安を抱え(笑)、赴くことと致しました。

彦根の旧市街地の南端には一級河川・芹川(せりがわ)が流れています。かつてこの川はJR琵琶湖線・猿尾道踏切辺りから、耐震改修中の彦根市役所近辺へと大きく迂回していました。江戸時代初期に井伊直継が彦根城築城の際、城下町建設の用地確保と防衛線(内堀・中堀・外堀に次ぐ第4の濠)としての機能を持たせるために現在のような真っ直ぐの流路となったものです。

琵琶湖岸河口から約1.5kmの南岸。戦後の新興住宅地が拡がります。「こんなところに飲食店なんかあったっけ?」という不信感を抱きつつ、住宅街のため注意深く自家用車を徐行させます。

餃子省 店舗外観

「道を一筋間違えたかな?」・・・と思いきや、突如として昭和初期の古民家に遭遇。ここが今回訪れた古民家 餃子省(ぎょうざしょう)です。

古民家・・・というよりも、一見昭和に地方の街にあったような食堂かラーメン店といった雰囲気でしょうか。

餃子省 提灯

確かにここが餃子省のようです。第1の意外性として、古民家なのに各種キャッシュレス決済やプレミアム付食事券に対応されている表示がとても不釣り合いで、何とも面白いです。

お店に入って直ぐ左手にショーケースがあり、そこには沢山のプリンが!益々脳内が混乱。

後で知ったのですが、もともとこちらは地元でこだわりプリンを製造・移動販売されていたキャラメル王国(現在は販売終了)が始められた餃子専門店。王国の“餃子専門組織”だから“省”ということなのでしょうね・・・得心しました(笑)。

餃子省 客室

店内は客室が2区画あり、併せて5~6組が利用可能なスペース。店先の駐車場も4~5台分ですから、客室の広さから考えるとかなりのフィジカルディスタンスを確保しています。

外観は改修されているので然程古さを感じませんが、店内は古民家そのもの。

家構えや調度品から察するに、かつては商人か中級武士の流れを汲む方の持ち家だったのではないでしょうか。

餃子省 日本庭園

客室からは日本庭園を望むことが出来ます。餃子専門店とは思えぬ佇まい。これが第2の意外性。

因みにこの古民家の廊下にはメダカ鉢が2つありました(笑)。

今回はランチタイムの利用。メニューは古民家ランチ・餃子ランチ・プレミアム餃子ランチ・ラーメンランチの5種。となればここは“プレミアムの一点突破あるのみ!”と一同郎党こちらをオーダーしました。

プレミアム餃子ランチ

こちらがお待ちかねのプレミアム餃子ランチ。お値段1,000円(税別)にしてはかなりのボリュームです。

スープ餃子・肉餃子・カレー餃子・イタリアン餃子・丸ごと海老餃子・酒粕餃子・揚げ餃子の7品12粒の餃子をメインに、サラダ・お惣菜・御飯・お漬物の計11品。

こちらの餃子に共通しているのは、ニンニク不使用のため、とてもあっさりとした優しいテイストであるということ。なのでお子さんからご年配の方、女性にもおススメです。以前食した浜松餃子に共通するものがあり、何粒でも戴けそうな感じです。

勿論ガッツリ系を所望する諸氏にのために、ニンニク使用の肉餃子もしっかり別途メニューにラインナップされています。またランチセットの御飯は大盛無料と嬉しいサービスもあります。

餃子省 特製ラー油

あと餃子には欠かせないラー油にも注目しました。2009(平成21)年に発売された『食べるラー油』が爆発的にヒットして、店頭でもなかなか目にすることが出来ず、ネットオークションで異常な高値で取引された出来事がありましたよね。

小生もその味にはまって、自宅の冷蔵庫に常備させていた時期がありました。餃子省のラー油は特製品ということもあってか、特有の辛味や香り、油のくどさも程よく抑えられ、餃子同様“優しい味”に仕上がっています。少し御飯に掛けてみましたが・・・絶品でした!

でも何より小生が感動したのは、ともすればセットメニューの中で、メインと比して軽視されがちな先付けや香の物にも全く手抜かりが無いこと。口に運べば直ぐに、“手が込んでいる”ことが実感出来るお味です。加えてお皿に南天の枝葉が飾りとしてあしらわれているのも、季節感への心遣いと気配りがあってこそ。これが第3の意外性。色々な意味で大変勉強になりました。

なおこちらのお店は、店主の岩崎さんとお義母さんのお二人で切り盛りされていますので、提供に多少お時間の掛かるのはご容赦ください。またお義母さんがとても明るく笑顔の素敵な方ですので、お義母さんとの軽妙なトークを愉しみに伺うのもまた一興かと存じます(^ ^)

今回は初来店で事前の情報不足ということと時間の制約もあって、元キャラメル王国特製のプリンや餃子省特製ラー油を購入することが出来ませんでしたが、次回は是非実現したいと思います(^^♪

古民家 餃子省

・滋賀県彦根市後三条町573-8
【TEL】  0749-20-6847
【休業日】  月曜/火曜日
【営業時間】 12:00~14:00(オーダーストップ)
       17:30~21:00(オーダーストップ)

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謹賀新年 天上天下唯我独尊 2021

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新年、明けましておめでとうございます。

【湖國風土記寫眞】厳寒の木之本地蔵

お陰様を持ちまして「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」は、本日で開設9周年を迎えました(^^)

昨年は 忍耐の1年 でございました。今年は照干一隅の1年として邁進いたす所存でございます。本年も相変わりませぬご贔屓を賜りますようお願い申し上げます<(_ _)>

今頃極寒の中、地元氏神様の元旦祭に参賀している・・・ハズです。無論、今年は感染対策と“physical distance”を万全に整えて・・・デス(^^)v

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令和貳年 感恩戴徳

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令和の世となり2年目の1年が、まもなく終わりを迎えようとしています。

往く年来る年

本年最後の日は2年振りの大雪となりました。小生の棲まう街もすっかり雪に覆われてしまいました。除雪をしないと生活道路まで辿り着けぬ程です。不要不急の外出は避けた方が賢明でしょう。

さて皆さんにとって今年はどのような1年でしたでしょうか。今年は何と申しましても、日本いや世界はおろか、社会や個人に於いても『新型コロナウイルス感染症』パンデミックに翻弄された1年だったのではないでしょうか。

平和で穏やかな世を願って命名された『令和』は、平成にも増して更に激動の時代を歩んでいる印象を強く持ちます。

新型コロナウイルス感染症は、日本も去ることながら、世界の政治・経済・社会基盤、そしてコミュニティや一個人に対しても、これまでの“平和ボケ”“危機意識の稀薄”“倫理観と思いやりの欠如”に大きな警鐘を鳴らす、天が我々人類に課した大きな問題提起であったように思われます。

小生自身昨年度の大任からようやく解放され、少し落ち着いて暮らせるだろうと思っていた矢先の『新型コロナウイルス感染症』パンデミックでしたので、医療福祉業界に身を置くものとして、心身共に休まる時がありませんでした。そしてその状態は今現在に至っても解消されてはおりません。幸い未だ小生の周囲に感染症の脅威は及んでいませんが、「明日は我が身」との思いで戦々恐々としているのは事実です。

この影響で家族を含め外出は必要最小限に止め、勿論ブログの取材もリスク管理を徹底した一部を除き、事実上休止の状態です。

しかし相変わらず様々な障害や障壁が周囲に渦巻く中でも、貴重な出逢い、新たな価値観への開眼という代え難い財産も得ることが出来ました。人生楽あれば苦あり・・・でも捨てたもんじゃありません(笑)。

この『新型コロナウイルス感染症』パンデミック。最近イギリスを始めとして、欧州や南アフリカで変異種が確認され、ウイルスとして確実に進化を遂げています。よって飽くまでも私見ではありますが、少なくともあと3~4年は混迷を窮め、そして収束しないであろうと考えています。

これまでの様々な既成概念や価値観が瓦解します。真に必要とされないもの、飽和状態のものは全て淘汰されます。古いか新しいかではなく、ホンモノかニセモノか、新たなビジョンでもって新化や進化、深化たらしめるか否かが物事を見極めるバロメーターとなるでしょう。

そしてこれまでとは全く異なる新たな社会構造が構築されていくであろうと考えています。従前の概念に囚われず、それらの動向に敏感に反応し、敏捷に行動し、迅速に順応し、その中でも如何に己が個を発揮出来るかどうかが、今後の生き方のキーワードとなるのではないでしょうか。

加えて新型コロナウイルス感染症は、言わば黎明期のインフルエンザ同様、『新型流行性感冒』とも言い換えられます。時間は掛かろうとも、人類の英知でもって何れ制圧されます。しかし如何に効果的なワクチンや治療薬がもたらされようとも、感染予防や健康健全な生活を送るための鍵となるのは、やはり自身の免疫力(自己治癒能力)向上と秩序ある行動です。正しく怖れ、大量に垂れ流される情報に惑わされることなく、心身ともに真っ直ぐに歩むこと。即ち“自身を整える”ことが肝要です。小生も常にそうありたいと、改めて考える次第です。

この激動の一年、大変お世話になり誠に有難うございました。来年も何卒ご指導ご鞭撻、そしてご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

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甦れ!“アミンチュ”ボンネットバス顚末記~再臨篇

後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

“アミンチュ”ボンネットバスが令和に辿った数奇な運命、第5話“再臨篇”(5回シリーズ)をお届け致します。いよいよ最終回を迎えました。

このボンネットバスの誕生から2017年までの詳細な生い立ちは、以下のリンクの記事をご覧ください。

>>>さらば!愛しのボンネットバス

なおこれまでは村田さんの回顧録的表現を随所に採用致しましたが、今回は小生目線でお届けしますことを予めご了承ください。

新規検査登録をパスしてから凡そ1ヶ月後の2020(令和2)年9月20日。10月に復活御披露目運行を控え、実質的な公試運転に臨みます。

BXD30 フロントフェイス

公試運転とは自動車用語ではありません。実は船舶用語でして、船舶建造の最終段階で行う性能試験を指し、新造または改修を受けた船舶が全てに於いて所定の性能を有するか否かを確認する最終テストのことです。

小生はこのBXD30を船舶になぞらえて、事故でドック入りしてから様々な艱難辛苦を乗り越え、再び外洋へと旅立つ前に、今まさに試験航海に挑む・・・そのような視線で眺めておりました。

心なしかフロントフェイスがより引き締まって見えます(笑)。

BXD30 側面方向幕

公試運転に出発する前の束の間、工房前に駐機していたBXD30を見学させて戴きました。

BXD30の側面です。現在のバスには無い、丸みを帯びた人懐っこいレトロなスタイルを随所に散りばめています。特に屋根に近い部分にある角の丸い小さな窓は通称“バス窓”と呼ばれ、昭和中期に製造されたバスの象徴的形態の1つ。同時代の鉄道の気動車(ディーゼルカー)にも採用されていました。

また“暗礁篇”では正面の行先方向幕について触れましたが、側面の方向幕にも拘りのオマージュが施されています。

そう言えば『終点なのに“途中”とはこれ如何に』なんて洒落がありましたよね(笑)。

BXD30 運転席

これまで主に外装の話題が中心でしたので、ここは車内をリポートしたいと思います。

こちらは運転席。小生が彦根ご城下巡回バス時代に乗車した際の状態をほぼ保っています。

電子機器が全く搭載されていないBXD30は、運転席周りの配置が実にシンブルです。

因みにこのバスがピットインした際、クラッチペダルに“下駄”が履かされていたそうです。村田さんの見立てでは、クラッチペダル関連の部品の消耗劣化等で一番奥まで踏み込まないとクラッチが切れない状態のようであったので、応急処置的に施されたのではとのこと。小生は「運転手さん、踏み込みに足が届き切らなかったのかな」との見立て(笑)。

今となっては真相は定かではありません。

BXD30 車内前方

こちらは車内の前方。今となっては板張りの床が逆に新鮮ですね。昭和中期のバスは木製の床がごく一般的で、特に水に濡れると滑りやすかったことから、小生も雨の日によく足を取られたことを懐かしく想い出されます。

天井には扇風機が点在して設置されています。若い世代の方々には、エアコンが標準装備されていない自動車なんて想像出来ないでしょうね(因みに扇風機は標準装備ではなく後付けです)。

なお屋根にはベンチレーター(換気装置)が装備されており、これに“窓を全開”で昔の夏は凌げていたのですね。

BXD30 車内後方

こちらは車内の後方。ワインレッドのモケットと白のシートカバーがレトロ感を掻き立てます。フロントガラスも去ることながら、リアの丸みを帯びたガラスの造形も職人づくりならでは。今新たにこれを再現することは、恐らく不可能でしょうね。先程の側面の写真より、こちらの方がバス窓の様子がよく解ります。

天井の両脇に額縁状のものがありますが、これにはこのBXD30がこれまで歩んできた歴史。貴重な写真が展示されています。

BXD30 公試運転走行シーン

さていよいよ公試運転に出発です。目的地は大津市。今回この公試運転の同乗取材を特別に許可戴きました。これまたマニア垂涎の一番前の席に着座。この席に座るのは実に12年振りです。

加えてブログ開設8年目にして初めて動画掲載を試みました。こちらは県道42号を近江大橋方面へ疾走する光景です。

流石にBXD30は半世紀以上昔の産物ですから、現代の自動車にスイスイと追い抜かれてしまいます。ですが新たなDA640型・直列6気筒ディーゼルエンジンという心臓を得て、重厚で力強い咆哮を上げています。

もともとこのDA640型が後期型の5速変速機対応のため、4速のBXD30では些か伸びの無い苦しそうな唸りを上げているようにも感じます。約1分の短い動画ですが、是非ノスタルジックなサウンドを大音量でお愉しみください。

さてBXD30には公試運転の他にもう1つ、重大なミッションが課せられていました。

BXD30 全景

それは何と、滋賀県警察大津警察署が主催する令和2年度・秋の全国交通安全運動のイベントに花を添えること。守山から大津警察署を中継して、イベント会場のブランチ大津京までの往復33kmの行程をこなさなけれはなりません。

しかも警察主催のイベントですからノントラブルでの運行を期待されますし、ましてや交通事故なんぞあり得ません。BXD30にとっても、村田さんにとっても緊張の1日であったことは想像に難くありません。

しかしそのような不安を他所に、BXD30はその2つの大任を見事に果たしてくれました。これで名実共に完全復帰のお墨付きを得たのです。

BXD30 車台番号票

その後時折機嫌を損ねることもありましたが、10月3日と12月6日に実施された公式の復活運行を大過なく無事務めあげました。

『機械も生き物も、人間が悪さをしない限り、ちゃんと愛情を注いでやれば、必ずそれに応えてくれる』ことを久々に実感したドラマ模様でした。

今後もこの“アミンチュ”ボンネットバスの行く末を見守っていきたいと思います。

二輪工房 代表 村田一洋 氏

今回“アミンチュ”ボンネットバスを窮地から救った、再生プロジェクト最大の功労者。二輪工房の代表・村田一洋さんです。

実はBXD30を引き取る前から、既にBXD20というボンネットバスを所有されています。正直個人でバスを2台維持するというのは並大抵のことではないと仰られます。ですが何とか還暦を迎えるまでは孤軍奮闘したいとも、また『自動車やバイクの保存は動態で維持してこそ価値があるので、どんな形でも結構ですから応援して欲しい』とも話されていました。

なおこのBXD30を含む2台のボンネットバスは、公式な復活運行時を除いて原則非公開となっています。

見学を希望される際は、必ず事前にホームページ(下記バナーリンク)からお問い合わせください。

2019ミスユニバーシティグランプリ 長澤佳凜さん

最後にオマケ(笑)。

大津警察署主催の秋の全国交通安全運動イベントでは、2019ミスユニバーシティグランプリにして大津市在住・立命館大学生の長澤佳凜さんが1日警察署長を務められました。

イベント会場では長澤さんの周囲に黒山の人だかりが・・・実際イベントに花を添えたのはやっぱり・・・などと言ってしまうと頑張ったBXD30が可哀想ですね(苦笑)。

小生は芸能界を始めこの手の話題に疎いので、興味をお持ちの方はググってみてください。

第1回復活運行【2020年10月3日 江若交通 堅田営業所】
※BXD30前面に掲出の「10-74」緑ナンバーは撮影用のダミーです。

実は取材を敢行したのはたったの1日。おまけに村田さんへのインタビューも、その日の早朝6時30分からお願いした約2時間半のみという強行スケジュール。

当初は1回に集約したダイジェスト記事を執筆する予定でした。しかし村田さんのお人柄、熱意、小生同様無類のマニア気質(笑)。そして何よりもこのボンネットバスに込めるこの上ない愛情と情熱に感銘し、「これはダイジェストで収まらない」と判断。今回の長篇シリーズ実現の運びとなった次第です。

また執筆側の勝手な思い込みやエゴイズムが、却って取材対象者の不利益や精神的苦痛をもたらすことを改めて知る良い機会となり、記事公開にあたっては村田さんと情報の符合や修正、内容の精査を慎重に行いました。

今回村田さんから戴いた一通のメールから、この記事が実現しました。もし皆様の周囲に、滋賀に埋もれたディープな話題がございましたら、是非「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」までお知らせください。お待ち申し上げております<(_ _)>

 【おしまい】

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甦れ!“アミンチュ”ボンネットバス顚末記~暗礁篇

後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

“アミンチュ”ボンネットバスが令和に辿った数奇な運命、第4話“暗礁篇”(5回シリーズ)をお届け致します。

このボンネットバスの誕生から2017年までの詳細な生い立ちは、以下のリンクの記事をご覧ください。

>>>さらば!愛しのボンネットバス

2020(令和2)年5月12日。大規模な工程もほぼ終わり、再生作業もいよいよ千秋楽モードに。

部品取車から流用したパーツと修正部位を合体させ、新生左側フロントフェンダーを仮組します。

フロントフェンダー仮組①

「あっ!」

「ん~・・・んんん???」

ここで初めて左右のフロントフェンダーの形状が微妙に異なるのに気付きます。

フロントフェンダー仮組②

こちらが損傷の無い方の、現車の右側フロントフェンダー。

フロントフェンダー仮組➂

そしてこちらが部品取車から移植した左側フロントフェンダー。

どうも後期モデルであった部品取車の当該パーツは、外郭部分がやや角ばってるようです。

当初はこれで良しとしようと思ったのですが、ここまで色々と拘って作業を進めてきましたし、何より見れば見る程左右のバランスの違いが気になってしまい・・・また振り出しに戻ってしまいました(泣)。

エンブレム類メッキ仕上

2020(令和2)年6月2日。直ぐに解決しない左側フロントフェンダー問題は取り敢えずペンディングにして、他の細かな作業を進行させます。

今回はエンブレム等の再メッキ仕上を完了させました。

フロントフェンダー正規品

2020(令和2)年6月9日。形状が気に入らない左側フロントフェンダーの問題。各方面で中古パーツの調達を試みましたが、そこは半世紀を優に超えるオールドタイマーを構成するメインパーツ。そう容易く手に入れられる訳もありません。

途方に暮れ、他に着手可能な作業も底を尽き、いたづらに時間だけが経過していきました。

再生作業が暗礁に乗り上げてから約1ヶ月半、事態は一転します。

とある関東在住のバスマニアの方がこの窮状を聞きつけ、何と正規品の中古パーツを寄贈してくださったのです。これで停滞していた再生作業が、一気に最終段階へとシフトします。

フロントフェンダー再取付

2020(令和2)年6月10~11日。早速届いた左側フロントフェンダーの正規品を修正箇所に取付。流石は正規品、収まりも見た目も申し分ありません。

最終塗装

2020(令和2)年6月21日。ようやく最終塗装の段階まで漕ぎ付けました。完成まであと一息です。

皆さん、一寸した変化にお気付きですか?入庫した際“ブルーメの丘”だった正面の行先方向幕に“途中(とちゅう)”の文字が!

勘の良い方はもうお解りですよね。これは江若交通時代のオマージュの1つ。大きな作業の裏で、このように細かな“痒い所に手が届く”部分の作業も着々と進められていました。

再生作業完了

2020(令和2)年7月14日。一部の細かな調整を除き、大掛かりな作業は概ね完了しました。因みにこの日、村田さん5?歳(笑)の記念すべき降誕会。

行先方向幕が“和迩(わに)駅”に変わっているのはご愛嬌です。

新規検査登録完了

2020(令和2)年8月24日。生憎の天気でしたが、守山市の近畿運輸局滋賀運輸支局にて新規検査登録が無事完了。これで晴れて再び公道を走行するお墨付きを得ました。

登録番号(ナンバー)は希望で10-74を取得。そう、かつて江若交通時代に冠していたものと同じ数字です(厳密には当時冠していた営業ナンバー、所謂緑ナンバーではありませんが・・・)。

このナンバーの数字。村田さんの誕生日の数字ともリンクして、勝手に運命を感じてしまった!・・・とのことです(笑)。

悪夢のような事故から約1年余り。数々の苦難を乗り越え、死出の淵から這い上がってきた“アミンチュ”ボンネットバス。その雄姿を再び日の下で輝かせることが出来るのか、果たして・・・。

 【次回、最終回“再臨篇”へ続く】

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甦れ!“アミンチュ”ボンネットバス顚末記~回帰篇

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“アミンチュ”ボンネットバスが令和に辿った数奇な運命、第3話“回帰篇”(5回シリーズ)をお届け致します。

このボンネットバスの誕生から2017年までの詳細な生い立ちは、以下のリンクの記事をご覧ください。

>>>さらば!愛しのボンネットバス

車体塗装作業①

2020(令和2)年3月30日。約40年間親しまれた赤・白・黒のトリコロールカラー。長年の風雨に堪え、随分と色褪せています。事故での損傷とも相まって、焦燥感が強く漂っています。

ふと村田さんは「もうこの塗色はいいんじゃないかな・・・」と思い、あることを企図されます。それは“原点回帰”。

ガラスや方向幕、灯火類をマスキングし、塗装作業の準備完了。工房には塗装専用のブースを併設していないため、露天もしくはピット内での作業となります。

車体塗装作業②

先程の原点回帰の企図とは、ペールグリーン地にミッドナイトブルーの帯を配した江若交通時代のカラーリングを再現すること。

村田さんは湖南圏育ちのため、馴染みのバスといえば近江鉄道(それも昭和カラー)。湖西エリアをフランチャイズとする江若交通とは縁も所縁もありません。当然のことながら、当初は登場時への回帰は全く念頭に無かったそうです。

しかし或る時。とあるボンネットバス愛好家のご重鎮より「そら~元の色、江若色にせな意味ないやろ~」との一言を掛けられ、すんなり得心されたとか。

とはいえ、昨今は何かと権利関連が厳しい時代。まずは筋を通さねばと、大津市真野にある江若交通本社を電撃訪問。丁度当年は江若交通創立100周年という節目の年でもあったため、この格好の機会に一縷の望みを託しました。

車体塗装作業➂

実は塗装変更を決意された理由がもう1つありました。

それはかつての彦根ご城下巡回バス時代のラッピングの痕。ガラス部分のラッピングの剥離は比較的容易なのですが、車体のラッピングはフィルムの粘着や塗装の日焼けで完全な除去は物理的に限界がありました。

加えてラッピング痕をそのままにしておくのは、前所有者との間でトラブルの原因ともなり兼ねませんでした。

ブルーメの丘ではこれに対処するため、別のラッピングを上から重ね張りしていた位ですから、ラッピングというのが何かとクセモノであることが伺い知れます。

車体塗装作業④

江若交通への電撃嘆願から約1ヶ月。残念ながら、現在同社の親会社である京阪ホールディングスからの許可が下りなかったとの回答がありました。

親会社から色よい返事が戴けないことを、村田さんはある程度想定されておられたとか。ですがその結果が却って、これまで全く馴染みが無かったにも関わらず、何故か余計に「100年続く江若さんをもっと応援したい」との気持ちを強くされたそうです。そして、このことを通じて江若交通との人的パイプが出来たことが大きな収穫だったと振り返られています。

「これは県民である私に、このバスの行く末を託された宿命に違いない」と。まさに孔子曰く、『五十而知天命、六十而耳順(五十にして天命を知る、六十にして耳順う)の境地ですね(笑)。

それはさておき、「さてどうしたものか・・・」

思案に思案を重ね、ある結論に至ります。それは・・・

車体塗装作業⑤

「忠実再現が不可能なら、オマージュ(原型に尊敬を込めた)スタイルにすれば良い!」

早速近似色の選定とカラーパターンの検討に入ります。そして5月のゴールデンウイークから、側面デザインに着手。その結果・・・

車体塗装作業⑥

アイボリー地にインディブルーの帯を配した、新しくも江若交通時代当時をも彷彿とさせるカラーリングに落ち着きました。

まさに“温故知新、ここに窮まれり”です(笑)。

車体塗装作業⑦

修繕中のフロント部分が隠れた後方からの1枚。1966(昭和41)年にいすゞの工場でロールアウトした当時は、こんな姿をしていたのかも知れません。

この塗装作業が行われていた時は、まさに世は新型コロナウイルス感染で全国的に非常事態宣言による自粛ムードの真っ只中。引き籠りを余儀なくされたのが、幸か不幸か却って作業に専念出来たとのことです。

さて、いよいよBXD30の再生プロジェクトも最終盤。この後、まさかの大きな障害が待ち受けていようとは、この時知る由もありません。

 【次回、“暗礁篇”へ続く】

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甦れ!“アミンチュ”ボンネットバス顚末記~躍動篇

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“アミンチュ”ボンネットバスが令和に辿った数奇な運命、第2話“躍動篇”(5回シリーズ)をお届け致します。

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エンジン換装②

2020(令和2)年1月19日。昨年末に部品取車から降ろしたエンジン。BXD30と同形式のDA640型・直列6気筒ディーゼルエンジンですが、こちらは後期型で5速ミッションに対応しています。

まずは手直し修正、清掃を行い、新車時に塗装されていた近似色で再塗装。まるで新造(!)のような輝きです。

部品取車解体

BXD30に多くの恵みを与えてくれた部品取車・TXD60は、再生支援の役割を終え、1月2日より解体作業を開始。

左ハンドル車であることがよく解る1枚。台車状態となり1900年代初期当時の自動車のような姿ですが、昔の車は武骨なまでにフレームがしっかりしています。

さぎっちょ(左義長)

ついにこの時を迎えました・・・解体作業最終日。翌日に点火を迎えるさぎっちょ(左義長のこと。地域によりどんど・鬼火とも。門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、焼くことによって炎とともに見送るという小正月に行われる行事)の準備が、工房裏の田圃に設けられていました。

これも何かの思召し?・・・かと(笑)。歳神様とともにTXD60への感謝の気持ちも捧げることに。

有難うTXD60よ、永遠(とわ)に!

エンジン換装➂

1月31日。BXD30に新たな心臓を移植。換装作業は何時もの提携大型整備工場にて実施。

因みに5速ミッションへアップグレードという選択肢もありましたが、ここはオリジナルを踏襲して4速のままとしました。

ホイール修正①

2月22日。エンジン換装も無事に完了し、次はホイールの修正、清掃、塗装に着手。美しく塗装されたホイールには新品タイヤを奢りました。

ホイール修正②

『何時の日か私の想いを継ぐ“湖國人”の誰かが、このバスを引き継ぎ、何かしらの時に・・・』との思いから、日付と名前を記載。通常見えない箇所にそこはかとなく書いたとのこと。

神社仏閣の『開創〇〇〇年大修理』に携わる職人が、建物の大梁に掲げる祈祷札に込める想い・・・といったところでしょうか(笑)。

全部品仮組

2月27日。損傷部分の大まかな修繕を終え、各部品を仮組。往時の姿を取り戻しつつあります。あともう一息です!

 【次回、“回帰篇”へ続く】

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甦れ!“アミンチュ”ボンネットバス顚末記~邂逅篇

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彦根ご城下巡回バス

さて皆さん、この昭和レトロの魅力を凝縮したボンネットバスを覚えていらっしゃいますでしょうか?

2017(平成29)年10月29日の運行をもって彦根ご城下巡回バスを引退したいすゞ自動車BXD30型。このバスは1966(昭和41)年に江若(こうじゃく)交通の路線バスとして導入されて以降、半世紀以上唯一無二で滋賀を離れることなく活躍した、滋賀生まれ・滋賀育ち、生粋の“アミンチュボンネットバスなのです。

このボンネットバスの誕生から2017年までの詳細な生い立ちは、以下のリンクの記事をご覧ください。

>>>さらば!愛しのボンネットバス

さて引退後はその去就が注目されていました。ですが幸いにも滋賀農業公園ブルーメの丘で引き取られることとなり、最寄駅である近江鉄道・日野駅との無料シャトルバスとして再就職が決定。2018(平成30)年3月17日より、土・日曜日/祝日限定で1日3.5便の運行を開始しました。

ファミリー層に人気のアミューズメントスポットということもあってたちまち人気者となり、従前と比較して稼働率や運行距離も低減されたことから、ゆっくり余生を過ごしているものと思っていたのです。ところが・・・

今回は、その後“アミンチュボンネットバスが辿った数奇な運命のお話を5回シリーズでお届け致したく存じます。なお今回の記事執筆に際し、取材並びに資料提供に全面的にご協力戴きました二輪工房(守山市)代表・村田一洋様に、この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

ブルーメの丘による運行開始から約1年3ヶ月後の2019(令和1)年6月29日。このBXD30にとって人(車?)生最大の危機が突如として訪れます・・・交通事故です。

事故車両現状

10月15日。これまでブルーメの丘と懇意にされてきた村田さんが、事故後のBXD30に初対面。見るも無残、満身創痍・・・他に言葉が見つかりません。この時何処からか『連れて帰って・・・』と声が聞こえたような気がしたそうです。

ブルーメの丘サイドとしては、復活運行のために様々な可能性を模索されたそうです。しかし修繕に要する費用と期間、その後の維持も含め総合的に判断した結果、手放さざるを得ないという結論に至ったとか。またこのバスには代々の所有者に課せられた約束事項として、『決して“滋賀から外に嫁がせてはならない”』という不文律の条件がありました。よって多方面から問合せが殺到したものの、既にBXD20というボンネットバスを所有・維持され、実績・信用・条件共に合致する村田さんにお声掛けされたそうです。

バス1台、個人で維持するだけでもかなりの負担です。それをもう1台、然も今回は再生作業という高い壁が重くのしかかります。でもこのBXD30には特別な思い入れもあります。大破したとはいえ、昨今のFRPや軽量鋼板を多用した車輛にあって、昔ながらのスチール製の頑丈な車体であったからこそ、この程度の損傷で済んだとも考えられます。村田さんは相当悩まれたそうです。

事故車両回送

10月19日。BXD30の譲受を決意された村田さんは、事故車輌を引取り回送。早速守山市の提携大型整備工場へ入場させました。日の下に晒されると、損傷箇所の痛々しさが際立ちます。

部品取車回送

11月4日。全国のバス愛好家の皆さんからの熱意溢れる協力・支援・情報提供により、四国(徳島県)で露天保管されていたいすゞTXD60トラックを部品取車として譲受。

日帰りで滋賀へ回送。BXD30のサスペンション(リーフスプリング/板バネ)のコンディションが予想外に悪く、急遽部品取車より足回り等を流用することとし、脱着・換装を提携大型整備工場で実施。その後、二輪工房へ自走により回送。後日部品取車も回送されました。

外装修正①

12月1日~12月22日。今回の再生作業の最大の肝である左側フロントフェンダーの仮組、修正等の作業を開始。部品取車より取り外した左側フロントフェンダー部を修正・仮組します。

この左側フロントフェンダー、ご覧の通り何時修繕されたものかは定かではありませんが、既に上部に一枚鉄板が貼られていました。それを剥離すると何と腐食だらけに大穴も開いており、まずはこの部分の修正に着手。車体との接続部の形状が全く合致せず、大苦戦を強いられます。

外装修正②

BXD30の修正不能となったフェンダーの一部分(黒色部)を切り取り、接合させてみることに。真横から見ると、それなりに見えます。大穴には鉄板を切り継いで修正。

外装修正➂

部品取車は特装車(散水車)という性質上左ハンドル仕様であったため、インナーフェンダー(フェンダーの内側を傷から守り、車内に泥が入り込まないようにするための内張り)の形状が通常と全く異なりました。

よって流用が効かないため、グニャグニャに曲がってしまっていた元のインナーを引っ張り出し修正しました。

外装修正④

その後、仮付けしたフェンダーとボンネットのチリ(隙間)を合わせるため、グラインダーで削ります。

この気の遠くなるような外装修正作業自体が、最後の最後で思わぬ大誤算を生む結果をもたらすとは、この時点で知る由もありません。

エンジン換装①

12月29日。大晦日迫るこの日、世間は令和初の正月を迎えんとするムードの中、村田さんは何とこのような重整備に着手。

この部品取車、露天保管で古いにも関わらず何と実走行7,000kmの超が付く程の掘り出し物。サスペンション同様コンディションの良くなかったエンジンも、BXD30に換装することを(年の瀬の押し迫ったこの時期に(笑))突如として決意&断行されることに。

ミッション(変速機)と合わせて約900kgの鉄塊と大格闘。取り外したところで2019年の作業は終了となりました。

ここで村田さんの名言。『大型車修理は体力と気力が勝負です!』

 【次回、“躍動篇”へ続く】

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湖國忠犬物語(後篇) “小石丸”の伝説

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さて今回は、人間と古来深い繋がりを持つ犬、それも忠犬と呼ばれる選ばれし犬に纏わるお話の3回シリーズ最終幕をお届け致したく存じます。

先日お届け致しました小白丸のお話ですが、何と実は似て非なるお話・・・すなわち異説が存在するのです。

犬上神社(大瀧神社境内社)

ここは中篇でご紹介致しました小白丸勇戦の地に鎮座まします大瀧神社。その境内社に犬上(いぬかみ)神社があります。御祭神は稲依別王(イナヨリワケノミコ)。滋賀では伊吹山の白猪征伐で有名な、彼の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の第一皇子にあたります。

大瀧神社の縁起によると、その昔稲依別王という若くて強い人物がこの辺りを治めていました。稲依別王は小石丸(こいしまる)という、これまた強くて賢い犬を大事にしていました。狩猟の度に必ず獲物を捕らえることから、小石丸の評判は近隣に知れ渡っていました。

ある時、稲依別王は村人が「川の上流に大蛇が棲みつき、また一人淵の近くで姿を消した」と訴えて、毎日恐怖に慄いていることを耳にしました。そこで早速小石丸を連れて、大蛇退治に出掛けました。

小石丸絵馬

ところが七日七晩も山中を探し回ったが、大蛇はおろか虫けら一匹出てきません。疲れ果てた稲依別王は、川沿いにある松の大木の根もとで眠りこけてしまいました。

するとその夜に限って、小石丸が激しく吠えたてました。稲依別王は何とか小石丸をなだめようとしますが、一向に泣き止もうとしません。立腹した稲依別王は腰の刀を抜くや否や、小石丸の首を刎ねてしまいました。

大蛇ヶ淵(犬上川)

すると小石丸の首は凄まじい勢いで宙を飛び、松の梢に消えました。しばらくして、ヒヒの頭とも思しきお化け大蛇が、淵へと落ちていきました。その喉元には小石丸の首が、しっかりと喰らいついていました。

何と小石丸は大蛇が松の梢から稲依別王を狙っていたことを察知し、主人に窮地を知らせるために吠えたてていたのです。

稲依別王は自身の短慮を恥じ、小石丸に心から詫びました。そして小さな祠を作って、小石丸を祀りました。それが大瀧神社境内社の犬上神社と伝えられています。

犬胴松(犬胴塚)

松の大木の近くには小石丸の胴体を埋め、ねんごろに葬りました。それが現在の犬胴塚と伝えられています。

犬上神社元社(小石丸祠)

そして小石丸の首を埋めたのが、犬胴塚より川の対岸にある現在の犬上神社元社(小石丸祠)と伝えられています。

この悲しくも凄惨な事件の舞台となった地は現在大蛇ヶ淵と呼ばれ、晩秋には紅葉の大変美しい景勝地となっています。かつてはその名に恥じぬ大瀑布でしたが、日本で最初の本格的農業用コンクリートダム・犬上ダムが上流に昭和21(1946)年12月に竣工したため、残念ながら放流時を除き、その激流ぶりを垣間見ることは出来なくなってしまいました。

その後、稲依別王は穀物神として信奉され、近江の地が穀倉地帯として発展していくうえでの拠り所となりました。

・・・と何時もならここでお話は“メデタシメデタシ”となるのですが、実はこのお話にも異説・・・即ち異説の異説が存在するのです。

お話のスジはほぼ同じですのでここでは省略致しますが、小石丸の飼い主が異なります。

『近江與地志略』に因りますと、飼い主の名は犬上君(いぬかみのきみ)。この人物、前述の稲依別王の末裔とされています。

犬上君は古代、現在の彦根市や犬上郡を中心に勢力を誇っていた豪族で、滋賀県下で墳丘の規模第2位を誇り、平成23(2011)年に国の史跡に指定された荒神山古墳(彦根市)の被葬者では?とも言われています。

子孫の犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)は小野妹子に次ぐ副使として遣隋使に参加し、後に遣唐使最初の大使も務めています。また御田鍬の子・犬上白麻呂(いぬかみのしろまろ)も遣高句麗使に任ぜられるなど、犬上氏が如何に古代日本に於いて重責を担っていたかが伺い知れます、

犬上君御館址傳説地

さて犬上君は現在の犬上郡豊郷町八目(はちめ)に居を構えていたと伝えられています。

犬上君は根っからの犬好きで、沢山の猟犬を飼っていたそうです。自身の短慮ゆえの結果とはいえ、小石丸を失った悲しみは深く、首を持ち帰り居館近くにねんごろに葬りました。

犬上神社(豊郷町八目)

それが。八目に鎮座まします犬上神社であると伝えられています。犬上神社の御祭神は、こちらも稲依別王。犬上君は特に農政に尽力し、実り豊かで肥沃な土地へと発展していきました。このことからこの地は「稲王(いなきみ)」と呼ばれ、後に「いねかみ」「いぬかみ」と訛って現在の地名になったと言われています(諸説あり)。

3回シリーズでお届けした湖國の忠犬物語ですが、蓋を開けてみれば「全ては繋がっている」という妙な結論となりました。どのお話が本筋なのかは定かではありませんが、ヒトとワンコの絆は古(いにしえ)より愛おしい程に強く結ばれていることだけは事実なようです。

大瀧神社(瀧之宮)/犬上神社・元宮犬胴塚大蛇ヶ淵

 滋賀県犬上郡多賀町大字富之尾1585
【TEL】0749-49-0004

犬上神社

 滋賀県犬上郡豊郷町大字八目41
【TEL】0749-35-8114(豊郷町観光協会)

犬上君御館址傳説地(犬上の君屋敷跡公園)

 滋賀県犬上郡豊郷町大字八目138
【TEL】0749-35-8114(豊郷町観光協会)

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湖國忠犬物語(中篇) “小白丸”の伝説

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さて今回は、人間と古来深い繋がりを持つ犬、それも忠犬と呼ばれる選ばれし犬に纏わるお話の3回シリーズ第2幕をお届け致したく存じます。

舞台は長浜から大きく南下致しまして、湖東エリアは犬上郡多賀町を訪れております。

その昔、この地に小白丸というとても利口な犬を連れた猟師がおりました。

瀧之宮(大瀧神社)

或る時、猟のため山に分け入り、瀧之宮(現在の大瀧神社)の辺りに差し掛かりました。

そして川沿いの岩陰(一説には木陰)で昼食を摂ると、そのままウトウトと寝てしまいました。

しばらくすると突然小白丸が狂気の如く吠え出しました。

小白丸(イメージ)

猟師は驚いて目を覚まし、身を起こして周囲を見回しました。しかし日差しは暖かく川音はのどかで、何ら変わったところはありません。

再び横になろうとしますが、小白丸は途端にけたたましく吠え立てます。

余りのしつこさに憤慨した猟師は、思わず山刀を抜き、何と小白丸の首を刎ねてしまいます。

すると小白丸の首は血煙を曳きながら宙に跳び上がり、猟師の頭上にある木の茂みへ と消えていきました。

大蛇の淵(犬上川)

すぐさま茂みから凄まじい音とともに、1匹の大蛇が現れました。何と小白丸の首は大蛇の喉元にしっかりと喰らいついていました。大蛇は苦しみのた打ち回り、やがて眼下の淵へと落ちていきました。

小白丸は自らの生命を賭して、猟師の危機を救ったのです。

犬胴塚

深い後悔と自責の念に駆られながら、猟師は小白丸の胴体を瀧之社の傍に葬り、目印に松の木を植えました。 やがて目印の松は大木となり犬胴松と呼ばれていましたが、今は枯れてしまい、幹の根元だけが残っています。

因みにこの小白丸。実は前回の記事で紹介した忠犬・目検枷(めたてかい)の子なのだそうです。血は争えないと申しましょうか、忠犬の子は忠犬と申しましょうか・・・最期も同じく壮絶であったというのは、何とも悲しいお話ですね。

大瀧神社(瀧之宮)

 滋賀県犬上郡多賀町大字富之尾1585
【TEL】0749-49-0004

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