Daily Archives: 2023年5月3日

大津百町漫歩(3)“小町塚”の伝説

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

皆様、前回より約3ヶ月足らずのご無沙汰でございます。年度変りの時期というのは毎度ロクでもないことが起こるものでして、仕事の変化や体調不良。身内の不幸や周辺の様々な喧騒、加えて今回は例年にない激しいアレルギー症状や全国統一地方選挙(?)、おまけにブログ全体に及んでいたシステム障害の是正や貧乏な日々等々、記事を執筆する暇もございませんでした(笑)。で、ようやくすこ~し微速前進出来つつある次第でございます。

さて勿論、今回も旧大津宿界隈漫ろ歩きの顛末でございます。

前回の巻は『小町湯』の名に一抹の疑問を抱きタイムオーバーと相成りました訳でございますが、今回はこれを解決に導くお話(となるハズ)です。

京阪電鉄石山坂本線・びわ湖浜大津駅から距離約1.2km/高低差約40mの勾配を徒歩行軍で心神耗弱という轍を再び踏むのは愚の骨頂・・・ということで、旅のスタートはびわ湖浜大津駅より京津線を1駅、上栄町駅まで乗車して目的地までの2/3の移動をクリアしました。

関蝉丸神社鳥居

上栄町駅から登り勾配の街中を約500m。10分余り歩くと、京阪電車沿線から直ぐ境内へと進入する参道踏切に出逢います。

こういう情景は国内各所にあり、とても風情を感じますね。近隣ではJR草津線の甲賀市沿線や岐阜・西濃鉄道等でも見受けられます。

今回の目的地はここ、関蝉丸(せきせみまる)神社です。

蝉丸とは皆さんよくご存じ、小倉百人一首所載の『これやこの 行くも帰るもわかれては 知るも知らぬも逢坂の関』で滋賀でも馴染み深い、平安時代前期の歌人にして琵琶法師です。

主祭神は上社が猿田彦命(サルタヒコ)、下社が豊玉姫命(トヨタマヒメ)で、交通の要衝であったここ逢坂山(おうさかやま)で旅人の安全を祈念して祀られました。なお蝉丸はこの二柱が鎮座するこの地に住んでいたという縁で、死後に合祀されたとのこと。

関清水社

今回の目的は下社のみ。上社はまたの機会にということで(決して上社が山上に鎮座しているので嫌々避けた訳ではございません)。参道を進むと傍らに小さな祠と井戸があります。

下社はかつて関清水大明神 蝉丸宮と称し、この小さな祠がその名残りを伝えています。

龍神様をお祀りするこの関清水社の井戸は、約半世紀足らずまで豊かな水を湛えていましたが、徐々にその水量を減じ、現在は完全に枯渇しています。令和2(2020)年12月には井戸の掘削作業が実施されましたが、期待に届く水量を得ることは出来なかったようです。

何が原因かは不明ですが、水脈というものは少しの環境の変化でも水量に大きく影響を来しますから、更なる掘削だけでは根本的な解決とはならないのかも知れません。

近年クラウドファンディングで修繕費を募られましたが、目標の半分にも届かなかったとか。祠は新調されましたが、関清水社の前途は依然として厳しそうです。

関蝉丸神社下社 本殿

関清水社の奥に更に厳しい状況に晒されているのが、関蝉丸神社下社の本殿です。

蝉丸が合祀された後、天禄2(971)年に円融天皇(えんゆうてんのう/平安時代中期・第64代天皇)から下された綸旨により、歌舞音曲の祖神としても信仰されるようになりました。  

以後音曲芸道に携わる人々が全国から参拝に訪れ、室町時代以降は関所を通行する際に身分証明となる、また芸人が諸国での興行を保証する大切な免状を発行する役割をも担っていました。

そして現代では、平成27(2015)年から令和4(2022)年まで、「芸能の祖神を蘇らせる」をテーマに、毎年5月関蝉丸芸能祭が開催され、能や雅楽、ジャズに至るまで幅広いジャンルの催し物が演じられていました。

このように関蝉丸神社下社は全国各地の芸人と繋がり、その暮らしを支え続けるという歴史を紡いできました。

しかし時代と共に蝉丸信仰も衰退。加えて正統な宮司家の断絶に伴う長期に渡る宮司不在。氏子の高齢化と氏子離れも相俟って、荒廃の一途を辿ります。

こちらもクラウドファンディングが試みられましたが、関清水社の結果と同様に終わったようです。完全な修繕整備には1億円もの費用を要するとも言われており、信仰の護持が如何に困難であるかを物語っています。伝統と由緒ある文化財がブルーシートに覆われている姿は、とても胸が締め付けられる思いです。

小町塚

ようやくタイトルの本丸に到達です(笑)。本殿の北側の山道を少し進むと、1m程度の自然石の碑があります。

これが小町塚で、塚の下部にはあの有名な「花濃以呂は 宇つりにけりな いたつらに わか身世にふる なかめせしまに」の句が刻まれています。

和漢三才図会』(わかんさんさいずえ/江戸時代中期に寺島良安により編纂された日本の百科事典)によると、小野小町は逢坂山で69歳で亡くなったと記載されています。出生地は鳥居本小野宿(現在の彦根市小野町)だという伝説があり、現在でも小野塚と称する地蔵堂があります。

かつて大津市逢坂2丁目付近には関寺(せきでら)という寺院があり、老衰零落した小野小町が同寺の近くに庵を結んでいたとする伝説があり、その様子は謡曲『関寺小町』に美人の末路の悲哀が伝えられています。

その小町庵が、明治維新以前には境内の御輿庫の裏手にあったとも伝えられています。

大津市大谷町にある月心寺には、小野小町百歳像が安置されています。

あの銭湯の創業者は彼の『関寺小町』になぞらえ、歴史と洒落に長けた人物であったに違いないと小生は信じたいです。

関蝉丸神社下社参道

現在この光景を見ることは出来ません。京阪電車800系は京阪本線一般車両新塗装への統一化に伴い、写真の初期塗装は消滅してしまいました。

琵琶湖をイメージしたパステルブルーとグレーホワイトを主に、染物由来の色であり京津線のラインカラーでもある苅安色(かりやすいろ/黄色)の帯は、一見奇抜に見えて、とても大津の街並みに馴染んでいました。

しかし時代は私達の懐古趣味を置き去りに、どんどん突き進んでいきます。

以前どなたかが「存するために補助を必要とする文化は保護するに値しない」と話しておられたことを記憶しています。当時は「何と冷たい言葉だろう」とは思いましたが、顧みれば最も現実を見据え、的を得ているのかも知れません。

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関蝉丸神社

【上社】滋賀県大津市逢坂1丁目20番地
【下社】滋賀県大津市逢坂1丁目15番地6
【TEL】077-524-2753(滋賀県神社庁:平日9時 ~17時)

【次回、大津百町漫歩(4)をお愉しみに・・・】

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