アマビエより最強!?“元三大師”の伝説(後篇)

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引き続き、アマビエより最強!?“元三大師”の伝説をお届け致します。

最澄(伝教大師)が開いた天台宗の総本山・比叡山延暦寺には、多くの日本仏教界のカリスマ的人物が修行に訪れています。浄土宗の開祖・法然、臨済宗の開祖・栄西、曹洞宗の開祖・道元、浄土真宗の開祖・親鸞、日蓮宗の開祖・日蓮と卒業生は錚々たるメンバーです。

しかし開祖の最澄を除き、全て近江國(滋賀県)外の出身者ばかり。まぁそれだけ当時の仏教界に於いて、延暦寺は絶対的な存在にあったということの裏打ちなのですが・・・。

さて今回は長浜市の旧虎姫町エリアを訪れております。

元三大師御産湯井

天台宗中興の祖・良源、実は北近江の出身なのです。良源は延喜12(912)年、近江國浅井郡三河村(現在の滋賀県長浜市三川)で、湖北の豪族・木津(こづ)頼重の子として誕生しました。

幼名は観音丸(日吉丸とも)と称し、その際産湯を使ったと伝えられる井戸が元三大師御産湯井として今でも遺っています。

かつては毎年8月7日にこの産湯井で元三大師御水替行事(井戸さらえ)が行われていました。井戸から浮き上がる籾(もみ)の数や色艶によって1年の作況が占われていました。

因みに良源の誕生には異説が伝わっています。

月子姫墓

比叡山開創1200年を記念し、1987(昭和62)年に比叡山宗教サミットを主催した第253世天台座主・山田恵諦(やまだえたい)氏の著書『元三大師』にはこのような記述があります(一部要約)。

良源の生母は月子姫(つきこひめ)といい、もとは湖北の豪族・物部氏の娘でした。月子が12歳の時に宇多天皇(うだてんのう/第59代天皇で後の佐々木氏などに代表される宇多源氏の祖先にあたる)が竹生島に行幸あそばされ、その際に接待の役を務めました。このことが縁となり、16歳で宮中に出仕するようになりました。そこで月子は天皇の寵愛を一身に受け、程なくして懐妊しました。良源は所謂御落胤という訳です。

出産のため里帰りし、木津頼重の屋敷に身を寄せました。観世音菩薩を祀る大吉寺(平安時代前期に浅井長政の祖先が比叡山と協力して開山された長浜市野瀬町にある天台宗の霊場)に安産祈願を行います。そして無事男子を出産。観世音菩薩に祈願して生まれた子ということで、観音丸と呼ばれたと云われています。飽くまでも諸説あるお話の1つですが、比叡山での修行の道のりは決して順風満帆とは言えぬものの、その後外戚関係を結んだ天皇家や藤原氏の後ろ盾を得て、大器晩成の活躍を遂げたことを考えると、あながち「ウソ」とも断定出来ません。

暇乞いの橋

良源が第18世天台座主に就任した頃、三河村に居る母・月子は病に臥せっていました。この報を聞き付け直ぐさま母の元へと帰りますが、看病の最中に朝廷より法華八講(ほっけはっこう/法華経八巻を八座に分け、通常1日に朝夕二座講じて4日間で完了する法会のこと)の勅命が下り、直ちに京へ戻らねばならなくなります。

良源は別れを悲しむ母のため、等身大の身代りの木像を刻んで、それを枕元に置き帰路につきます。病床の母を案じ、涙を流しながら三河村を後にしようとしたその時、木像が急に動き出し、村外れの小橋まで良源を見送りました。その後本人に代って母の看病を続けたと云います。

この小橋は暇乞い(いとまごい)の橋と呼ばれ、現在でも三川集落の西端にある七縄川(しちなわがわ)に掛かっています。

栄光山 玉泉寺

981(天元4)年、良源70歳の時。僧としての最高位である大僧正に任ぜられます。日本史上最初に大僧正の称号を与えられたのは、奈良時代の745(天平17)年に聖武天皇号令の下、東大寺造営や数々の社会事業に大きく貢献した行基(ぎょうき)。それ以来実に236年振り、2人目就任の快挙でした。これを機に良源は、生まれ故郷の三河村に栄光山 玉泉(ぎょくせん)を開創します。

しかし1570(元亀元)年の姉川合戦に端を発する兵火によって焼失。なお現在の本堂は江戸時代中期の1780(安永9)年に彦根藩12代藩主・井伊直幸の寄進により7建て替えられたもので、本堂小屋組に「安永九年庚子年五月 彦根御寄附木」と墨書された木が見られます。

元三大師加持水井

境内には書院・鐘楼・庫裏の他に、良源が祈祷を行う際に使われたと伝わる元三大師加持水井も残っています。なお前述した産湯井の元三大師御水替行事は、そもそも本堂の仏壇に供える閼伽水(あかみず/仏前などに供養される水のこと)を1年分、瓶に汲んでおくために行われたのが始まりだそうです。

本尊は木造慈恵大師坐像で、国の重要文化財に指定されています。秘仏のため50~60年に一度の御開帳となり、直近では昨年2020(令和3)年。良源の御誕生日である9月3日に、150名限定の完全予約制で特別拝観が行われました。ですから次回は・・・無理っぽいですね(苦笑)。

因みにこの御本尊様は、良源を村外れまで見送ったあの木像と伝えられています。しかし肝心の仏像が鎌倉時代作とされているので、そこはファンタジーと捉えてください。

若い頃から苦労を重ね、大器晩成の典型で晩年に様々な功績を上げ、多くの人々を救った良源。その強烈な個性はそのまま畏敬の念となって人々に敬われました。入滅後もまるで真言宗の開祖・空海の如く、「比叡山を守護するため、浄土へ往かず山に留まった」など多くの霊験談や説話に彩られ、次第に良源自身が開祖・最澄を凌ぐほどの信仰対象となりました。

今まさに疫病蔓延の時代ですが、このようなスーパーマンが滋賀にも存在したことを知る契機として戴ければ幸甚です。なお我が家では野洲・兵主大社とこちらの玉泉寺より病魔退散の護符を授与戴いた御蔭を以て、家族一同元気に過ごしております(笑)。

栄光山 玉泉寺

・滋賀県長浜市三川町945
【TEL】  0749-73-2723
 ◎元三大師御産湯井・・・玉泉寺門前より西方約30m
 ◎月子姫墓・・・玉泉寺門前より西方集落内約80m
 ◎暇乞いの橋・・・玉泉寺より西方約570m(県道275号三川月ヶ瀬線 三川口橋北入ル)
 ◎元三大師加持水井・・・玉泉寺境内

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