アマビエより最強!?“元三大師”の伝説(前篇)

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

コロナパンデミックも2年目に突入。もともと予想はしていましたが、日本を始め世界的にも昨年に比して更に悪化の感染状況。この状況は少なくともあと3~4年は続くと思われます。こと日本に限って言えば、島国であれば迅速な対応で、ある程度抑え込めた筈の水際対策。飽くまでも“国民の良心と要請”に頼らざるを得ない、危機管理が希薄で有事に脆弱な政治と法治体制。早過ぎるワクチン開発・承認と、これを巡る外交戦略のお粗末さ。大東亜戦争終結後、経済の発展のみを訴求し、人として国家としての有り様を真正面から議論することを置き去りにしてきた。その75年に渡る『平和ボケ』の代償を、今我々は突き付けられているように感じます。

申し訳ございません、お話を元に戻します。昨年、国民の“病魔退散”への切なる願いから、アニメ『鬼滅の刃』や妖怪・アマビエが爆発的なブームとなりました。でも滋賀には滋賀で、アマビエに負けないインパクトとパワーを持ち備えたスペシャリスト(?)が存在することをご存知でしょうか?

次の写真をご覧ください。このキャラクターを民家の軒先や玄関などで見掛けたことはございませんか?

角大師

これは角大師(つのだいし)と呼ばれるもので、平安時代中期より当時の京都や滋賀を中心に「悪魔降伏・病魔退散」といった魔除けの信仰対象として流布していました。

この角大師にはこのような云われがあります。

比叡山

むかしむかし比叡山に、とある高僧がおりました。その僧は大変容姿が美しく、都の貴族に招かれて祈祷に赴く度に、しばしば若い女官から誘惑を受けていました。

「このままでは仏道を外れ、魔道に落ちかねない」・・・そう考えた僧は、自ら鬼の姿となって魔道から逃れようとしたそうです。

また疫病が蔓延していた永観2(984)年の或る時こと。この僧が書斎で書物を読んでいると、何処からともなく疫病神が姿を現しました。そしてその疫病神はこう申しました。

「我は疫病神である。貴方は今厄に当たっておられる。よって世の流行病に侵されねばならない因縁にある。怖れながらお身体をお借りしに参りました」と。するとその僧は「因縁ならば是非もない。兎も角汝の申す通りと致そう」と左手の小指を差し出しました。

すると疫病神は小指から僧の身体に乗り移ります。程なくして全身に悪寒と激痛が襲い、加えて高熱を発し、実に堪え難い苦しみを感じました。因縁とはいえ流石にこの状態に困り果てた僧は、精神を集中し、法力と祈祷でもって疫病神を退散させました。するとたちまち元の身体へと戻ったのです。

疫病の苦痛を身を以って知った僧は、「疫病をもたらす魔物の力は侮れない。病に苦しむ民を1日も早く救済せねば」と発心。すぐさま弟子に全身大の鏡を用意させ、その前で静かに祈祷を始めました。

すると僧を映していた鏡に変化が現れ、最後には恐ろしい鬼の姿が出現しました。弟子は鏡に映った降魔の姿を描き写し、その絵を版木に彫り起こしました。そしてその版木で御札を刷り、僧自ら開眼の加持を行いました。

「この護符(ごふ/お守り札のこと)を人々に配り、戸口(とぐち/建物の出入口のこと)に貼り付ければ、邪悪な魔物は近寄ることが出来ない。よって病はもとより、あらゆる厄災から守られるであろう」と弟子達に示しました。その後この御札は角大師護符と呼ばれ、新年を迎えるにあたって戸口に貼ると家人は疫病に罹患せず、また病人も全快し、更にあらゆる厄災から逃れられたと伝えられています。

さて疫病や厄災という世の全ての病巣を、一旦自らの身体に取り込み、法力でもって抗体を作り、角大師というワクチンを開発した悪魔退散のスペシャリストとは・・・

良源(元三大師)

平安時代中期の天台宗の僧。比叡山延暦寺の中興の祖にして、何と日本のおみくじの創始者でもある慈恵大師・良源(じえだいし・りょうげん)その人です。良源は元三大師(がんざんだいし)とも呼ばれ、現在ではこちらの呼称がポピュラーになっています。因みに“元三”の名は、良源が正月三日に入滅したことに由来します。

良源は12歳(15歳とも)で比叡山に登り、西塔宝幢院の理仙大徳に師事。17歳で受戒(仏教に帰依する証として戒律を受持すること)。55歳で第18世天台座主に就任しました。就任後は比叡山の伽藍の復興、天台教学の興隆、山内の規律の維持、僧兵暴徒化の抑制に貢献し、天皇家や摂関家の篤い帰依を受けました。

この角大師の護符のエピソードは、良源が亡くなる前年のもの。 疫病神を受け入れてしまったことが寿命を縮めてしまった要因であったかどうかは定かではありませんが、当時としては超高齢にあっても凄まじいパワーと能力の持ち主であったことは否めない事実です。そんなスーパーマンが編み出した護符ですから、ご利益に与れない訳がありません。

角大師護符

角大師護符は良源の御廟(墓所)がある比叡山延暦寺・横川(よかわ)地区にある元三大師堂を始め、京都市内にある良源や延暦寺に所縁のある寺院(大原三千院・真正極楽寺真如堂・蘆山寺・法住寺)で、現在でも授与されています。

なお授与所により微妙に角大師のお姿が異なりますので、護符の違いを愉しむのもまた一興かと存じます。

そして昨年になって新たに角大師護符授与を再開された寺院があります。そこは比叡山匹敵する程の良源所縁の場所で、小生もこちらで護符を授与戴きました(上記写真は拙宅の戸口です)。次回はその所縁の地をそぞろ歩きたいと存じます。

【後篇へ続く】

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