湖國寂静紀行“北近江の奥座敷・須賀谷”(前篇)

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

私事ではございますが、何時も記事タイトルには“副題”を付けております。しかしこれが意外と頭痛のタネだったりします(笑)。負担軽減(?)のためにも、今後は「滋賀の小さな徒然旅」は湖國寂静紀行(ここくじゃくじょうきこう)として、カテゴリーを順次整理統合して参る所存です。

さて今回は長浜市の旧浅井町エリアを訪れております。

ここは、昨今名将としての実力が再評価されている戦国大名・浅井長政のお膝元。因みに浅井は“あざい”と読むことが意外と知られていない事実。それはさておき、ここに来れば歴史好きならやはり長政の居城・小谷城跡を訪れることはテッパンな訳で・・・。

小谷山(小谷城跡)

確か小谷城は日本五大山城の1つ。本丸は標高495m、小谷山の頂上部。麓から遠い目で小谷山を眺め遣ること約10分・・・今日は健脚に一抹の不安を覚えたため攻略を断念(苦笑)。

しかしここまで来て何もせず帰路に就くのも、何とも芸の無い話。「そう言えばスガタニはこの近くであったハズ」と思い出し、早速ナビを頼りに訪れることと致しました。

スガタニとは数少ない滋賀県内の温泉地の1つ。子供の頃からその名は存知していましたが、老人会の皆さんが旅館の送迎バスで出掛けて行ったところ・・・小生の認識はその程度なのでした。

須賀谷案内板

小谷山登山口から国道365号を南下すること約1km。交通量が少ないので漫然と運転していたら見逃してしまいそうな案内板に従って山間の細道を進みます。

然程勾配を感じない道ですが見通しが良くないので比較的ゆっくりとクルマを進めました。そのせいか行けども行けども温泉街や集落は見えず、山と田圃の風景が続くばかり。

須賀谷温泉(新館)

国道365号の分岐から進むこと約1km。忽然と大きな宿泊施設が出現します。これが須賀谷温泉です。小生が幼少の頃より抱いていた「鄙びた~」イメージとは少し異なりました。

ここは温泉地と申しましても、御宿は1軒しかありません。足湯施設や公衆浴場もありません。また滋賀は火山帯の地質ではありませんので、源泉は13℃の冷鉱泉。当然有名な温泉地のようにもうもうと湯煙が立っている訳でもありません。よって“温泉街”というものは存在しませんでした。

さて、ここで須賀谷温泉の歴史に触れてみたいと存じます。

泉源は古くから地下水が湧出しており、戦国時代に浅井長政や妻・お市の方を始め、浅井氏所縁の諸将が湯治に通った温泉と伝えられています(但しこのエピソードを記述した文献を特定するには至りませんでした)。その後浅井氏の滅亡とともに、この温泉の存在は約350年もの間、歴史の陰に忘却されてしまうこととなります。

須賀谷温泉湯元

1921(大正10)年のこと。当時この地の所有者であった大野宗八はこの伝承を聞きつけるや、湧水を沸かし入浴を試みます。すると芯から温まり、湯冷めも無く、身体に非常に良いことを知ります。

早速宗八はこの湧水の分析を内務省大阪衛生試験所に依頼。結果、浴用や貧血や神経痛などの内用にも効果がある旨の証明書が、1923(大正12)年12月5日付で交付されます。

須賀谷温泉(昭和舘)

内務省のお墨付きを得た宗八は、5年後の1923(昭和3)年2月。この地に温泉旅館を建設。須賀谷温泉・昭和館と命名し、本格的に温泉事業へと乗り出します。

しかし日本が第2次世界大戦へと突入し、物資貧窮の中、不要不急の温泉旅館の経営は困難を窮め、止む無く休業を強いられます。戦後も営業再開は叶わず、宗八は志半ばで他界することに。ようやく日の目を見た須賀谷の湯でしたが、このままその灯は消えゆくかに思われました。

1961(昭和36)年。高度成長期の好景気の中、浅井町が観光振興の一環として温泉の再開発を計画。宗八の相続人であった大野武雄より、温泉の権利と泉源地370㎡を譲り受け、道路等のインフラを整備します。

須賀谷温泉(旧舘)

1970(昭和45)年に温泉再開に向けた再開発事業が完了。翌1971(昭和46)年には新たな温泉旅館が開設されました。

その後、浅井町の施設として老人センターや勤労者憩いの家が建設され、町民の保養所はもとより北近江の奥座敷としての地位を確立しました。

主に団体客や地元の宴会需要に支えられてきた須賀谷温泉。長浜や彦根といった主要駅から、定期的に送迎バスを運行するほどの盛況振りでした。しかし施設の陳腐化と利用者の嗜好性の変化への対応、転換を余儀なくされます。そして2004(平成16)年9月。新たに高級感と快適性をコンセプトとした新館を開設し、現在に至ります。

決して順風満帆な温泉人生を送った訳では無かったことを、今回の訪問で初めて知りました。でも節目節目の歴史の流れを現地で垣間見られるというのは非常に珍しいのではないかと思います。

最後に須賀谷温泉最大の謎について迫ってみたいと思います。

須賀谷温泉(左・褐色湯/右・透明湯)

「ここの温泉は何故“褐色湯”と“透明湯”が併存するのか?」という疑問。県外の利用者や温泉愛好者からも、「透明の方は“ただの沸かし湯”ではないのか?」と訝る声もあるとか。

温泉法に基づく規格該当鉱泉で、成分はヒドロ炭酸鉄泉(現在は含鉄-カルシウム・マグネシウム-炭酸水素塩泉と表記)。療養泉(治療の目的に供し得る温泉)には該当しないため、泉質は「無し」となります。簡単に申しますと、温泉法で規定する成分は含有する水ですよということ。

もともとは湧出時に酸化して赤茶色となる鉄泉のみを湯元としていました。同じ長浜市内にある長浜太閤温泉も近似の成分のため、同様の色をしています。

新館建設時に新たな地下水の湧出を認め、成分検査を実施。結果本来の源泉と成分はほぼ近似しているものの、何故か透明のまま変色しないようです。よって湧出量の多い地下水(透明湯)を露天風呂と内湯に使用し『秘湯』として。本来の湯元の鉱泉(褐色湯)は内湯の一角に『源泉』として棲み分けて使用しているというのが、どうやら真相のようです。

滋賀県下の温泉で初のかけ流し式を実現した須賀谷温泉。現在のコンセプトには賛否両論あるようですが、まだまだ発展途上にあり、今後も進化するであろうと思います。小生のお奨めと致しましては、宿泊利用で温泉とコース料理をじっくり堪能し、スタッフのサービスクオリティを体現して貰えれば、その良さの一端を垣間見て戴けるものと存じます。

【後篇へ続く】

須賀谷温泉

・滋賀県長浜市須賀谷町36
【TEL】  0749-74-2235
【休業日】  年中無休
【営業時間】 ※日帰り利用に関しましては新型コロナウイルス感染症予防対策により
        現在変則営業中です。詳しくはホームページにてご確認ください。

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