Monthly Archives: 12月 2020

令和貳年 感恩戴徳

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

令和の世となり2年目の1年が、まもなく終わりを迎えようとしています。

往く年来る年

本年最後の日は2年振りの大雪となりました。小生の棲まう街もすっかり雪に覆われてしまいました。除雪をしないと生活道路まで辿り着けぬ程です。不要不急の外出は避けた方が賢明でしょう。

さて皆さんにとって今年はどのような1年でしたでしょうか。今年は何と申しましても、日本いや世界はおろか、社会や個人に於いても『新型コロナウイルス感染症』パンデミックに翻弄された1年だったのではないでしょうか。

平和で穏やかな世を願って命名された『令和』は、平成にも増して更に激動の時代を歩んでいる印象を強く持ちます。

新型コロナウイルス感染症は、日本も去ることながら、世界の政治・経済・社会基盤、そしてコミュニティや一個人に対しても、これまでの“平和ボケ”“危機意識の稀薄”“倫理観と思いやりの欠如”に大きな警鐘を鳴らす、天が我々人類に課した大きな問題提起であったように思われます。

小生自身昨年度の大任からようやく解放され、少し落ち着いて暮らせるだろうと思っていた矢先の『新型コロナウイルス感染症』パンデミックでしたので、医療福祉業界に身を置くものとして、心身共に休まる時がありませんでした。そしてその状態は今現在に至っても解消されてはおりません。幸い未だ小生の周囲に感染症の脅威は及んでいませんが、「明日は我が身」との思いで戦々恐々としているのは事実です。

この影響で家族を含め外出は必要最小限に止め、勿論ブログの取材もリスク管理を徹底した一部を除き、事実上休止の状態です。

しかし相変わらず様々な障害や障壁が周囲に渦巻く中でも、貴重な出逢い、新たな価値観への開眼という代え難い財産も得ることが出来ました。人生楽あれば苦あり・・・でも捨てたもんじゃありません(笑)。

この『新型コロナウイルス感染症』パンデミック。最近イギリスを始めとして、欧州や南アフリカで変異種が確認され、ウイルスとして確実に進化を遂げています。よって飽くまでも私見ではありますが、少なくともあと3~4年は混迷を窮め、そして収束しないであろうと考えています。

これまでの様々な既成概念や価値観が瓦解します。真に必要とされないもの、飽和状態のものは全て淘汰されます。古いか新しいかではなく、ホンモノかニセモノか、新たなビジョンでもって新化や進化、深化たらしめるか否かが物事を見極めるバロメーターとなるでしょう。

そしてこれまでとは全く異なる新たな社会構造が構築されていくであろうと考えています。従前の概念に囚われず、それらの動向に敏感に反応し、敏捷に行動し、迅速に順応し、その中でも如何に己が個を発揮出来るかどうかが、今後の生き方のキーワードとなるのではないでしょうか。

加えて新型コロナウイルス感染症は、言わば黎明期のインフルエンザ同様、『新型流行性感冒』とも言い換えられます。時間は掛かろうとも、人類の英知でもって何れ制圧されます。しかし如何に効果的なワクチンや治療薬がもたらされようとも、感染予防や健康健全な生活を送るための鍵となるのは、やはり自身の免疫力(自己治癒能力)向上と秩序ある行動です。正しく怖れ、大量に垂れ流される情報に惑わされることなく、心身ともに真っ直ぐに歩むこと。即ち“自身を整える”ことが肝要です。小生も常にそうありたいと、改めて考える次第です。

この激動の一年、大変お世話になり誠に有難うございました。来年も何卒ご指導ご鞭撻、そしてご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

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甦れ!“アミンチュ”ボンネットバス顚末記~再臨篇

後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

“アミンチュ”ボンネットバスが令和に辿った数奇な運命、第5話“再臨篇”(5回シリーズ)をお届け致します。いよいよ最終回を迎えました。

このボンネットバスの誕生から2017年までの詳細な生い立ちは、以下のリンクの記事をご覧ください。

>>>さらば!愛しのボンネットバス

なおこれまでは村田さんの回顧録的表現を随所に採用致しましたが、今回は小生目線でお届けしますことを予めご了承ください。

新規検査登録をパスしてから凡そ1ヶ月後の2020(令和2)年9月20日。10月に復活御披露目運行を控え、実質的な公試運転に臨みます。

BXD30 フロントフェイス

公試運転とは自動車用語ではありません。実は船舶用語でして、船舶建造の最終段階で行う性能試験を指し、新造または改修を受けた船舶が全てに於いて所定の性能を有するか否かを確認する最終テストのことです。

小生はこのBXD30を船舶になぞらえて、事故でドック入りしてから様々な艱難辛苦を乗り越え、再び外洋へと旅立つ前に、今まさに試験航海に挑む・・・そのような視線で眺めておりました。

心なしかフロントフェイスがより引き締まって見えます(笑)。

BXD30 側面方向幕

公試運転に出発する前の束の間、工房前に駐機していたBXD30を見学させて戴きました。

BXD30の側面です。現在のバスには無い、丸みを帯びた人懐っこいレトロなスタイルを随所に散りばめています。特に屋根に近い部分にある角の丸い小さな窓は通称“バス窓”と呼ばれ、昭和中期に製造されたバスの象徴的形態の1つ。同時代の鉄道の気動車(ディーゼルカー)にも採用されていました。

また“暗礁篇”では正面の行先方向幕について触れましたが、側面の方向幕にも拘りのオマージュが施されています。

そう言えば『終点なのに“途中”とはこれ如何に』なんて洒落がありましたよね(笑)。

BXD30 運転席

これまで主に外装の話題が中心でしたので、ここは車内をリポートしたいと思います。

こちらは運転席。小生が彦根ご城下巡回バス時代に乗車した際の状態をほぼ保っています。

電子機器が全く搭載されていないBXD30は、運転席周りの配置が実にシンブルです。

因みにこのバスがピットインした際、クラッチペダルに“下駄”が履かされていたそうです。村田さんの見立てでは、クラッチペダル関連の部品の消耗劣化等で一番奥まで踏み込まないとクラッチが切れない状態のようであったので、応急処置的に施されたのではとのこと。小生は「運転手さん、踏み込みに足が届き切らなかったのかな」との見立て(笑)。

今となっては真相は定かではありません。

BXD30 車内前方

こちらは車内の前方。今となっては板張りの床が逆に新鮮ですね。昭和中期のバスは木製の床がごく一般的で、特に水に濡れると滑りやすかったことから、小生も雨の日によく足を取られたことを懐かしく想い出されます。

天井には扇風機が点在して設置されています。若い世代の方々には、エアコンが標準装備されていない自動車なんて想像出来ないでしょうね(因みに扇風機は標準装備ではなく後付けです)。

なお屋根にはベンチレーター(換気装置)が装備されており、これに“窓を全開”で昔の夏は凌げていたのですね。

BXD30 車内後方

こちらは車内の後方。ワインレッドのモケットと白のシートカバーがレトロ感を掻き立てます。フロントガラスも去ることながら、リアの丸みを帯びたガラスの造形も職人づくりならでは。今新たにこれを再現することは、恐らく不可能でしょうね。先程の側面の写真より、こちらの方がバス窓の様子がよく解ります。

天井の両脇に額縁状のものがありますが、これにはこのBXD30がこれまで歩んできた歴史。貴重な写真が展示されています。

BXD30 公試運転走行シーン

さていよいよ公試運転に出発です。目的地は大津市。今回この公試運転の同乗取材を特別に許可戴きました。これまたマニア垂涎の一番前の席に着座。この席に座るのは実に12年振りです。

加えてブログ開設8年目にして初めて動画掲載を試みました。こちらは県道42号を近江大橋方面へ疾走する光景です。

流石にBXD30は半世紀以上昔の産物ですから、現代の自動車にスイスイと追い抜かれてしまいます。ですが新たなDA640型・直列6気筒ディーゼルエンジンという心臓を得て、重厚で力強い咆哮を上げています。

もともとこのDA640型が後期型の5速変速機対応のため、4速のBXD30では些か伸びの無い苦しそうな唸りを上げているようにも感じます。約1分の短い動画ですが、是非ノスタルジックなサウンドを大音量でお愉しみください。

さてBXD30には公試運転の他にもう1つ、重大なミッションが課せられていました。

BXD30 全景

それは何と、滋賀県警察大津警察署が主催する令和2年度・秋の全国交通安全運動のイベントに花を添えること。守山から大津警察署を中継して、イベント会場のブランチ大津京までの往復33kmの行程をこなさなけれはなりません。

しかも警察主催のイベントですからノントラブルでの運行を期待されますし、ましてや交通事故なんぞあり得ません。BXD30にとっても、村田さんにとっても緊張の1日であったことは想像に難くありません。

しかしそのような不安を他所に、BXD30はその2つの大任を見事に果たしてくれました。これで名実共に完全復帰のお墨付きを得たのです。

BXD30 車台番号票

その後時折機嫌を損ねることもありましたが、10月3日と12月6日に実施された公式の復活運行を大過なく無事務めあげました。

『機械も生き物も、人間が悪さをしない限り、ちゃんと愛情を注いでやれば、必ずそれに応えてくれる』ことを久々に実感したドラマ模様でした。

今後もこの“アミンチュ”ボンネットバスの行く末を見守っていきたいと思います。

二輪工房 代表 村田一洋 氏

今回“アミンチュ”ボンネットバスを窮地から救った、再生プロジェクト最大の功労者。二輪工房の代表・村田一洋さんです。

実はBXD30を引き取る前から、既にBXD20というボンネットバスを所有されています。正直個人でバスを2台維持するというのは並大抵のことではないと仰られます。ですが何とか還暦を迎えるまでは孤軍奮闘したいとも、また『自動車やバイクの保存は動態で維持してこそ価値があるので、どんな形でも結構ですから応援して欲しい』とも話されていました。

なおこのBXD30を含む2台のボンネットバスは、公式な復活運行時を除いて原則非公開となっています。

見学を希望される際は、必ず事前にホームページ(下記バナーリンク)からお問い合わせください。

2019ミスユニバーシティグランプリ 長澤佳凜さん

最後にオマケ(笑)。

大津警察署主催の秋の全国交通安全運動イベントでは、2019ミスユニバーシティグランプリにして大津市在住・立命館大学生の長澤佳凜さんが1日警察署長を務められました。

イベント会場では長澤さんの周囲に黒山の人だかりが・・・実際イベントに花を添えたのはやっぱり・・・などと言ってしまうと頑張ったBXD30が可哀想ですね(苦笑)。

小生は芸能界を始めこの手の話題に疎いので、興味をお持ちの方はググってみてください。

第1回復活運行【2020年10月3日 江若交通 堅田営業所】
※BXD30前面に掲出の「10-74」緑ナンバーは撮影用のダミーです。

実は取材を敢行したのはたったの1日。おまけに村田さんへのインタビューも、その日の早朝6時30分からお願いした約2時間半のみという強行スケジュール。

当初は1回に集約したダイジェスト記事を執筆する予定でした。しかし村田さんのお人柄、熱意、小生同様無類のマニア気質(笑)。そして何よりもこのボンネットバスに込めるこの上ない愛情と情熱に感銘し、「これはダイジェストで収まらない」と判断。今回の長篇シリーズ実現の運びとなった次第です。

また執筆側の勝手な思い込みやエゴイズムが、却って取材対象者の不利益や精神的苦痛をもたらすことを改めて知る良い機会となり、記事公開にあたっては村田さんと情報の符合や修正、内容の精査を慎重に行いました。

今回村田さんから戴いた一通のメールから、この記事が実現しました。もし皆様の周囲に、滋賀に埋もれたディープな話題がございましたら、是非「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」までお知らせください。お待ち申し上げております<(_ _)>

 【おしまい】

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甦れ!“アミンチュ”ボンネットバス顚末記~暗礁篇

後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

“アミンチュ”ボンネットバスが令和に辿った数奇な運命、第4話“暗礁篇”(5回シリーズ)をお届け致します。

このボンネットバスの誕生から2017年までの詳細な生い立ちは、以下のリンクの記事をご覧ください。

>>>さらば!愛しのボンネットバス

2020(令和2)年5月12日。大規模な工程もほぼ終わり、再生作業もいよいよ千秋楽モードに。

部品取車から流用したパーツと修正部位を合体させ、新生左側フロントフェンダーを仮組します。

フロントフェンダー仮組①

「あっ!」

「ん~・・・んんん???」

ここで初めて左右のフロントフェンダーの形状が微妙に異なるのに気付きます。

フロントフェンダー仮組②

こちらが損傷の無い方の、現車の右側フロントフェンダー。

フロントフェンダー仮組➂

そしてこちらが部品取車から移植した左側フロントフェンダー。

どうも後期モデルであった部品取車の当該パーツは、外郭部分がやや角ばってるようです。

当初はこれで良しとしようと思ったのですが、ここまで色々と拘って作業を進めてきましたし、何より見れば見る程左右のバランスの違いが気になってしまい・・・また振り出しに戻ってしまいました(泣)。

エンブレム類メッキ仕上

2020(令和2)年6月2日。直ぐに解決しない左側フロントフェンダー問題は取り敢えずペンディングにして、他の細かな作業を進行させます。

今回はエンブレム等の再メッキ仕上を完了させました。

フロントフェンダー正規品

2020(令和2)年6月9日。形状が気に入らない左側フロントフェンダーの問題。各方面で中古パーツの調達を試みましたが、そこは半世紀を優に超えるオールドタイマーを構成するメインパーツ。そう容易く手に入れられる訳もありません。

途方に暮れ、他に着手可能な作業も底を尽き、いたづらに時間だけが経過していきました。

再生作業が暗礁に乗り上げてから約1ヶ月半、事態は一転します。

とある関東在住のバスマニアの方がこの窮状を聞きつけ、何と正規品の中古パーツを寄贈してくださったのです。これで停滞していた再生作業が、一気に最終段階へとシフトします。

フロントフェンダー再取付

2020(令和2)年6月10~11日。早速届いた左側フロントフェンダーの正規品を修正箇所に取付。流石は正規品、収まりも見た目も申し分ありません。

最終塗装

2020(令和2)年6月21日。ようやく最終塗装の段階まで漕ぎ付けました。完成まであと一息です。

皆さん、一寸した変化にお気付きですか?入庫した際“ブルーメの丘”だった正面の行先方向幕に“途中(とちゅう)”の文字が!

勘の良い方はもうお解りですよね。これは江若交通時代のオマージュの1つ。大きな作業の裏で、このように細かな“痒い所に手が届く”部分の作業も着々と進められていました。

再生作業完了

2020(令和2)年7月14日。一部の細かな調整を除き、大掛かりな作業は概ね完了しました。因みにこの日、村田さん5?歳(笑)の記念すべき降誕会。

行先方向幕が“和迩(わに)駅”に変わっているのはご愛嬌です。

新規検査登録完了

2020(令和2)年8月24日。生憎の天気でしたが、守山市の近畿運輸局滋賀運輸支局にて新規検査登録が無事完了。これで晴れて再び公道を走行するお墨付きを得ました。

登録番号(ナンバー)は希望で10-74を取得。そう、かつて江若交通時代に冠していたものと同じ数字です(厳密には当時冠していた営業ナンバー、所謂緑ナンバーではありませんが・・・)。

このナンバーの数字。村田さんの誕生日の数字ともリンクして、勝手に運命を感じてしまった!・・・とのことです(笑)。

悪夢のような事故から約1年余り。数々の苦難を乗り越え、死出の淵から這い上がってきた“アミンチュ”ボンネットバス。その雄姿を再び日の下で輝かせることが出来るのか、果たして・・・。

 【次回、最終回“再臨篇”へ続く】

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甦れ!“アミンチュ”ボンネットバス顚末記~回帰篇

後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

“アミンチュ”ボンネットバスが令和に辿った数奇な運命、第3話“回帰篇”(5回シリーズ)をお届け致します。

このボンネットバスの誕生から2017年までの詳細な生い立ちは、以下のリンクの記事をご覧ください。

>>>さらば!愛しのボンネットバス

車体塗装作業①

2020(令和2)年3月30日。約40年間親しまれた赤・白・黒のトリコロールカラー。長年の風雨に堪え、随分と色褪せています。事故での損傷とも相まって、焦燥感が強く漂っています。

ふと村田さんは「もうこの塗色はいいんじゃないかな・・・」と思い、あることを企図されます。それは“原点回帰”。

ガラスや方向幕、灯火類をマスキングし、塗装作業の準備完了。工房には塗装専用のブースを併設していないため、露天もしくはピット内での作業となります。

車体塗装作業②

先程の原点回帰の企図とは、ペールグリーン地にミッドナイトブルーの帯を配した江若交通時代のカラーリングを再現すること。

村田さんは湖南圏育ちのため、馴染みのバスといえば近江鉄道(それも昭和カラー)。湖西エリアをフランチャイズとする江若交通とは縁も所縁もありません。当然のことながら、当初は登場時への回帰は全く念頭に無かったそうです。

しかし或る時。とあるボンネットバス愛好家のご重鎮より「そら~元の色、江若色にせな意味ないやろ~」との一言を掛けられ、すんなり得心されたとか。

とはいえ、昨今は何かと権利関連が厳しい時代。まずは筋を通さねばと、大津市真野にある江若交通本社を電撃訪問。丁度当年は江若交通創立100周年という節目の年でもあったため、この格好の機会に一縷の望みを託しました。

車体塗装作業➂

実は塗装変更を決意された理由がもう1つありました。

それはかつての彦根ご城下巡回バス時代のラッピングの痕。ガラス部分のラッピングの剥離は比較的容易なのですが、車体のラッピングはフィルムの粘着や塗装の日焼けで完全な除去は物理的に限界がありました。

加えてラッピング痕をそのままにしておくのは、前所有者との間でトラブルの原因ともなり兼ねませんでした。

ブルーメの丘ではこれに対処するため、別のラッピングを上から重ね張りしていた位ですから、ラッピングというのが何かとクセモノであることが伺い知れます。

車体塗装作業④

江若交通への電撃嘆願から約1ヶ月。残念ながら、現在同社の親会社である京阪ホールディングスからの許可が下りなかったとの回答がありました。

親会社から色よい返事が戴けないことを、村田さんはある程度想定されておられたとか。ですがその結果が却って、これまで全く馴染みが無かったにも関わらず、何故か余計に「100年続く江若さんをもっと応援したい」との気持ちを強くされたそうです。そして、このことを通じて江若交通との人的パイプが出来たことが大きな収穫だったと振り返られています。

「これは県民である私に、このバスの行く末を託された宿命に違いない」と。まさに孔子曰く、『五十而知天命、六十而耳順(五十にして天命を知る、六十にして耳順う)の境地ですね(笑)。

それはさておき、「さてどうしたものか・・・」

思案に思案を重ね、ある結論に至ります。それは・・・

車体塗装作業⑤

「忠実再現が不可能なら、オマージュ(原型に尊敬を込めた)スタイルにすれば良い!」

早速近似色の選定とカラーパターンの検討に入ります。そして5月のゴールデンウイークから、側面デザインに着手。その結果・・・

車体塗装作業⑥

アイボリー地にインディブルーの帯を配した、新しくも江若交通時代当時をも彷彿とさせるカラーリングに落ち着きました。

まさに“温故知新、ここに窮まれり”です(笑)。

車体塗装作業⑦

修繕中のフロント部分が隠れた後方からの1枚。1966(昭和41)年にいすゞの工場でロールアウトした当時は、こんな姿をしていたのかも知れません。

この塗装作業が行われていた時は、まさに世は新型コロナウイルス感染で全国的に非常事態宣言による自粛ムードの真っ只中。引き籠りを余儀なくされたのが、幸か不幸か却って作業に専念出来たとのことです。

さて、いよいよBXD30の再生プロジェクトも最終盤。この後、まさかの大きな障害が待ち受けていようとは、この時知る由もありません。

 【次回、“暗礁篇”へ続く】

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