Monthly Archives: 5月 2020

多可龍王との出逢いから拾年(中篇)

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

引き続き、「多可龍王との出逢いから拾年」をお届け致します。

今から10年前。当時、龍神様の奉祀に滅法執心の知人がおりました。その知人は小生が信心深い人間であると知るや否や、会う度に矢鱈と龍神信仰の話題をしておりました。

龍神奉祀の難しさは小生も少なからず存知しておりましたので、話半分に聞いておりましたが・・・

或る日、自宅の庭木の剪定をしておりましたら、とても大きく、欠損の全く無い完全な姿で、然も眼が七色に輝くアオダイショウの抜け殻を見付けました。ここに居住して30年、このような経験は全くありませんでしたので、大切に陰干しして保管しました。

龍の巣

後日例の知人にこの出来事を話しましたら、早速或る人に引き合わせたいというのです。些か眉をひそめつつも、次の休みに予定を調整することに致しました。

そしてその当日。知人に誘われたのは、何の変哲もないとある古い民家。そこにはお独りの高齢の女性がお住まいになられていました。知人曰く、その方は龍神様と人を引き合わせるコーディネーター。所謂、青森・恐山のイタコのような存在の方であるというのです。

信仰心の厚い小生ですが、どうもこういう場には眉を顰めてしまいます。恐る恐る中にお邪魔しました。家の中はとても薄暗いのですが、奥に参ると煌々と蝋燭の火が灯る一角がありました。そこにはとても大きな神棚が祀られ、その周囲には溢れんばかりの神饌が並べられていました。

早速知人はその高齢女性に、小生が体験した顛末を話すよう促しました。そして女性からは紙に氏名と住所、生年月日を元号で書くようにと言われました。それらを終えると、女性は神棚に向かい祝詞を唱え始めました。

暫くして女性の唱える祝詞が突然プツリと途絶え、急に立ち上がって部屋の奥へと消えていきました。その状況に小生も知人も呆気にとられていたのですが、程無くして女性は白装束を纏って戻り(この展開にも正直驚きましたが・・・)、再び祝詞を唱え始めました。

そして一連の祭祀が終わり、このようなやり取りとなりました。

知人「どうしていきなり白装束に着替えられたのですか?」
女性「この龍神さんはとても格式高い神さんや」
知人「どこの龍神さんですか?」
女性「タカ・・・タカ?・・・何処の神さんや?」
小生「タカというのは、多賀の古い地名ではないですか?」
女性「・・・そうか、お多賀さんや、お多賀さんのお使いや」
知人「お多賀さん!?」

多賀大社

女性「えらい格の高い神さんに仕えてはるさかい正装せんとあかんのや」
小生「そんな偉い神さんがなんでウチに?」
女性「この龍神さんは、えらい喜んではる」
小生「喜んではる???」
女性「そうや、ようやっと自分の存在に気付いて貰えたと喜んではる」
小生「そうですか・・・」
女性「今迄龍神さんをお迎えしたいって言うてお願いに来る人はぎょうさんいはったけど、
   気付いて貰えて嬉しいなんて言う龍神さんは初めてや」
小生「ウチの家長は父ですから、父がお祀りするということですか?」
女性「いや、龍神さんはあんたに祀って欲しいと言うてはる」
小生「私がですか?」
女性「そうや、だからあんたにお示しがあったんや。それにな・・・」
小生「それに?・・・」

【後篇へ続く】

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多可龍王との出逢いから拾年(前篇)

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

現在公私共に多忙な合間を縫い、取材ストックのデータ整理を微速ながら鋭意進行致しております。そのような中、「そう言えば・・・」という出来事をふと思い出しました。

滋賀は日本最大の湖沼・琵琶湖を擁するように、「水の豊富な土地柄」を有しています。またそれ故に古より「水への信仰」も強く、水との縁が深い龍神に纏わる伝説が県内各地で語り継がれています。

龍 神

また龍神は一級の眷属(けんぞく:神の使者、最もポピュラーなところで稲荷神のキツネ)として絶大な力を持つことで知られ、大きな財をもたらす神として、特に信仰心の厚い実業家や経営者にとって奉祀することがある種のステータスであるとも言われています。

でもただ無条件に財をもたらして戴ける訳ではありません。龍神は眷属の中でもとりわけ自尊心が高く、「お迎えしたい」と願ってもそう容易に承諾して貰えるものではありません。またようやくのこと奉祀する機会を得たとしても、その条件や戒律がとても厳しく、かなりストイックな生活を強いられるとされます。

奉祀に関する主な条件や戒律を列挙しますと・・・
◆庭に池を整備し、その傍らに石室様の祠でもって奉ずる。
◆月並の祭祀(毎月1・15日)に加え、龍神祭祀(18日)を必ず挙行する。
◆3つ足以上の動物(牛・豚・馬など)を食してはならない(食材成分も含む)。
◆米・水・塩は毎日、加えて酒と新鮮な卵並びに国産の榊を常にお供えする。
◆奉祀者は指名され、それに異を唱えたり代理代行を立ててはならない。
◆例え意に添わずとも、龍神からの啓示に決して抗ってはならない。
◆よこしまな思いや龍神への疑念を一切抱かず日々精進を重ねること。

何故ここまで厳しい神なのかと申しますと、龍神はとてつもなく清廉潔白であり、且つ一転とても人間味溢れる感性の持ち主でもあります。そして「望みに従い、意を決して貴様のもとを訪れたからには、生半可な気持ちを捨て、人生を賭け覚悟をもって精進せよ」との思いを強くお持ちだとか。よって奉祀出来るのは龍神に選ばれた者だけなのですが、そのことに胡坐をかき精進を怠ると、事業や家庭の没落だけに止まらず、生命まで失いかねないと聞き及んでいます。

そのような気性の荒い(?)神様ですので、信心深いとはいえ基本的に“怠惰”な人間の小生ですから、「起業しよう」「龍神様をお迎えして財を成そう」という気持ちは微塵もございませんでした。

前置きが長々となり申し訳ございません。ようやくここからが本篇となります。小生の身の上話とはいえ、些か“宗教チック”な内容は否めません。こういう類のお話がお嫌いな方は、この先を読み進めることはお控えください。

藤ヶ崎龍神縁起歌碑

小生が現住居に棲息するようになったのは今から約40年前。かつて氏神様の神饌田(しんせんでん:神に属し祭祀に供せられる稲を作る田)が存在したことを想起させる神聖な字名の地に、両親が新築しました。かねてより崇敬していた伏見稲荷大社の近江支部の宮司さんのご指導を得て方位・配置を決め、地鎮祭・上棟式・竣工式も取り仕切って戴きました。

当時宮司さんが「この地にはお蛇さんが棲んでおられる」と仰られていたのだけは、現在でも鮮明に記憶しています。

小生が棲む町は古くから鈴鹿山系からの地下水脈に恵まれ、昭和30年代まではほとんどが田圃と湿地帯でした。自宅周囲は高度成長期の新興住宅地でしたが、水道整備の遅れもあって、各家庭の大半が地下水をポンプで汲み上げていました。よって何れ地盤沈下や地震発生時の液状化が懸念されます(飽くまでも私見であり、この地理的特性を近隣の方々が意識して生活されているか否かは定かではありません)。

しかし我が家では、震度5弱を観測した阪神・淡路大震災時でも大きなダメージを受けることはありませんでした。現時点に於いて地盤沈下も認められませんし、渇水で周囲の家庭の地下水が軒並み干上がった時でも当家は支障なく水に恵まれました。

そう考えると、その当時から龍神様のご加護を得ていたのかも知れません。

それから30年の月日が経過しました。

【中篇へ続く】

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