「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
今回はお多賀さん(多賀大社)にゆかりの深い、知られざる隠れパワースポット! “飯盛木”についてのお話をいたしたいと存じます。
さて、 6月26日更新記事の“オタマジャクシ”の語源は“お多賀さん”にあった!で、“お多賀杓子”の謂われは「元正天皇の病気平癒を祈念して多賀社の神官たちが強飯とシデの木で作った杓子を献上した」ことによるとお話し致しました。

その元祖“お多賀杓子”の末裔が現在でも残っている!(と伝えられている)のですがご存知でしょうか?
そもそも伝説の核心に迫る(?)前に、シデという植物とは何ぞや? という点から紐解いて参りましょう。
“シデ”はカバノキ科クマシデ属の落葉樹の総称で、日本ではクマシデを始め5種の植生が認められています。木は比較的小さく、アイアン・ウッド(鉄の木)と形容される程材質はかなり硬いとされています。そのため木材としてはほとんど利用されていませんが、切断台や工具の柄、また車軸やフローリングにも使われることがあるそうです。

シデの名称の由来は、紙垂(しで/四手とも書き、しめ縄や玉串などにつけて垂らす特殊な断ち方をして折った紙のこと)にこの木の花の付き方が似ているからとされています。
さて肝心要の元祖“お多賀杓子”の末裔ですが、多賀大社から西へ約1kmの地点、キリンビール滋賀工場近くの田園のド真ん中にポツンとあります。名前を飯盛木(いもろぎ/いいもりぎ)と申します。「“飯”を“盛”るための“木”」・・・そのまんまですね(^^)
この飯盛木ですが、半径100m以内に2本存在し、東は“男(おとこ)飯盛木”、西は“女(おんな)飯盛木”と称します。樹高約15m、幹周約6~10mの大樹で、見るからに長い年月を感じさせます。共に滋賀県指定自然記念物と多賀町指定天然記念物となっております。

この木の伝説の原点は「杓子を作った際の残り木」とも「献上した杓子が払い下げられたもの」とも言い、はっきりしません。兎も角それを地に差したところ、根付いてここまで成長したとのことなのです。ちなみに“男飯盛木”が最初の木で、その枝を分けて差したのが“女飯盛木”とのこと。
ただ1つ、解せぬことがあるのです。
この木の案内板には「多賀大社のケヤキ(飯盛木)」「樹齢300年以上」と書かれているのです。 ん?・・・ケヤキ?・・・確か言い伝えではシデだったような・・・。 ん?・・・樹齢300年以上?・・・以上は以上だけど、伝説の通りであれば1000年は越えているハズなのですが・・・。
まぁ縁起モノのことですから、これ以上の詮索は止めておきましょう(^^)

兎にも角にも貴重な自然遺産であることには間違いありません。ただ何となく“男飯盛木”の方が“女飯盛木”よりも元気がないように感じます。ご神木とはいえ、これも“世の流れ”ってヤツなのでしょうか(>_<)
この木の近隣には工場や民家が迫ってきていますが、辛うじて周囲だけは田園風景を保っています。飯盛木の近くに居ると、何やらとても落ち着く気がします。多賀大社にご参拝の折には、是非こちらにもお立ち寄りいただいて、神様のご加護&自然のパワーを感じ取ってください。

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