「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
今年の西日本の梅雨入りはとても遅かったですね。このままだと梅雨明けは秋になってしまうのでは???と思ってしまう今日此頃です。
昨日カエルの大合唱も未だ聴かないのに、何とクマゼミの鳴き声を耳にしました。四季の順序を経ない天候、寒暖差の激しさ・・・どうか皆様『気象病』にはくれぐれもお気を付けください。
さてカエルといえば・・・今回はオタマジャクシの語源にスポットを当てたいと思います。オタマジャクシ・・・そう、カエルさんの子どもです。

「何でオタマジャクシを“オタマジャクシ”と呼ぶのか?」なんて、考えたことはございますか? そんなニッチなネタに拘るのが、“偏屈者”の小生の真骨頂であります(^^)
オタマジャクシを見ていて「何かに似ているなぁ」と思ったことはございませんでしょうか?そう、調理器具のおたまにそっくりです。いえいえ、形状と言葉の“こじつけ”をしようというのではないのです。

“お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる ”
地元多賀町では有名な俗謡(ぞくよう/民衆の間で歌われる歌謡)で崇敬を集める、通称“お多賀さん”こと多賀大社。日本国土の創造主である伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の二神が祀られています。
その多賀大社には、古くから縁起物として名高いお多賀杓子(おたがしゃくし)というものがあります。
遡ること今から約1290年前(奈良時代)。時の帝、元正天皇(げんしょうてんのう/奈良の大仏建立を推進した聖武天皇の伯母)」が病に伏せっておりました。

多賀社の神官たちは平癒を祈念して、強飯(こわめし/もち米で炊いた御飯)を炊き、更にシデの木で作った杓子を添えて献上しました。すると帝はたちどころに病床から回復されたとか。そのことから、霊験あらたかな無病長寿の縁起物として信仰を集めるようになったと伝えられています。
この“お多賀杓子”こそが、私たちが炊飯器から御飯を装(よそ)う際に使用するしゃもじ(杓文字)の原型であるとされています。
ここで驚きの事実を1つ。実はお多賀杓子が語源となったものは、オタマジャクシのみならず、“しゃもじ”や“おたま”もそうなのです(諸説あります)。

もともと柄の先に皿形の部分が付いた調理道具のことを、全て杓子(しゃくし)と呼んでおりました。それが縁起物の“お多賀杓子”が全国へ広まり、時代を経て御飯を装う道具をしゃもじ(杓文字)、汁物を装う道具をお玉杓子と呼称するようになったと考えられています。
その後、お玉杓子だけは「玉杓子」や「お玉」と略されるようになります。
オタマジャクシの語源は、この湾曲した柄と食べ物を装うことが可能な窪みを持った円形の先端部から構成される独特の形状を持つお多賀杓子から飛躍的な連想の働きが発生し、形状的相似からカエルの幼生の呼称につながったとされています。
“たま”“玉”“タマ”と書いている小生自身が混乱してしまいそうです。まぁ簡単に申しますと、“オタマジャクシ”も“しゃもじ”も“おたま”も、み~んな似た形の“お多賀杓子”から名前を貰った・・・ということのようであります。
さぁ~て今晩はこの“おたま”で、“カニ玉”でも作りますか!(^^)

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