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【令和改元記念企画】長生長壽の金字塔“長命寺”の伝説(後篇)


「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」
に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

前回に引き続きまして長命寺(ちょうめいじ)に纏わるお話を致したいと存じます。

さて時代は蘇我氏と物部氏が覇権争いを繰り広げていた大和時代。厩戸王(うまやどのおう/一般に聖徳太子として知られる)が、当時道も無いこの山に登った際、紫雲たなびく中に光明を見つけます。

厩戸王(聖徳太子)

さらに近付いてみるとその光明は観音菩薩の姿をしていましたが、直ぐに消えて二つの石と化してしまいます。

厩戸王は更に山を登り進めます。

すると古木から光明が光り、その幹に「寿命長遠諸願成就(じゅみょうちょうおんしょがんじょうじゅ)」の文字が浮かび上がったのです。

不思議に思って眺めていますとそこへ白髪の老人が現れ、「この霊木で十一面千手聖観音菩薩の三尊一体(千手観音・十一面観音・聖観音)を刻んで伽藍(がらん)を建立すれば、武内大臣も大層お喜びになり、諸国万人が等しく崇拝する地となるであろう」と告げて消えてしまいました。

早速お告げに従い観音菩薩を刻み、伽藍を建てて安置し礼拝したところ、先程の石がお互いに寄り添い1つの岩になりました。

修多羅石

その岩は現在宿禰をご神体とする修多羅石(すたらいし)として今に存在します。

なお厩戸王が刻んだと伝えられる本尊・十一面千手聖観音菩薩(国指定重要文化財)は秘仏となっております。

そして厩戸王は武内宿禰の長寿因縁にあやかり、ここを「長命寺と命名するのです。

聖徳太子礼拝石

厩戸王が礼拝した場所は、聖徳太子礼拝石として参道の途中にあります。

また天智天皇が大津京から長命寺を訪れ、ここで天下安泰の祈願をされた時のこと。

天皇はおもむろに境内にあった柳の枝を折って本堂の横に差すと、見る見るうちに大木に成長したのだとか。

閼伽井堂(念仏井戸)

この枝を差した場所が現在の閼伽井堂(あかいどう)で、念仏を唱えると水面に泡が出るので“念仏井戸”とも呼ばれています。

最後に長命寺の伝説をもう1つ。

今から約500年前の天文年間(室町時代後期)のこと。

長命寺に普門坊(ふもんぼう)という修行僧がおり、12歳で比叡山に登り、阿闍梨(あじゃり/衆僧の模範となるべき高位の僧侶)について仏典を研究する程の知恵者でした。

また千日の法華経書写や難行苦行を経て、神通力も持ち備えていました。

当時長命寺は三重塔を建築中で、大工が尾張國の熱田神宮へ行きたいと言うと、普門坊は大工を小脇に抱えて飛んでいったといいます。

後に普門坊は京都の愛宕山(あたごやま/京都にあり全国の愛宕神社の総本社が鎮座)に移り住みますが、長命寺を懐かしみ、山の岩を投げたとか。

飛来石

その岩が現在の飛来石(ひらいいし)とされています。

また普門坊は長命寺を守護するために大天狗に変じたとも言われ、飛来石横の太郎坊権現社に祀られています。

この世知辛い今の世にあって、果たして“長寿”が人生最高の悦びであるかは何とも申し難いものがあるのですが、自然のパワーを感じていただくだけにでもお越しになって損はありませんし、長命寺から眺める琵琶湖はとてもキレイですよ。

長命寺から琵琶湖を望む

何れ平成天皇と称されるであろう上皇陛下、上皇后陛下。平成の御代を国民に常に寄り添ってくださったことに深く感謝申し上げるとともに、これからも幾久しくお過ごしいただきたい。そして令和の世が全ての人々にとって幸福を享受できる時代であって欲しいと願って已みません。

長命寺

滋賀県近江八幡市長命寺町157番地
【TEL】0748-33-0031

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【令和改元記念企画】長生長壽の金字塔“長命寺”の伝説(前篇)

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

本日から元号が“令和”と改元されました。このタイミングに相応しいお話はないものかと色々思案しておりましたら、職場のご利用者様の世間話にヒントを得ることが出来ました。天皇家(皇室)ともゆかりの深いこの地のエピソードをご紹介致したいと存じます。

今回は滋賀の中央部、琵琶湖東岸の近江八幡市に佇む長命寺山にございます姨綺耶山 長命寺(いきやさん ちょうめいじ)についてお話を致したいと存じます。

長命寺・・・何ともご利益が解りやすいですね(笑)。その名の通り、長寿・長命にご利益のある寺院です。琵琶湖岸にあって比較的標高のある山がとても特異に感じますが、戦国時代以前のこの一帯は奥島(おくしま)と呼ばれる琵琶湖最大の島でした。

姨綺耶山 長命寺

昨今規模の大きな寺院は、何処とも「拝観料(一部では志納料とも)」を徴収されるのですが、ここは今も昔も自由拝観。「不思議だなぁ?」と思いつつ入山しましたが、その理由はすぐに解りました。

何と“お遍路さん”を送迎するマイクロバスやマイカーで山麓駐車場はごった返しています。

それもそのハズ、ここは西国三十三箇所第31番札所。寺院の維持管理に見合う参拝者が定常的に訪れているのです(それでも素晴らしい!)。

長命寺参道

麓から登れば死ぬ思いで808段の階段をクリアせねばなりませんが、中腹まで通じる林道(大型車通行不可)を利用すれば残り130段程で到達できます。林道には慌ただしくお遍路さんをピストン輸送するタクシーで一杯!普段から運動不足の私は残り130段でもかなりキツく・・・軽々と登られる年配のお遍路さんに優しくお声掛けいただく始末でございました(苦笑)。

ではここからが本題でございます。長命寺の由来は、今から約1900年前のこと。

大和朝廷初期に大臣として仕え国政を補佐したと伝えられる伝説的人物・武内宿禰(たけのうちのすくね)が、この地で長寿を祈願したのが始まりなのだとか、

武内宿禰
武内宿禰

その後、宿禰は300歳を超えて生きたのだそうです。

「マジかいな?」というツッコミはご容赦を。あくまでも“伝説”ですので。

その宿禰が長寿を祈願したと伝えられるのが、本堂裏にある六処権現影向石(ろくしょごんげんようこうせき/別名:祈願石)と呼ばれる巨大な石の上であったとされています。

六処権現影向石

何となく“松茸”にも似た形ですが、幾歳月の風雨に耐え、絶妙のバランスで鎮座しています。この自然がもたらす奇跡も、 武内宿禰 が成せる霊験なのかも知れません。

今回はこの辺で。次回は長命寺命名の起源と、更なる“長寿”エピソードをご紹介致します。

長命寺

滋賀県近江八幡市長命寺町157番地
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