「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
さて現在、彦根市では市議会議員選挙が佳境を迎えております。様々な不祥事や問題で有難くない『全国区』の知名度を獲得した彦根市。その市政に毅然とした姿勢で相対することが出来る人間を送り込めるかどうか。市民の民度が問われる歴史的瞬間です。
その失政のおかげで割を食う事態に追い込まれているのが、我らが誇る国民的ご当地キャラクター。 それが“ひこにゃん”…もうクドクドと説明する必要はございませんよね。国宝・彦根城築城400年祭のイメージキャラクターにして、平成の“ゆるキャラブーム”の立役者。

加えて1860年に起こった徳川幕府屈指のスキャンダルであった、彦根藩主にして大老の井伊直弼が暗殺された事件・“桜田門外の変”以来、“彦根”の名を全国に知らしめてくれた最大の功労者であります。
登場してから既に12年が経過しましたが、並居る後発“ゆるキャラ”の追随を許さず、今や不動の人気、レジェンドの地位を確立しています。
さて“きな臭いタイトル”の趣旨でございますが、別に後付けの設定で某リカちゃん人形の如く、“両親がいた”とか“恋人がいた”とかいう話ではございません(^^)
実は“ひこにゃん”誕生には、その“礎(いしずえ)となる存在”があったのです。
市民でも記憶している人は随分少なくなってしまいましたが、今から遡ること32年前の1987(昭和62)年。日本国有鉄道のJRへの移行、すなわち「国家機関の民営化」というこれまで経験したことのないコペルニクス的大転換を日本國民が迫られた(?)頃のお話です。

当時彦根では、その国鉄分割民営化が実施された4月1日を挟んだ3月28日から5月31日の65日間に渡り、 彦根市制50周年を契機として『‘87世界古城博覧会』が催されておりました。
イベントテーマは「古城文化にスポットをあて、世界の古城をネットワークする古城街道を提唱する」。
パビリオンの設計・建築には建築界の重鎮“高松伸”、会場内の版画を芸術界の奇才“池田満寿夫”、テーマソングを音楽界の革命家“三枝成彰”といった各界のそうそうたるメンバーを起用(当時のバブリー振りが垣間見えます)。
私自身当時は大学に入りたてで、加えて博覧会自体に全く興味が無かったこともあり殆ど記憶がありません。ですが、自宅最寄りの片田舎の駅を米原や名古屋から来る臨時列車が折り返し運転していたのには驚きました。
結局、彦根市にとって成功したのか失敗したのかよく解らないうちに博覧会は終了。人々の記憶に殆ど残ることなく今に至ります。一説によると、彦根市の財政逼迫はこのイベントの影響が発端ではないかとのウワサも…真相は藪の中です。イベント会場の写真の1つでも無いものかとあちこち調べ上げたのですが、見つけることは出来ませんでした。
ようやく前説終了。ここからがお話の“本丸”です(笑)。
彦根がイメージキャラクターを展開したのは「ひこにゃんが“お初”」と思われる節が大半なのですが、実は何とこの『’87世界古城博覧会』にもイメージキャラクターがいたのです。
それではご紹介いたしましょう!
世界古城博覧会のイメージキャラクター、“城まる君”です!

いかがですか?ひこにゃんの“義兄”キャラの印象は。“安直なイメージ”だとか“クオリティが低い”なんて言わないでくださいね(>_<)
当時はこれで良かったんですぅ(^^)
彦根城とその別称である“金亀(こんき)城”にちなみ、城郭と亀を合体させ擬人化させたもので、天守の兜(かぶと)と石垣の鎧(よろい)を纏った“カワイイ侍”がコンセプト。全体的に空色メインの仕上げとなっています。
でも現在の「ゆるキャラ乱発・乱造戦国時代」の中に加えても、引け目を取らぬ造形だと思うんですけどねぇ。
この城まる君、イベントが開催されていた現役当時は大阪の「御堂筋パレード」にも参加する程の大人気!
その後も平成の入りたてぐらいまでは市内のあらゆる広告媒体に活用されていました。
しかし現在は“ひこにゃん”だらけで、逆にそのよすがを見つける方が困難となってしまいました(2011年2月までは彦根商店街連盟のポイントカードのイラストに起用されていました)。
いわゆる“絶滅危惧種”ってヤツです。
さて、私の(巧妙且つ広範囲な)ネットワークからの情報によりますと、彦根市立図書館の倉庫に城まる君の“キグルミ”が保管(放置?)されていることが判明。

平成23(2011)年12月8日、朝日新聞の『ますます勝手に関西遺産』でこの城まる君が紹介され、一躍多くの人々の記憶に呼び覚まされる(?)機会を得ました。
保存状態は決して良いとは言えないようなのですが、もし叶うのであれば“ひこにゃん”との共演を、彦根市民としては望むところです。

なお“城まる君”メモリアルオブジェクトは、彦根城内にあります金亀公園にひっそりと佇んでおります。
彦根へ観光にお越しの折は、是非“城まる君”にも逢いにきてやってくださいまし<(_ _)>
さて、ひこにゃん人気に気を良くした彦根とその周辺では、豊臣秀吉の知恵袋とも称された佐和山城主・石田三成の軍師“島左近清興(しまさこんきよおき)”をモデルにした『しまさこにゃん』や、彦根藩主・井伊直弼の次女“弥千代姫(やちよひめ)”をモデルにした『やちにゃん』をはじめ、いしだみつにゃん・ひこちゅう・カモンちゃんなど実に多くのご当地キャラを世に送り出しました。

特にこの2つのキャラは完成度も高く、地元でも比較的市民権を得た部類に属しますが、残念ながら何れもひこにゃんの追随を許す程の存在に成り得ていません。
何事も『過ぎたるは及ばざるが如し』といったところでしょうか。
いけいけドンドンで乱発したこともあるでしょうが、ひこにゃんには猫をモチーフにする相応の理由が存在したのに対し、他のモノは明らかに「ひこにゃんのキャラクター性を模倣した」に過ぎないというのがご当地キャラファンに見透かされてしまった感がございます。
ただでさえすっかり下火感が否めない“ご当地 キャラ”ブーム。明確なコンセプトとキャラクター&ストーリー性の裏付けがなければ支持は得られないでしょう。そうそう“2匹目のドジョウ”なんていやしませんから…(>_<)
彦根市の名を全国区に押し上げてくれた恩ある“ひこにゃん”の活動を窮地に追い込んでいる現在の彦根市政。“城まる君”の二の舞にならないことを只々祈るばかりです。

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