「湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
今回は旧中主(ちゅうず)町の中心部、野洲(やす)市五条にございます兵主大社(ひょうずたいしゃ)についてお話をいたしたいと存じます。
武神・軍神である「兵主神(ひょうずのかみ)」を祀る神社は全国に約50社ありますが、延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう/927年に編纂された全国の神社及びその社格の一覧)に記載されるのは19社。
そのうち名神大社(みょうじんたいしゃ/神々の中で特に古来より霊験が著しいとされる神を祀る神社)の社格を戴くのは僅か3社のみで、兵主大社はその1社に列する由緒正しき神社です。
中世には「兵主」を「つわものぬし」と読むことにより武士の厚い信仰を得、その縁あって源頼朝・足利氏・徳川氏らに関連する文化財を多数所蔵しています。また京都の苔寺を彷彿とさせる国指定名勝の庭園もあります。
この神社の縁起にはこのような伝説があります。
「兵主大明神縁起」によりますと、大己貴命(おおなむちのみこと/一般には出雲神話「因幡の白ウサギ」に登場する大国主で知られる)が718年に不動明王の姿を借りて、琵琶湖の対岸・穴太(あのう)より八ッ崎(やつがさきき/現在の旧野洲川北流河口・マイアミあやめ浜西端)に上陸し、この地に鎮座されたのが起源と伝えられています。
その昔、兵主大明神(大己貴命)が穴太を発たれる際のこと。大明神は白蛇に姿を変え、大亀の背中に乗って琵琶湖を渡り八ッ崎に上陸。
そこから鹿が護り運び、この五条の地に遷座されました。
この伝承を顕彰するために、明治時代末期に“亀塚”“鹿塚”が建立されました。
現在亀塚は野洲市野田の田地に、鹿塚は兵主大社の庭園内にあります。
因みに兵主大社の神紋は「亀の甲羅に鹿の角」の文様です(是非境内で探してみてください)。
さらに「兵主大明神縁起」にはこのようなお話も残されています。
平安時代末期、源頼朝がまだ若かりし頃。琵琶湖上に於いて暴風雨に遭い、乗っていた船が方向を見失って八ッ崎に辿り着きました。
船人たちは困り果てて神に祈りました。頼朝が「何という神に祈るのか?」と尋ねると、船人たちは「昔、白蛇の姿をして大亀に乗り湖を渡った兵主大明神に祈っています」と答えました。
すると祈願の甲斐あって暴風雨は収まり、無事湖上を渡ることが出来ました。後に頼朝は鎌倉幕府を開き、天下を治めることに成功します。頼朝はかつての神の加護に感謝して、兵主大社の社殿を造営し、宝物を寄進したとされています。
以来、源氏・足利氏・徳川氏と代々幕府を開いた武家から手厚い庇護を受け続けました。
さて兵主大社と何かと関わりの深い「八ッ崎」の地ですが、こちらでは御鎮座故実の神迎えを八ッ崎神事として毎年12月上旬に兵主大社によって執り行われています。
長きに渡り密儀(みつぎ/特別の資格を持つ者だけが参加できる秘密の儀式)とされてきたのですが、近年は一般に公開されていますので、興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。
なお平成30(2018)年5月には、『兵主大社と八ヶ崎神事』が文化庁所管の日本遺産、「琵琶湖とその水辺景観―祈りと暮らしの水遺産」の一部として追加認定されました。
また現在、野洲市歴史民俗博物館では、開館30周年特別展「遷座1300年記念 兵主大社展―琵琶湖を渡って来た神さま―」を開催しております。
兵主大社をより深く知る絶好の機会ですので、是非こちらもお立ち寄りください。
兵主大社では近隣の今回取材にご協力いただきました兵主大社様、野田/五条地区の皆さん。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。
◆兵主大社
滋賀県野洲市五条566番地
TEL:077-589-2072
庭園/収蔵庫入場時間:13:00~16:00
庭園拝観:500円(4/15~7/15・9/15~12/15)
収蔵庫見学:500円 ※要予約
◆野洲市歴史民俗博物館
滋賀県滋賀県野洲市辻町57番地1
TEL:077-587-4410
開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料/大人200円・学生150円・小中学生100円
休館日/月曜日(祝日の場合は翌火曜日)
※「遷座1300年記念 兵主大社展」の企画展示は12月2日まで。
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