「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
今回は日本屈指の世界最大級佛教遺蹟‼・・・かも知れない、沖の白石(おきのしらいし)についてのお話を致したいと存じます。
さてここで皆さん、琵琶湖にはいくつの“島”があるのかご存知ですか?
(※人工島を除く)
人が住む淡水湖の島としては日本唯一の沖島(おきしま/近江八幡市)。島全体が一大パワースポットの竹生島(ちくぶしま/長浜市)。眺める方向によって全く異なる景色となる多景島(たけしま/彦根市)。大半の方がこの3つの島しかご存知ないのではないでしょうか。
それも無理はありません。沖の白石には船舶の定期航路がありませんし、上陸が難しい岩礁状の小さな島ですので、恐らく県民ですら間近に見た人は少ないと思います。
沖の白石は高島市・安曇川河口(船木崎)から東方約5.5km、多景島から西方約5kmにあり、大小3つの岩礁から形成されています。
周回すると岩の数や色が変わることから化石(ばけいし)、琵琶湖西岸のどこからも3つの岩が見えることから船木三ッ石(ふなきみついし)とも呼ばれています。
一番大きな岩の高さは湖面から20m程度ですが、水深は約80mあるので、最低でも最深部から100m前後はあるのではと推定されています。
白石の名前の由来は二説あります。1つは日没時の太陽光に照らされて白く見えるからという説。もう1つは、(お食事中の方には大変恐縮ですが)飛来してくる水鳥の糞が長年に渡り付着・堆積して白く見えるからという説です。
この島には湖上交通の安全を祈願するために設けられたであろう祠の跡があり、今も昔も湖上船舶航行の方角の指標になっています。
但し灯台も何も設置されていませんので、現状夜間の航行ではとても危険な障害物です。
さて前置きはこの位に致しまして、本題であるこの島の伝説に移りましょう。
話は遥か昔に飛んでしまうの(内容もブッ飛び!!)ですが、今から約2200年前の紀元前200年代。まだ日本が弥生時代のど真ん中だった頃、インドにマウリア朝の第3代王でアショーカ王(阿育王とも)という人物がおりました。
生い立ちから、お釈迦さまが生前に予言した「自分が死んで100年後に現れる救世主」その人であるとも呼ばれておりました。
しかし実際は大変な暴君で、99人の兄弟を殺害したり、自身の意向に反する大臣を500人殺害したりするなど、その傍若無人ぶりは凄惨を窮めたそうです。
しかしカリンガという国を制圧した際、10万人もの捕虜とそれを上回る市民を死に追いやったことに後悔し、その後は仏教に帰依して善政を行ったそうです。
その「良い為政者」に生まれ変わったアショーカ王は、後にインドの8箇所に奉納されていた仏舎利(ぶっしゃり/お釈迦さまの遺骨)のうち7箇所を掘り当て、それを細かく粉砕して一粒一粒に分け、さらに微量ずつに小分けする作業を行い、最終的に8万4千の仏塔に納めてインド及び周辺国に再配布したのです。
そうなんです、沖の白石の伝説というのはこの岩が仏塔の1つと伝えられているのです。
ちなみに伝承ではアショーカ王が鬼神に命じて空へ投げさせ、各地に落ちたうちの1つであるとされています。
つまりこれは、仏塔が“逆さま”に突き刺さっているらしいのです。
前文で触れました通り船舶の定期航路がありません。クルーザーかモーターボートでも駆使しない限り接舷することは困難です。
ジェットスキーでも航続距離が長駆でないと湖岸からの往復航行は困難ですし、況してカヤックや足漕ぎポートでは余程熟達且つ琵琶湖の環境に精通した方でないと遭難は必至です。
でも・・・実はたま~に地元の観光船会社主催で「琵琶湖の島巡り」ツアーが実施されているんです。滅多に行われませんので、告知を見つけたら是非参加してみてください。おまけにほとんど水の上の旅ですから、“暑気払い”にも最適です!
ご参考までに⇒⇒⇒ ぐるっとびわ湖島めぐり
因みに・・・暑い最中、島に近付いても然程「鳥のウ〇チ」臭くありませんのでご安心を(^^)
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