Monthly Archives: 2月 2018

園城寺夜話(6)“ねずみの宮の伝説”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>  

 

今回の園城寺夜話はねずみの宮の伝説についてご紹介したいと存じます。

 

十八明神社(ねずみの宮)四季を通じて園城寺きっての観光スポットである観音堂。そこへと通じる石段に差し掛かる参道から少し外れた場所に十八明神(じゅうはちみょうじん)と呼ばれる小さな祠が祀られています。

 

本来は伽藍(がらん/僧侶が集まり修行する清浄な場所)を守護する神様なのですが、 一般には「ねずみの宮さん」と呼ばれ親しまれています。

 

平安時代中期、白河天皇(第72代天皇/1053~1129)の御代のこと。

 

『新形三十六怪撰』三井寺頼豪阿闍利悪念鼠と変ずる図(月岡芳年)園城寺に頼豪(らいごう/1002~1084)という阿闍梨(あじゃり/弟子たちの規範となり法を教授する学徳に秀でた高僧)がおりました。

 

承保元(1074)年。当時修法の効験で知られていた頼豪に、白河天皇の皇子降誕を祈誓するよう朝廷より勅命が下りました。

 

まもなく祈祷の験あって、待望の長男・敦文(あつふみ)親王が誕生。

 

その報奨として念願の戒壇(かいだん/仏教において守るべき道徳規範や規則を授ける場所)道場建立の勅許を得ました。

 

ところが比叡山の横暴な強訴により勅許が取り消されてしまい、頼豪はこれに激怒。百日の行に入り、髭も剃らず、爪も切らず、断食して護摩を焚き続け、遂には護摩壇の炎に骨を焼いてしまい、とうとう二十一日(三十七日との説もあり)目にして命果ててしまいました。

 

ネズミの大群(イメージ)するとその怨念が鉄の牙・石の身体を持つ八万四千のネズミとなって比叡山へ押し寄せ、堂塔や仏像経巻を喰い荒らしました。

 

比叡山では一山の大徳が神通力をもって大猫となり、ネズミを喰い殺してようやく収まったといいます。以来、大きなネズミを「頼豪鼠」と呼ぶようになったそうです。

 

このお話は『平家物語』『太平記』にも所載されており、それぞれにストーリーが微妙に異なります。

 

またこの社はこの時のネズミの霊を祀っているため、北の比叡山の方向を睨んで建っているのだとも伝えられています。

 

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園城寺夜話(5)“天狗杉の伝説”

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今回の園城寺夜話は天狗杉(てんぐすぎ)の伝説についてご紹介したいと存じます。


太郎坊の天狗天狗と言えば京都の鞍馬寺を連想される方が多いかと思いますが、滋賀でも天狗にまつわるお話は各地に残っています。
また「天狗杉」と呼ばれる木も県内に点在しており、小生が確認出来たものだけでも、大津にはここ園城寺、そして比叡山に3箇所、石山寺、さらに長浜は木之本町田部の観音堂にもあります。

 

それだけ京都に負けじ劣らじ天狗との縁は深いのです。

 

さてお話を園城寺に戻しましょう。

 

金堂の南正面東側。そこに園城寺の天狗杉があります。

 

園城寺天狗杉根回り約7.5m、目通り周囲約4.0m、全高約20mのこの巨大な杉は地上間もないところで二股に分かれ、主幹先端部分は数度の落雷によって枯れた状態になっています。

 

しかし他の部分は健在で良く枝葉が茂り、全体的に端正な樹勢を現在でも保っております。昭和51(1976)年3月には大津市より、指定文化財と天然記念物に選定されています。

 

室町時代初期、相模坊道了(さがみぼうどうりょう)という僧が勧学院の書院で密教の修行をしていました。

 

ある夜のこと。同郷出身の了庵慧明(りょうあんえみょう)が相模國(現在の神奈川県)で最乗寺(さいじょうじ)を開創したことを聞き及ぶと、突如として天狗となり、書院の窓から飛び出しこの杉の上に止まります。 そして早暁に東の空に向かって飛び去りました。

 

最乗寺 御真殿【HN.珍念さん 提供】何とはるか小田原まで飛び、最乗寺に馳せ参じたと伝えられています。 その後了庵のもとで土木事業に従事し、五百人力を発揮しました。験徳著しく村人から慕われ、今も同寺の御真殿に祀られています。

 

また道了が修行していた勧学院には「天狗の間」があり、現在も遺徳を偲び最乗寺より参詣者が訪れています。

 

今回の記事作成に際し、資料をご提供頂きましたHN.珍念さん、この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

 

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園城寺夜話(4)“村雲橋の伝説”

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今回の園城寺夜話は天台寺門宗の宗祖・圓珍(智証大師)にまつわる村雲橋(むらくもばし)の伝説についてご紹介したいと存じます。

 

圓珍(智証大師)まずはこれまでもちょこちょこ名前の出てきた宗祖・圓珍(えんちん)について簡単にご紹介致します。

 

最澄(伝教大師)が日本で開いた天台宗の僧で、讃岐國(現在の香川県)の出身。あの真言宗の宗祖・空海(弘法大師)の甥とも言われています。

 

平安時代初期に唐(中国)へ留学僧として海を渡ったことから、入唐八家(にっとうはっけ/最澄・空海を始めとする代表的な唐への留学僧)の1人に列しています。

 

わずか14歳で比叡山に入り、初代天台座主(てんだいざす/延暦寺の住職)・義真(ぎしん)に師事。853年、唐に留学し、天台山(天台宗の聖地)で天台宗の教義を本格的に学びます。その後、かつて空海が留学した長安(ちょうあん/唐の都で現在の西安市)にある青龍寺で密教を学び、およそ5年間の留学生活を終えて帰国します。

 

帰国後再び比叡山に戻りますが、868年、第5代天台座主に就任。859年、朝廷の許可を得て園城寺を再興し、ここを天台密教の道場として整備しました。これが現在の園城寺の始まりです。圓珍の死後、教義の違いから延暦寺と園城寺は一気に宗教的対立を迎え、朝廷の政治的な思惑も複雑に絡み、天台宗は約700年間の長きに渡り混迷の時代を歩むこととなるのです。

 

さて何処にでも存在することなのですが、開祖・宗祖にまつわる伝説というものは定番でございます。ここで圓珍ゆかりの代表的なお話を1つ。

 

村雲橋金堂から観音堂に向かう参道の途中、勧学院の美しい石垣の築地堀の手前に村雲橋(むらくもばし)と呼ばれる小さな石橋があります。

 

橋の下の川はとても小さいのですが、常に美しい水が流れています。

 

ある日のこと。圓珍がこの橋を渡ろうとした時、ふと西の空を見遣り大変驚きました。

 

かつて唐の長安で学んだ青龍寺が火事に遭っていることを察知したのです。 圓珍は早速真言を唱え、橋上から閼伽水を撒くと、橋の下から一条の雲が湧き起り、 西に向かって飛び去りました。その光景をその場にいた弟子たちはあっけにとられて、ただただ見とれていたそうです。

 

青龍寺(中国・西安)【西安觀光 提供】それから幾日か経ち、青龍寺より園城寺へ鎮火の礼状が送られてきました。

 

「当寺が火災に遭った際、大層お助け頂きました。お陰で重要な仏典が全て焼損することを免れました。厚く御礼申し上げます」と。

 

 

弟子たちは改めて圓珍の神変摩訶不思議な力に感動し、以来この橋を“ムラカリタツクモの橋”、村雲橋と称して、その徳をいつまでも忘れぬようにしたと伝えています。

 

今回の記事作成に際し、資料をご提供頂きました西安觀光様、この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

 

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園城寺夜話(3)“What’s 三井古流煎茶道?”

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今回の園城寺夜話は前回お伝えした閼伽井にも縁の深い、三井古流煎茶道(みいこりゅうせんちゃどう)についてご紹介したいと存じます。

 

三井古流施茶案内さて皆さん、煎茶道ってご存知ですか?

 

茶道といえば一般的には抹茶を用いる抹茶道のことを指しますが、実は煎茶を用いた茶道もあるのです。

 

煎茶道のルーツは中国文化に由来しますが、日本では江戸時代初期に禅宗の一派である黄檗宗(おうばくしゅう)の開祖・隠元隆琦(いんげんりゅうき)が始めたとされます。現在でも全日本煎茶道連盟が黄檗宗の総本山・萬福寺(京都府宇治市)に設置され、連盟の会長は萬福寺の管長が兼務することが慣習となっています。

 

形式に囚われず煎茶を飲みながら清談を交わすというカジュアルなスタイルが、茶道の世界において形式化が進みつつあったことへの反発もあって、文人たちや江戸・京都・大坂を中心とした上流階級の間で急速に普及しました。

 

園城寺宝寿院・三井古流煎茶道本部江戸時代後期、文化・文政の頃。

 

園城寺に壷井軒(つぼいけん)という年老いた居士(こじ/出家をせずに家庭において修行を行う仏教の信者のことで千利休が代表例)が住むようになり、悟りを開いて真理を会得することに精進。

 

三井の霊水(閼伽井)をすくって金堂に奉安する弥勒菩薩に献茶し、また参詣の善男善女にも茶を振る舞っていました。これが三井古流煎茶道の始まりであるといわれています。

 

明治・大正期に入ると文明開化の潮流の中で西洋文化がもてはやされ、中国文化に由来する煎茶道は一時衰退を余儀なくされます。しかし昭和、特に大東亜戦争終結後に入り煎茶道復興の動きが各地で活発となり、1960~70年代には隆盛を極めました。

 

三井古流茶道具近年は煎茶の大衆化が進行したことにより煎茶道への関心は薄れつつあり、現在その動静は停滞しています。そのような理由もあって、煎茶道の知名度が低いのかも知れません。ですがそんな時代の流行り廃れに流されることなく、三井古流煎茶道では独自の流儀を保ち、今でも閼伽井で水を汲み、毎日金堂に献茶し、参詣者に煎茶道の愉しみを伝えています。

 

上の寫眞でもお解り頂けるかと思いますが、我々が見慣れている茶道具とは趣が全く異なります。抹茶道の作法とは全く異なるので少し戸惑いますが、一般の方々へのお点前ではスタイルをとやかく言われることはありませんので気軽に体験することが出来ます。

 

金堂から参道を南へ約300m下ったところに、三井古流煎茶道本部が置かれている宝寿院があります。ここで煎茶道を体験することが可能です。でもこの入口の風格に、敷居の高さを感じるのは致し方無きこと。

 

三井古流青山茶会そこで三井古流では、広く一般に開放して煎茶道に親しんでもらおうという行事を桜が満開となる4月、金堂と宝寿院の中間点にある唐院の敷地内で催されます。それが三井古流青山茶会です。    

 

通常宝寿院の茶室で施茶されるものを、気軽に屋外で体験して貰おうという年に1回のイベントです。毎年実施日が異なりますし、たった1日のみの行事ですので、興味のある方は事前に問い合わせされることをおススメ致します。

 

小生もまだ一度しかお点前に参加したことがなく、その時は“何が何やら”の状態でしたので、今度施茶戴く際はじっくりとその神髄に浸ってみたいと思います(^^)

 

園城寺宝寿院 三井古流煎茶道本部

・滋賀県大津市三井寺町246
【TEL】 077-522-9580

 

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