Monthly Archives: 1月 2018

園城寺夜話(2)“閼伽井の伝説”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>  

 

今回の園城寺夜話は、閼伽井(あかい)の伝説についてご紹介したいと存じます。

 

園城寺金堂前回の内容と少し重複致しますが何卒ご容赦下さいませ。

 

園城寺のそもそものルーツは飛鳥時代後期に大津京を造営した天智天皇の孫にあたる大友与多王(おおとものよたのおおきみ)が、父・大友皇子(弘文天皇)の菩提を弔うため、資材を投げ打ち建立したものと伝えられています。

 

その園城寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから御井(みい)の寺と呼ばれ、それが転じて三井寺と呼ばれるようになったとされています。

 

園城寺閼伽井屋一般的な寺院での本堂にあたる金堂(こんどう)。その西隣に三井寺の名の由来となった井戸の閼伽井屋(あかいのや)があります。

 

建屋が金堂と僅か数メートルしか離れていないので、残念ながら正面からの撮影が不可能となっています。何故こんなにも隣接して金堂が建造されているのかは皆目謎です。

 

ちなみに閼伽(あか)とは仏教において仏前などに供養される水のことで、天台寺門宗の宗祖である円珍(智証大師)によって三部灌頂が奉修されたので、閼伽井と呼ばれるようになりました。

 

現在でもコンコンと湧き出る井戸の水は、園城寺の様々な営みに供されています。

 

閼伽井

現在の建屋は後に豊臣秀吉の正室・北政所(おね)の命により建立されたもので、もともとは石庭の一部でした。

 

園城寺は大友与多王の邸跡に建立されたのではとの説もあり、閼伽井を中心とする石庭はそもそも大友氏邸の庭園とされ、現存する日本最古の石庭ではないかとも考えられています。

 

さてこの園城寺界隈には、この他にも霊泉と呼ばれる井戸の伝説が残っています。    

 

練貫井園城寺大門より南東へ約300m。琵琶湖疏水に程近い場所に大練寺(だいれんじ)があります。ここに練貫井(れんがんのい)があります。

 

かつてここには大津京があり、この井戸の水で練った衣を宮中に献上し、その衣を天智天皇が着用されていたことからその名が付いたとされています。

 

また天智天皇が行幸されたと言われる古道がこの練貫井の前を通っていて、豊臣秀吉が京の聚楽第から毎日この井戸の水を汲みに来て、点茶(てんちゃ/抹茶をたてること)に用いたとの言い伝えも残っています。

 

園城寺の閼伽井、逢坂関の走井と並び大津三名水の1つに列せられる程の名水でしたが、明治20(1887)年、琵琶湖疏水の掘削工事で水脈が断たれ、残念ながら現在はその跡しか残っていません。

 

もう1つ。

 

金殿井園城寺から北方へ約3km、近江神宮の裏山手に宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)があります。

 

 

ここの境内に金殿井(かねどののい)があります。

 

大津京遷都直後、天智天皇が重い病気を患われます。当時天皇の側近の1人(右大臣)で中臣(藤原)鎌足の従兄弟でもあった中臣金(なかとみのかね/?~672年)は、夢で「都の西方にある大木の根本から湧き出る清水を汲んで献上せよ」とのお告げを受けます。

 

早速山中に分け入り泉を発見、この水を献上するとたちどころに平癒されたとか。

 

以降疾病に霊験あらたかな霊泉として守られてきましたが、宇佐八幡宮の創建(1065年)に際し、御神水として一般に公開。特に難病諸病に効果が顕著であると、次第に広くその効が伝えられました。 現在毎年8月上旬に霊泉祭が行なわれ、土用の日にこの水を頂くと特に効験があると言われています。

 

水都とも呼ばれる滋賀に相応しい、“水”にまつわるお話でした(^^)

 

泉涌山 大練寺 (練貫井)

・滋賀県大津市三井寺町9−3
【TEL】 077-522-0318

宇佐八幡宮 (金殿井)

・滋賀県大津市錦織1-15
【TEL】 077-522-6812

 

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園城寺夜話(1)“二つの総本山”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>  

 

今回から園城寺夜話(おんじょうじよわ)と題しまして、園城寺並びに門前町にまつわるエピソードを展開して参ります。 

 

園城寺大門(仁王門)まずは序章としまして、園城寺について簡単にご紹介したいと存じます。

 

 

園城寺とは滋賀では勿論、国内でも屈指の古刹の1つなのですが、一般には通称である三井寺(みいでら)の名で知られています。

 

 

最澄(伝教大師)を開祖とする天台宗の寺院なのですが、実は天台宗には総本山(俗に民間企業で言うところの本社)が2つ存在するのです。  一般的に知られる比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)と、ここ園城寺なのです。

 

正確に申しますと延暦寺が天台宗山門派、園城寺が天台宗寺門派となり、教義のルーツは同じくするものの宗派が異なるのです。分派の経緯は全く異なりますが、浄土真宗で言うところの東/西本願寺に分かれているような感じでイメージして戴ければ良いかと存じます。

 

園城寺金堂かつては延暦寺とは激しい対立関係にあり、互いの宗徒や僧兵による争いは絶えず、室町時代末期迄に大小合わせて実に50回近く焼打ちに遭っています。

 

また理由は定かではありませんが豊臣秀吉の逆鱗に触れ、寺領を没収され廃寺寸前までに追い詰められたこともあったとか。その度に奇跡の復活を遂げてきたので、不死鳥の寺とも称されていました。

 

いつも思うことなのですが・・・宗教的対立は今の時代にも形を変えて存在しますが、開祖・宗祖のただひたすら衆生を救うという崇高な教えが、なぜこうも人間の我欲剥き出しに対立の構図を生むのか不思議でなりません。    

 

そして日本三不動の1つに数えられる黄不動の寺院としても知られています。但し、原則非公開の秘仏ですので滅多にご尊像を拝することは出来ません。小生も残りの高野山明王院の赤不動、京都・青蓮院門跡の青不動は参拝の栄華を得ることが叶いましたが、県内に在住していながら未だ黄不動にはお目に掛かれません。それ程「近くて遠い」存在なのです。

 

今から4年前の平成26年、宗祖・智証大師生誕1200年慶讃大法会(10月18日~11月24日)が奉修され、その際期間限定(11月21日~11月23日)で国宝・金色不動明王像(黄不動尊)が公開されたのですが、それには結縁潅頂会(:けちえんかんじょうえ/出家・在家を問わず広く信者が仏縁を結ぶために潅頂壇に入り、曼荼羅の諸尊像に華を投じてその人の守り本尊を得るための密教儀式)に参加するという条件をクリアせねばなりませんでした。しかし・・・その志納金が10,000円・・・信心のためとは申せ、平民にはかなりハードル高いです(T_T)

 

果たして何人の方がこの高いハードルを越えられたのでしょうね?

 

ではこの序章の最後を締め括るお話を1つ。何故、園城寺のことを『三井寺』と呼ぶのか?

 

実は現在の“天台寺門宗の寺院”としてのスタートは平安時代中期ですが、そもそものルーツは飛鳥時代後期に大津京を造営した天智天皇の孫にあたる大友与多王(おおとものよたのおおきみ)が、父・大友皇子(弘文天皇)の菩提を弔うため、資材を投げ打って建立したものと伝えられています。

 

園城寺閼伽井屋そこに涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから御井(みい)の寺と呼ばれ、それが転じて三井寺となったと言われているのです。

 

その三井寺の由来となった井戸の閼伽井屋(あかいのや)は今でも現存しており、清水がコンコンと湧き出ています。

 

言い伝えや俗称が本来の名称よりも一般に流布した、極めて稀なケースと言えるでしょう。

 

長等山 園城寺 (三井寺)

・滋賀県大津市園城寺町246
【TEL】 077-522-2238
【Web】 http://www.shiga-miidera.or.jp/

 

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謹賀新年 天上天下唯我独尊 2018

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

寒中お見舞い申し上げます。服喪につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げることをご容赦ください。

琵琶湖と三上山・日の出

本日で「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」開設6周年を迎えました(^^)

 

昨年は躍進の1年を志しておりましたが、公私共に激震の1年でございました。今年は躍進ならぬ躍動の1年として邁進いたす所存でございます。相も変わらずの微速ではございますが、暁に向かい着実に前進して参りますので、本年も相変わりませぬご贔屓を賜りますようお願い申し上げます<(_ _)>

 

今頃・・・服喪中にて、炬燵の番をしていることでしょう(^^)

 

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