「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
またもや近江鉄道が誠にもって残念な決断を下しました。
12月7日、近江鉄道は同社が彦根に近江鉄道ミュージアム鉄道資料館に保有する電気機関車10輌(ED14形×4輌、ED31形×5輌、ロコ1101形×1輌)を、車体の老朽化による維持が困難なことを理由として、来る12月16日(土)でのお別れイベントでの公開を最後に順次解体処分することを発表しました。
先般のボンネットバスの引退と言い、この企業は『効率』という名の錦の御旗を盾に、いくつの愚行を重ねれば気が済むのでしょう。百歩譲って「一部を除いて・・・」ならいざ知らず、10輌全てを対象としているのです。これら大正末期から昭和初期に製造され、日本の近代化に寄与した機関車たちが現存することの価値を全く理解していないと言わざるを得ません。
一番上の写真右端に写っているED4001形は、平成21年1月にもともとの出身である東武鉄道に引き取られ、出来得る限り在籍当時の姿に復元され、現在東武博物館で保存されています。こうも鉄道会社によって扱いが異なるものかと、憤懣やる方ない心境です。ED4001形は余り近江鉄道で活躍を果たせなかった分、晩年に幸せを掴めたのでしょう。
ED14形(写真中央)は大正15(1926)年にアメリカのゼネラル・エレクトリック社で製造され、国鉄が東海道線電化開業に合わせ輸入。
東海道線を皮切りに中央線、飯田線、仙山線で活躍。国鉄で御役御免になった後は輸入された4輌全てが近江鉄道に譲渡されました(3号機は一時期西武鉄道に貸し出されサーモンピンクに塗装されていました)。
凸型車体が特徴的なED31形(写真右)は大正12(1923)年に芝浦製作所・石川島造船所で製造され、国鉄/JR飯田線の前身である伊那電気鉄道に入線。その後同社が国鉄に買収され、昭和27(1952)年にED31形に改称。製造された6輌のうち1・2号機が西武鉄道に譲渡され、後に近江鉄道に再譲渡。3~5号機が近江鉄道、6号機が上信電気鉄道に譲渡されました。
前述の2形式より一回り小さなロコ1101形(写真左)は昭和5(1930)年に東洋電気・日本車輌で製造され、国鉄/JR阪和線の前身である阪和電気鉄道に入線。その後南海電気鉄道、国鉄阪和線を経て近江鉄道に。低速でのポテンシャルの高さを買われて、長年彦根列車区の入換機として活躍しました。
かつて平成19年(2007)3月に整備された近江鉄道ミュージアム鉄道資料館での保存展示に接した際は、同社の鉄道遺産の価値に対する『本気度』を感じました。
しかしその後の維持管理への対応には眉を顰めることも多く、存続に一抹の危惧は抱いておりました。
同社では同時に個人・団体を問わず車体単体のみの無償譲渡(輸送・設置費は自己負担)も検討するとも付け加えましたが、この短期間で決断出来る個人・団体が果たして現れるかどうか・・・奇跡に掛けるしかありません(自身にもっと財力があれば・・・本当に悔やまれてなりません)。
兎に角彼らの雄姿を眼に焼き付ける機会は来る16日が最後。どうか彼らのこれまでの功績に賞賛の拍手を送ってあげましょう。なお、詳しくはコチラの近江鉄道のイベント告知サイトをご覧ください。
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