「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。第11回は犬上郡多賀町の栗栖(くるす)集落をご案内致します。
1889(明治22)年町村の再編に伴い、西隣の久徳(きゅうとく)村へ編入されます。
最終的には1941(昭和16)年多賀町に併合され現在に至ります。
『限界集落』と呼ぶに未だ深刻度は低いと感じる集落の栗栖を取り上げることに些か迷いもございましたが、天空の里山廃村群への玄関口ということで、今回敢えてご紹介致します。
流石に平野部だけあって米作が盛んで、他に麻布の絣(かすり)なども生産していました。
また旧脇ヶ畑村へアプローチする幹道の入口(飛の木橋)としても機能していました。
栗栖の名はその昔、「お伊勢お多賀の子でござる」と謳われるように、伊勢神宮の親神として知られる伊邪那岐尊(イザナギノミコト)・伊邪那美尊(イザナミノミコト)が多賀へ降臨する際、「ああ苦しい」と山麓の栗栖で休憩されたことに由来するのだとか。
その休息の地が現在の調宮(つつみや)神社であると伝えられています。
この周辺では比較的規模の大きい集落ですが、それでも人口は最盛期に比べれば半分以下にまで減少し、過疎化と高齢化が進行しています。
2013(平成25)年3月の完成を目指して『栗栖治水ダム』がこの地に計画(後に上流の水谷に変更)されましたが、事業自体が中止となり、幸か不幸か集落の静観は保たれました。
さてこちらの茅葺屋根が特徴の建物は、平成10年代初頭までここから山間地に掛けて唯一の商店であった旧・西村商店。
凡そ100年前に創業されたこの商店。3代目のご当主は早くにお父様を亡くされ、女手ひとつで店舗と家庭を切り盛りされていたお母様と二人三脚で、このお店を守り続けてこられたとのこと。
日用雑貨から生鮮食料品まで、充実のラインナップで周辺住民の生活を支えてこられました。かつては買い物が不便な山間の集落や、後谷鉱山の社員寮にも配達サービスを行っておられました。
残念ながらご当主が高齢のため店を畳まれましたが、世帯毎の『掛売帳』が廃業直前まで現役で、昔ながらの信用商法が機能していたのには正直驚きました。
閉店後、建屋の維持や屋根の補修が限界の状態に陥り、解体されることが決定。
しかし特定非営利活動法人・彦根景観フォーラムと滋賀県立大学の学生が中心となって保存に向けた活動が展開され、昨年秋には屋根の葺替えが行われました。いつまでも近代日本に於ける山間集落の歴史の生き証人として、姿を止めてほしいですね。
なお栗栖は準過疎地域であり、廃村ではございませんのでご注意ください。
次回もお愉しみに(^^)
【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)
【取材協力】 西村商店 MT TRADING
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