「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。第9回は犬上郡多賀町の桃原(もばら)集落をご案内致します。
1889(明治22)年町村の再編に伴い、芹谷村へ編入されます。
最終的には1941(昭和16)年多賀町に併合され現在に至ります。
桃原は芹川上流南岸、標高約320mのカルスト(石灰岩地形)山地の北斜面にある山農村です。
田地は少なく、主に柿・茶・ゴボウ・繭・薪炭・杉板・麻布の絣(かすり)などを生産して生計を立てていました。
桃原の名は室町時代末期より文献に現れ、豪族・京極政高が南方の阿弥陀峰に桃原城を構えたとあります。
比較的大きな集落であったことから、1889(明治22)年に芹谷村の一部になった際にはここに村役場が設置されました。
しかし戦後過疎化が急速に進み、今となっては往時の隆盛の面影はありません。
ただ立派な民家が数多く残り、また村を離れたかつての住人が定期的に訪れることから、村は比較的良好な状態で保たれています。
さらにここには昭和10~30年代まで、県内のスキー場の草分け的存在であった多賀(桃原)スキー場がありました。
1933(昭和8)年に開設され、近江鉄道や地元によるヒュッテ(山小屋)や冬季のみの民宿が運営されていました。
往時は県内はもとより大阪や京都等からもスキー客が来訪。小学生のスキー教室にも活用され、県内屈指のウインタースポーツの拠点として隆盛を極めていました。
戦後高度成長期に差し掛かると周囲にも大規模なスキー場が次々と整備され、また積雪量も年々減少の一途をたどり閉鎖を余儀なくされました。
跡地には杉が植林され当時を偲ぶよすがはなく、今となってはその存在すら人々の記憶からは失われてしまった感があります。
なお桃原は廃村直前の過疎地であり、完全な廃村ではありませんのでご注意ください。
次回もお愉しみに(^^)
【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)
【取材協力】 関西滑雪同友会 MT TRADING
ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!