天空の里山紀行(8) “河内山女原集落”

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滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。第8回は犬上郡多賀町の河内山女原(かわちあけびはら)集落をご案内致します。


河内山女原集落011874(明治7)年に河内山女原村・河内宮前村・河内中村・河内下村の四ヶ村が合併して河内村に。

 

1889(明治22)年に水谷・桃原・向之倉・甲頭倉・後谷・屏風・霊仙の七ヶ村と合併して芹谷村の一部となります。そして最終的には1941(昭和16)年多賀町に併合され、現在に至ります。

 

河内は霊仙山の南西より発する芹川の上流渓谷に隣接する、標高200~240mの農村です。田地は少なく、主に林業(木材・薪炭)で生計を立てていました。その他、茶や牛蒡も生産し京都に出荷していました。特にここでも『多賀ゴボウ』の生産が盛んで、香味の良い牛蒡であることから特に珍重されたそうです。4つの集落で形成され、最盛期には合わせて400人を超える人口を有しましたが、現在常時在住するのは30人を下回り、子供の姿が消えて久しく高齢化が急速に進んでいます。

 

河内山女原集落02河内山女原は河内集落の最東端に位置し、芹川源流の1つ、権現谷(ごんげんだに)河畔にある集落。河内の中では唯一本川から外れています。山女原は妛原とも表記し、「あけんばら」とも称します。

 

他の集落に比べ平地が広く、また山が開けた地形ではありますが、最も標高が高いゆえ、冬季は積雪で「陸の孤島」と化したといいます。

 

この集落で特徴的なスポットと言えば、地元でも化石採集の場所としても有名な権現谷(ごんげんだに)です。

 

権現谷三重との県境近くにあるアサハギ谷・白谷が合流して、芹川に合流するまでの約3.5kmの渓谷が権現谷です。

 

霊仙山系付近や旧脇ヶ畑村(現・多賀町保月/杉/五僧)一帯に発達するカルスト山地の平坦面を開析する渓谷で、永年の激しい浸食作用により崩壊地形を形成したものです。

 

垂直にそそり立つ岩壁に挟まれ谷底には巨石が累積し、平水時に谷の水は巨礫の間を伏流しているなど、なかなか壮観な・・・というより『死の谷』の様相を呈しています。

 

権現谷の名は昔、修験者が権現様を祀ったことに由来し、現在でも住人により「口の権現」「奥の権現」が祀り継がれています。

 

元行者窟また関西圏でも有数の化石の産出地としても知られ、今までに三葉虫・ウミユリ・サンゴ・フズリナなどが発見されています。こんな山奥でも約2億8000万年前は、ここが海の底だったという証拠ですね。

 

さらにここは「犬戻り」の谷と呼ばれ、余りの険しさに犬も戻ってくると言われる程の難所でした。それが証拠に現在ここを通る権現谷林道は、1942(昭和17)年に起工され、完成するまで何と40年の歳月を費やしたとのことです。現在でも落石が激しく、除去作業が繰り返されています。

 

次回もお愉しみに(^^)

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 MT TRADING

 

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5 replies on “天空の里山紀行(8) “河内山女原集落””

  1. もじ より:

    はじめまして。約2年前の記事のようですが懐かしく思い、コメントさせていただきます。

    私はここ河内の妾原で生まれました。(生家は1枚目の写真の右奥です。)幼い頃に彦根に移り、今は東京在住ですが、帰省の際にはお墓参りを兼ね、必ず河内を訪れます。うちの祖母も炭を売って生活してたと言ってました。

    今は1世帯かな?しか住んでいませんし、生家はぼぼ廃墟と化して、まさに死にゆく村ですが、僕にとっては思い出深い場所ですし、何年後かわかりませんが、老後は小さな家でも建て、戻ってきてもいいかなと考えています。東京生まれ、東京育ちの嫁さんは反対していますが・・・・。

    なかなか面白いブログですね。がんばて続けてください。

  2. chaos510 より:

    >もじ 様
    此度は当ブログにご訪問並びにコメントを賜りまして誠に有難うございます。
    妾原ご出身でいらっしゃるのですね。小生が河内界隈を初めて雑誌の取材で
    訪れたのは今から約20年前のこと。既に挙家離村で空家が多く、消えゆく
    山間の寒村の様相を色濃く呈していました。しかし風光明媚な場所である
    のは間違いなく、一時地域活性化の志のもと活動を行っていましたが、資金
    難と地元の理解が得られず、加えて活用を予定していた空家の劣化が思いの外
    深刻で断念した苦い思い出があります。とはいえ自然と人との共生が育んだ
    貴重な遺産がこのまま朽ちていくのは極めて残念だとの思いは今でも秘めて
    います。機会がございましたら、河内の歴史や将来についてじっくりとお話し
    したいですね。

  3. ふじ より:

    2枚目の写真の家が
    私のひぃおばぁちゃんの家です。
    懐かしい。
    今は雪で潰れてしまい
    何もなくなってしまいましたが。。
    昔はここによく泊まっていた事を
    懐かしく思います。
    写真が無かったのですごく嬉しかったです。
    ありがとうございます!!

  4. chaos510 より:

    >ふじ 様
    此度は当ブログにご訪問並びにコメントを賜りまして誠に有難うございます。また新型コロナウイルス感染拡大抑止の影響で公私共に繁忙で、お返事が大変遅くなり誠に申し訳ございません。そうですか、ひいおばあちゃんは山女原にお住まいだったのですね。今やほとんど住人のおられない河内ですが、緑の多いとても空気と景色の綺麗な場所です。また是非ご訪問ください。もしお写真をご希望でしたらデータをお譲り致しますので、「ご意見・情報承ります(^^)」から送信先をお知らせください。

  5. もじ より:

    >ふじ様

    子供の頃に夏休みで妾原に戻ってきた時はひぃおばあちゃんの家に火の用心に行ってました。

    ひぃおばあちゃんの家の斜め前はうちの畑ですし、きっと苗字も同じで遠い親戚だと思いますが思い出のあるこの集落は何らかの形で残したいですね。

    横から失礼しました。

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