Daily Archives: 2017年3月15日

天空の里山紀行(8) “河内山女原集落”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。第8回は犬上郡多賀町の河内山女原(かわちあけびはら)集落をご案内致します。


河内山女原集落011874(明治7)年に河内山女原村・河内宮前村・河内中村・河内下村の四ヶ村が合併して河内村に。

 

1889(明治22)年に水谷・桃原・向之倉・甲頭倉・後谷・屏風・霊仙の七ヶ村と合併して芹谷村の一部となります。そして最終的には1941(昭和16)年多賀町に併合され、現在に至ります。

 

河内は霊仙山の南西より発する芹川の上流渓谷に隣接する、標高200~240mの農村です。田地は少なく、主に林業(木材・薪炭)で生計を立てていました。その他、茶や牛蒡も生産し京都に出荷していました。特にここでも『多賀ゴボウ』の生産が盛んで、香味の良い牛蒡であることから特に珍重されたそうです。4つの集落で形成され、最盛期には合わせて400人を超える人口を有しましたが、現在常時在住するのは30人を下回り、子供の姿が消えて久しく高齢化が急速に進んでいます。

 

河内山女原集落02河内山女原は河内集落の最東端に位置し、芹川源流の1つ、権現谷(ごんげんだに)河畔にある集落。河内の中では唯一本川から外れています。山女原は妛原とも表記し、「あけんばら」とも称します。

 

他の集落に比べ平地が広く、また山が開けた地形ではありますが、最も標高が高いゆえ、冬季は積雪で「陸の孤島」と化したといいます。

 

この集落で特徴的なスポットと言えば、地元でも化石採集の場所としても有名な権現谷(ごんげんだに)です。

 

権現谷三重との県境近くにあるアサハギ谷・白谷が合流して、芹川に合流するまでの約3.5kmの渓谷が権現谷です。

 

霊仙山系付近や旧脇ヶ畑村(現・多賀町保月/杉/五僧)一帯に発達するカルスト山地の平坦面を開析する渓谷で、永年の激しい浸食作用により崩壊地形を形成したものです。

 

垂直にそそり立つ岩壁に挟まれ谷底には巨石が累積し、平水時に谷の水は巨礫の間を伏流しているなど、なかなか壮観な・・・というより『死の谷』の様相を呈しています。

 

権現谷の名は昔、修験者が権現様を祀ったことに由来し、現在でも住人により「口の権現」「奥の権現」が祀り継がれています。

 

元行者窟また関西圏でも有数の化石の産出地としても知られ、今までに三葉虫・ウミユリ・サンゴ・フズリナなどが発見されています。こんな山奥でも約2億8000万年前は、ここが海の底だったという証拠ですね。

 

さらにここは「犬戻り」の谷と呼ばれ、余りの険しさに犬も戻ってくると言われる程の難所でした。それが証拠に現在ここを通る権現谷林道は、1942(昭和17)年に起工され、完成するまで何と40年の歳月を費やしたとのことです。現在でも落石が激しく、除去作業が繰り返されています。

 

次回もお愉しみに(^^)

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 MT TRADING

 

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