「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。第4回は昭和の激動期に甲頭倉・屏風・後谷の住人たちが、その栄枯盛衰に翻弄されたある鉱山をご案内致します。
彦根近辺から霊仙山系を望むと、一際荒れた岩肌の目立つ箇所があります。標高640mのイワス(岩巣)と呼ばれるこの山には、かつて石灰石を産出する後谷鉱山が存在しました。
1935(昭和10)年に彦根でセメント工場を操業させた昭和セメントの原石採掘地として開鉱。
イワスから彦根工場(住友大阪セメント彦根工場、現在跡地はイオンタウン彦根店)まで、約5kmの空中索道(ケーブル)で原石輸送を行っていました。
その後所有企業が二転三転し、1949(昭和24)年野沢石綿セメントとなった時に戦後需要で最盛期を迎えます。
甲頭倉・屏風・後谷の住人も大半がこの鉱山の採掘作業に従事し、また県外の鉱夫も多数流入したことから、当時はかなりの活況振りだったようです。特に後谷には社員寮も整備され、鉱山特需に沸いたとか。
しかし索道輸送の非効率さが急激な需要増に追いつけず、またベルトコンベア方式による原石輸送で操業を開始した同系企業の東亜セメント多賀工場に生産の主力が移行したため、1966(昭和41)年に両工場が住友セメントの傘下に入ると、程なくして廃鉱となりました。
今もって高さ約80mにも及ぶ石灰残土の無残な姿を晒し、完全に自然へ還ることを許さぬ様相を呈しています。山あいの寒村に降って湧いたような一迅の好況。果たして周辺住民にとって「真の幸せ」をもたらしたのか否か、今となっては定かではありません。
次回もお愉しみに(^^)
【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)
【取材協力】 甲頭倉創生会 MT TRADING
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