「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。第3回は犬上郡多賀町の後谷(うしろだに)集落をご案内致します。
1889(明治22)年に水谷・桃原・向之倉・河内・霊仙・甲頭倉・屏風の七ヶ村と合併して芹谷村の一部となります。
後谷は標高420mのカルスト(石灰岩地形)山地にある農村です。
田地は少なく、主に薪炭・茶・牛蒡の生産で生計を立てていました。
屏風同様、後谷でも『多賀ゴボウ』が生産されていたそうです。
1935(昭和10)年、村内のイワスに石灰石鉱山が開鉱した頃に人口のピークを迎えますが、廃鉱と同時に過疎化が急速に進行しました。
芹谷村が多賀町に併合された際、後谷出張所が設置されました(但し所在地は水谷/すいだに)。
しかし人口の減少と行政サービスの効率化の煽りを受け、ほどなくして閉鎖。
しばらくの間建屋も残っていましたが、芹谷ダム建設計画の一環で解体されました。
後谷集落は完全に残存する民家も減り、現在は1戸に住人が在住するのみとなっています。
ちなみに森へと還ろうとする集落跡の中に、懐かしいトヨタカローラ(E70系)の廃車体を見つけました。
鉱山で活況を呈した当時は、村の最新の自家用車として輝きを放っていたのかも知れません。
次回もお愉しみに(^^)
【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)
【取材協力】 MT TRADING
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