天空の里山紀行(2) “屏風集落”

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滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介するシリーズ。第2回は犬上郡多賀町の屏風(びょうぶ)集落をご案内致します。

 

屏風集落011874(明治7)年に滋賀県に編入されて屏風村に、1889(明治22)年に水谷・桃原・向之倉・河内・霊仙・甲頭倉・後谷の七ヶ村と合併して芹谷村の一部となります。

 

屏風は甲頭倉と後谷に挟まれた、標高400mのカルスト(石灰岩地形)山地にある農村です。

 

田地は少なく、主に薪炭・石灰焼・茶・牛蒡などの生産で生計を立てていました。江戸期、屏風で作る牛蒡は『多賀ゴボウ』と呼ばれ、特に京都で珍重されたそうです。

 

屏風集落02江戸期には156人居た人口も、明治には既に12戸50人に減少していました。1935(昭和10)年に開鉱した後谷(うしろだに)石灰鉱山に大半の住人が就業し、村は俄かに活況を呈しますが、約30年後の廃鉱と共に没落の一途を辿り、超限界集落へと追い込まれました。

 

集落は山間部の谷間にありますが、大半の民家が立派な石垣の上に建てられているのが特徴です。また瓦屋根が多く、鉱山による往時の隆盛振りが伺えます。


芹川沿いには、かつて多賀小学校芹谷分校が存在しました。

 

多賀小学校芹谷分校(平成12年当時)昭和40年代には児童数も多く分校としては随一の規模と施設を誇りましたが、周辺人口の減少に伴い1993(平成5)年3月に閉校。

 

その後何度も解体の話が浮上しますが、無残な姿を晒しつつも校舎は残されていました。

 

 

しかし芹谷ダム建設計画(平成21年事業中止)に伴う周辺整備の影響と老朽化、そして防犯的観点から遂に解体されてしまいました。

 

屏風岩さらに付近には石灰石の奇景・屏風岩もあり、上級ロッククライマーの穴場的存在となっていますが、近年崩落の危機に瀕していると聞き及びます。

 

なお屏風は廃村直前の過疎地であり、完全な廃村ではありませんのでご注意ください。

 

ちなみに・・・取材を終え帰路に就こうとしましたら、坂の下の民家のお婆ちゃんに郵便物の投函を頼まれてしまいました。

 

一番近いポストでも車で20分はかかるところにしかありませんから。お預かりした物は確かに彦根市内のポストに投函しましたからね、お婆ちゃん(^^)v

 

次回もお愉しみに(^^)

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 MT TRADING

 

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