「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
好評を頂きましたフジテレビ『世界の何だコレ!?ミステリー』の“そこに辿り着く道がない!?樹海の中にある謎の村”の真相に迫るシリーズに引き続きまして、滋賀・犬上地区に点在する限界集落の魅力を12週連続でご紹介して参ります。
第1回は犬上郡多賀町の甲頭倉(こうずくら)集落をご案内致します。
1874(明治7)年に滋賀県に編入されて甲頭倉村に、1889(明治22)年に水谷・桃原・向之倉・河内・霊仙・屏風・後谷の七ヶ村と合併して芹谷村の一部となります。
そして最終的には1941(昭和16)年多賀町に併合されて現在に至ります。
甲頭倉は多賀町の最北端に位置する霊仙山系に抱かれた山・農村の1つ。
芹川上流から南北に細長く伸びる、平均標高370mのカルスト(石灰岩地形)山地にあります。最盛期は53戸153人の規模の集落でした。
田地は無く、もともとは主に林業や薪炭で生計を立てていました。
1935(昭和10)年に開鉱した後谷(うしろだに)石灰鉱山に大半の住人が就業し、村は俄かに活況を呈しますが、約30年後の廃鉱と共に没落の一途を辿り、廃村へと追い込まれました。
他の集落と異なり大半の民家がトタンか瓦屋根で、窓にはアルミサッシが取り付けられた家屋も多数存在します。
集落の中心を通る舗装道は、同じく集落の中心を流れていた甲頭倉谷の一部の上にコンクリート製の暗渠を設置して整備されるなど、山村にしては積極的に近代化が図られています。
また集落にある西蓮寺は庫裏(くり)もある非常に立派な建物で、この規模の集落にしてはとても荘厳な様相です。
氏神様である八幡神社も、神輿を収める大きな蔵が整備されていることから、往時の村の隆盛振りが伺えます。
近年集落の保全と盗難防止のために、県道17号(多賀醒井線)へ接続する集落入口にバリケードが設置されたこともあって、村は比較的良好な状態で保たれています。
廃村となった甲頭倉ですが、訪問するには甲頭倉創生会の許可が必要となりますのでご注意ください。
次回もお愉しみに(^^)
【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)
【取材協力】 甲頭倉創生会 MT TRADING
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