「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
いよいよ『世界の何だコレ!?ミステリー』取材班は、樹海の中にある謎の村に迫ります。ここまで来ますと結構な標高です。
“そこに辿り着く道がない!?樹海の中にある謎の村”
確かにGoogle Earthの衛星画像で見ると、山深い中にポツンと存在する集落。
道路表記も途中で途切れています。でもこれをGoogle Mapに切り替えると、ちゃんと集落に通じる道路は存在するのです。ネタ元は何処かは定かではありませんが、別に樹海でもありませんし、ちょっと扱いが「雑」じゃあありませんか?ってな印象です。
今回樹海の中にある謎の村とされたのは、彦根市武奈(ぶな)町です。
古代には武奈を『無南』と表記したとも文献にはあります。
集落自体は標高500mのカルスト地帯に立地する山村で、隣接する男鬼集落とは標高差がかなりあるので、行程で約3kmも離れています。
山間を僅かに拓いた場所ですから、サトイモや牛蒡などを僅かに産して米原村(現・米原市)に出荷していたようです。
また住民の大半が農産物に加え、炭・薪の採取・生産によって生計を支えていました。
1889(明治22)年に坂田郡鳥居本村に併合され大字武奈となり、1952(昭和27)年には彦根市に編入されて現在に至ります。
村の起源については霊仙山や多賀大社に関連して宗教的に古代から開けていたとか、源平合戦に敗れた平家の落武者が住みついたなど諸説あります。
しかし明治期に発生した大火によって文献が全て失われ、今となってはそれを裏付けるものは何も残っていません。
山深い立地の影響か、男鬼に比べ集落に定期的に戻る住民は少ないと見えて、随分と家屋の崩壊が進んでいます。こんなところでトヨタ・ハイエースの初代モデルに出逢えるとは想定外でしたが・・・。
ただ武奈の氏神様である若宮神社では、現在でもかつての住民が集まり、定期的に祭礼が行われているとのことです。
小生的には人工衛星でもその存在が確認出来る武奈の集落よりは、市民にも余り知られていないこちらの集落の方がむしろ樹海の中にある謎の村と言えるのでは無いかと思います。
それは武奈町にあるもう1つの集落、妙幸(みょうこう)です。
武奈に南接する高地の小さな集落で、生活環境は武奈とあまり大差は無かったとされています。
本来独立した村でしたが、昔から武奈の枝郷的存在とされていたようです。
それゆえこちらの集落へのアプローチには大変苦労しました。
林道から集落へ繋がる道は非常に狭く、カローラバンも途中に置いて、徒歩で入ったほどです。
1874(明治7)年には武奈村に吸収され大字妙幸となっています。
残念ながらこちらの集落の風化が最も激しく、建物も殆ど残っていません。
番組終盤で信行寺の住職さんが「分教場があった」と話されていましたが、それは映像に出ていた武奈集落ではなく、妙幸に設置されていたのです。
鳥居本尋常高等小学校(現・彦根市立鳥居本小学校)武奈分校が設置されたのは、1900(明治33)年のこと。
しかし児童の減少に伴い1975(昭和50)年に休校。1990(平成2)年には正式に廃校となり、廃墟と化していた校舎は破却されました。
これが14分間では語れなかった樹海の中にある謎の村の全容です。特に謎でも何でもなく、戦後日本を象徴する地方で頻発した社会現象の一例に過ぎません。
どちらかというと、近隣の限界集落で珍しい現象が起きた例があります。宜しければ是非こちらもご一読くださいませ。
【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)
【取材協力】 MT TRADING
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