樹海の中にある謎の村(3)“男鬼集落”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>


次に『世界の何だコレ!?ミステリー』の取材班は霊仙集落を抜け、山中の林道を突き進みます

 

男鬼集落01いつの間にやら彦根市内に入り、しばらく進むと視界が開け、新たな集落に出逢います。そこが彦根市男鬼町です。

 

昭和40年代後半から挙家離村が始まり、平成に入るまでもなく完全に廃村となったエリアですが、実は「市」という行政区域の中に廃村を抱える街は全国的にも非常に珍しいとのこと。ただ平成の大合併後は、それも特段珍しい現象でも無くなりましたが・・・。

 

男鬼と書いて『おおり』、または『おうり』と読みます。

 

男鬼集落02村名は古代、霊仙山にあったとされる霊仙寺の7別院の一つ、男鬼寺という古刹に因みます。

 

標高420mのカルスト(石灰岩)地帯に立地する山村で、中世には近隣の山中に河原豊後守の居城・男鬼城(別称・高取山城)が存在しました。

 

集落自体は山間の狭い土地にあるため、農産物は麦や牛蒡などを僅かに産した程度だったようです。

 

それゆえ炭・薪・柴・板・蚕などを採取・生産して、彦根市街まで出て販売することを生業としていました。

 

男鬼集落031889(明治22)年に坂田郡鳥居本村に併合され大字男鬼となり、1952(昭和27)年には彦根市に編入されて現在に至ります。

 

教育にも医療にも不便を強いられていたことが原因で挙家離村に拍車が掛かり、1971(昭和46)年に廃村。今はかつての住民が、雪深い冬季を除いて時折訪れるといった状況です。

 

彦根市は男鬼集落の保全を目的として、1973(昭和48)年に小学生を対象とした自然環境を学習するための林間学校『男鬼少年山の家』を開設。

 

男鬼町 自然の家集落唯一の寺院・誓玄寺を研修施設とし、各家屋を宿泊施設として活用しました。

 

かく言う小生も小学5年生の夏休みに開催されたオリエンテーションに参加し、でっかい虫たち、薄暗い電灯、ぼっちょん便所に翻弄されたことを今でも鮮明に覚えております(苦笑)。

 

しかし滋賀県によるびわ湖フローティングスクール事業で、1983(昭和58)年に学習船うみのこが琵琶湖に就航すると、ウリであった「不便さ」が却って災いとなり、急速に利用率が低下。家屋群の老朽化も相まって、2003(平成15)年に閉鎖されました。

 

男鬼集落 ありがたやの水取材班が覗き込んでいた黒板や椅子があるログハウスは、後に研修施設として建設された男鬼町自然の家です。

 

霊仙山系は石灰質でありながら豊富な湧水に恵まれ、利用する人々が消えた今でもコンコンと美味しい水を供給し続けています。

 

これはありがたやの水と呼ばれる湧水で、この集落の千年以上の歴史を支え続けてきた生き証人です。

 

比婆神社参道さてこの男鬼には、知る人ぞ知る「商売繁盛」のパワースポットが存在します。

 

その名は比婆(ひば)神社

 

国道8号線の案内看板から山道を8km、鳥居からさらに林道を2kmという、とてつもなく『秘境で過酷』な神社です。

 

それだけにここを知る人から聞くと、ご利益のパワーは桁違いであるとか・・・。

 

比婆神社本殿この比婆神社は多賀大社に祀られている伊邪那美命(いざなみのみこと)が、高天原(たかまがはら)よりこの地上に降臨した聖地とも言い伝えられています。

 

創祀の時期は不明ですが、戦前、旧彦根高等商業学校(現在の滋賀大学)の橋本犀之助教授が近江高天原(たかまがはら)説を提唱。

 

高天原は伊吹山麓にある弥高地区。天地開闢(てんちかいびゃく/天地に代表される世界が初めて誕生した時のこと)の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命がお隠れになったのが多賀であり、女神の伊邪那美命を祀ったのが比婆神社であると説いたそうです。


山神やがて男鬼は廃村となりますが、この神社は信者が多いため参拝者が絶えることも無く、1982(昭和57)年には何と信者によって自動車が通行可能な参道が整備されました。

 

さてこの山神様の鎮座おはします聖域に足を踏み入れたら、今回の本丸の入口に差し掛かります。

 

いよいよ次回は最終回。「樹海の中にある謎の村」へ潜入します!

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 MT TRADING

 

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