Monthly Archives: 12月 2016

今年1年のご愛顧有難うございました<(_ _)>

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

2016年の更新も本日が最終となります。

 

比良の暮雪今年は昨年末に授かった二女の子育てと職場環境の大きな変化で、満足のいく取材や記事更新が叶いませんでした。

 

にも関わらず、多くの方々にご来訪を賜り厚く御礼申し上げます。まだまだ多忙な日々は継続の見込みで、来年も余り変わり映えしなさそうな気配ではありますが、“温故知新”旧き滋賀の小さな歴史を訪ね、新しい滋賀の歩みを見つける旅を続けて参る所存です。

 

相変わらず“牛歩”の様相でしょうが・・・(>_<)

 

来年も何卒ご贔屓を賜りますようお願い申し上げます。皆様、良いお年をお迎えくださいませ<(_ _)>

 

◆来年最初の記事投稿は1月11日(水)12時更新予定ですのでお楽しみに!

◆アーカイブスサイト「後藤奇壹の湖國浪漫風土記・淡海鏡」は、当初の運用目的を達成致しましたので、本日をもちまして更新を終了致します。長年のご愛顧誠に有難うございました。

 

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樹海の中にある謎の村(4)“武奈集落”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>


いよいよ『世界の何だコレ!?ミステリー』取材班は、樹海の中にある謎の村に迫ります。ここまで来ますと結構な標高です。


霊仙山系さて番組内のタイトルを今一度確認致しましょう。

 

“そこに辿り着く道がない!?樹海の中にある謎の村”

 

確かにGoogle Earthの衛星画像で見ると、山深い中にポツンと存在する集落。

 

道路表記も途中で途切れています。でもこれをGoogle Mapに切り替えると、ちゃんと集落に通じる道路は存在するのです。ネタ元は何処かは定かではありませんが、別に樹海でもありませんし、ちょっと扱いが「雑」じゃあありませんか?ってな印象です。

 

武奈集落01今回樹海の中にある謎の村とされたのは、彦根市武奈(ぶな)です。

 

古代には武奈を『無南』と表記したとも文献にはあります。

 

集落自体は標高500mのカルスト地帯に立地する山村で、隣接する男鬼集落とは標高差がかなりあるので、行程で約3kmも離れています。

 

武奈集落02山間を僅かに拓いた場所ですから、サトイモや牛蒡などを僅かに産して米原村(現・米原市)に出荷していたようです。

 

また住民の大半が農産物に加え、炭・薪の採取・生産によって生計を支えていました。

 

 

1889(明治22)年に坂田郡鳥居本村に併合され大字武奈となり、1952(昭和27)年には彦根市に編入されて現在に至ります。

 

武奈集落03村の起源については霊仙山や多賀大社に関連して宗教的に古代から開けていたとか、源平合戦に敗れた平家の落武者が住みついたなど諸説あります。

 

しかし明治期に発生した大火によって文献が全て失われ、今となってはそれを裏付けるものは何も残っていません。

 

若宮神社山深い立地の影響か、男鬼に比べ集落に定期的に戻る住民は少ないと見えて、随分と家屋の崩壊が進んでいます。こんなところでトヨタ・ハイエースの初代モデルに出逢えるとは想定外でしたが・・・。

 

ただ武奈の氏神様である若宮神社では、現在でもかつての住民が集まり、定期的に祭礼が行われているとのことです。

 

妙幸集落01小生的には人工衛星でもその存在が確認出来る武奈の集落よりは、市民にも余り知られていないこちらの集落の方がむしろ樹海の中にある謎の村と言えるのでは無いかと思います。

 

それは武奈町にあるもう1つの集落、妙幸(みょうこう)です。

 

妙幸集落02文献には妙幸を『明幸』とも表記するとあります。

 

武奈に南接する高地の小さな集落で、生活環境は武奈とあまり大差は無かったとされています。

 

本来独立した村でしたが、昔から武奈の枝郷的存在とされていたようです。

 

それゆえこちらの集落へのアプローチには大変苦労しました。

 

鳥居本小学校武奈分校跡林道から集落へ繋がる道は非常に狭く、カローラバンも途中に置いて、徒歩で入ったほどです。

 

1874(明治7)年には武奈村に吸収され大字妙幸となっています。

 

残念ながらこちらの集落の風化が最も激しく、建物も殆ど残っていません。

 

番組終盤で信行寺の住職さんが「分教場があった」と話されていましたが、それは映像に出ていた武奈集落ではなく、妙幸に設置されていたのです。

 

往時の鳥居本小学校武奈分校鳥居本尋常高等小学校(現・彦根市立鳥居本小学校)武奈分校が設置されたのは、1900(明治33)年のこと。

 

しかし児童の減少に伴い1975(昭和50)年に休校。1990(平成2)年には正式に廃校となり、廃墟と化していた校舎は破却されました。

 

これが14分間では語れなかった樹海の中にある謎の村の全容です。特に謎でも何でもなく、戦後日本を象徴する地方で頻発した社会現象の一例に過ぎません。

 

どちらかというと、近隣の限界集落で珍しい現象が起きた例があります。宜しければ是非こちらもご一読くださいませ。

 

『集落崩壊!?“村ごと消えた村”』のお話はこちら!

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 MT TRADING

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樹海の中にある謎の村(3)“男鬼集落”

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次に『世界の何だコレ!?ミステリー』の取材班は霊仙集落を抜け、山中の林道を突き進みます

 

男鬼集落01いつの間にやら彦根市内に入り、しばらく進むと視界が開け、新たな集落に出逢います。そこが彦根市男鬼町です。

 

昭和40年代後半から挙家離村が始まり、平成に入るまでもなく完全に廃村となったエリアですが、実は「市」という行政区域の中に廃村を抱える街は全国的にも非常に珍しいとのこと。ただ平成の大合併後は、それも特段珍しい現象でも無くなりましたが・・・。

 

男鬼と書いて『おおり』、または『おうり』と読みます。

 

男鬼集落02村名は古代、霊仙山にあったとされる霊仙寺の7別院の一つ、男鬼寺という古刹に因みます。

 

標高420mのカルスト(石灰岩)地帯に立地する山村で、中世には近隣の山中に河原豊後守の居城・男鬼城(別称・高取山城)が存在しました。

 

集落自体は山間の狭い土地にあるため、農産物は麦や牛蒡などを僅かに産した程度だったようです。

 

それゆえ炭・薪・柴・板・蚕などを採取・生産して、彦根市街まで出て販売することを生業としていました。

 

男鬼集落031889(明治22)年に坂田郡鳥居本村に併合され大字男鬼となり、1952(昭和27)年には彦根市に編入されて現在に至ります。

 

教育にも医療にも不便を強いられていたことが原因で挙家離村に拍車が掛かり、1971(昭和46)年に廃村。今はかつての住民が、雪深い冬季を除いて時折訪れるといった状況です。

 

彦根市は男鬼集落の保全を目的として、1973(昭和48)年に小学生を対象とした自然環境を学習するための林間学校『男鬼少年山の家』を開設。

 

男鬼町 自然の家集落唯一の寺院・誓玄寺を研修施設とし、各家屋を宿泊施設として活用しました。

 

かく言う小生も小学5年生の夏休みに開催されたオリエンテーションに参加し、でっかい虫たち、薄暗い電灯、ぼっちょん便所に翻弄されたことを今でも鮮明に覚えております(苦笑)。

 

しかし滋賀県によるびわ湖フローティングスクール事業で、1983(昭和58)年に学習船うみのこが琵琶湖に就航すると、ウリであった「不便さ」が却って災いとなり、急速に利用率が低下。家屋群の老朽化も相まって、2003(平成15)年に閉鎖されました。

 

男鬼集落 ありがたやの水取材班が覗き込んでいた黒板や椅子があるログハウスは、後に研修施設として建設された男鬼町自然の家です。

 

霊仙山系は石灰質でありながら豊富な湧水に恵まれ、利用する人々が消えた今でもコンコンと美味しい水を供給し続けています。

 

これはありがたやの水と呼ばれる湧水で、この集落の千年以上の歴史を支え続けてきた生き証人です。

 

比婆神社参道さてこの男鬼には、知る人ぞ知る「商売繁盛」のパワースポットが存在します。

 

その名は比婆(ひば)神社

 

国道8号線の案内看板から山道を8km、鳥居からさらに林道を2kmという、とてつもなく『秘境で過酷』な神社です。

 

それだけにここを知る人から聞くと、ご利益のパワーは桁違いであるとか・・・。

 

比婆神社本殿この比婆神社は多賀大社に祀られている伊邪那美命(いざなみのみこと)が、高天原(たかまがはら)よりこの地上に降臨した聖地とも言い伝えられています。

 

創祀の時期は不明ですが、戦前、旧彦根高等商業学校(現在の滋賀大学)の橋本犀之助教授が近江高天原(たかまがはら)説を提唱。

 

高天原は伊吹山麓にある弥高地区。天地開闢(てんちかいびゃく/天地に代表される世界が初めて誕生した時のこと)の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命がお隠れになったのが多賀であり、女神の伊邪那美命を祀ったのが比婆神社であると説いたそうです。


山神やがて男鬼は廃村となりますが、この神社は信者が多いため参拝者が絶えることも無く、1982(昭和57)年には何と信者によって自動車が通行可能な参道が整備されました。

 

さてこの山神様の鎮座おはします聖域に足を踏み入れたら、今回の本丸の入口に差し掛かります。

 

いよいよ次回は最終回。「樹海の中にある謎の村」へ潜入します!

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 MT TRADING

 

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樹海の中にある謎の村(2)“霊仙集落・後篇”

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世界の何だコレ!?ミステリー』のフジテレビ取材班が最初に訪れた犬上郡多賀町霊仙

 

先週の記事で霊仙は三ヶ村が合併して構成された地区であるとお話し致しました。今回はテレビに映らなかった残り2つの集落(入谷・今畑)をご紹介致したいと存じます。

 

霊仙入谷集落01入谷(にゅうだに)は霊仙の北端に位置し、標高は約300m、霊仙の入口に最も近い集落です。

 

町村再編の過程や村の生活の様相は落合のそれと全く同様です。

 

村の特徴は何と言ってもその標高差にあります。

 

霊仙入谷集落02集落の入口から一番奥まで何と約50mの高低差があり、中央を通る道の傾斜角は平均40度と非常に急峻です。おかげでカローラバンが坂道の途中で立往生してしまいました<(ToT)>

 

このような切り立った谷間に張り付くように民家が点在する入谷ですが、かつては三ヶ村の中で最も人口の多い集落であったというから驚きです。

 

了眼寺入谷唯一の寺院である了眼寺は、集落の一番の高台に位置します。

 

それだけ村の人々がこの寺院を大切にしていたという証でもあります。

 

ここでは『故郷(ふるさと)の日』という、かつての住人が定期的に集う行事が今でも行われています。

 

霊仙 故郷の日(平成15年)それにしても、このような急峻な土地に住もうと考えた祖先もさることながら、ここで長らく生活をされてきたことに、驚きと尊敬の念を禁じ得ません。

 

なお入谷も廃村直前の超限界集落ではでありますが、完全な廃村ではありませんのでご注意ください。

 

今畑(いまはた)は標高約420m、霊仙山中にある小さな集落です。

 

霊仙今畑集落01町村再編の過程や村の生活の様相は落合や入谷のそれと全く同様ですが、地理的条件の悪さから車道が通じることはありませんでした。

 

そして1979(昭和54)年に完全な廃村となります。

 

現在でも今畑へは登山道を徒歩で行くしか訪れる方法はありません。

 

霊仙山登山道若かりし時の小生は初めて今畑にトライした際、何と背広姿にリュックサックという異様な出で立ちで、いざ出発!

 

たまたま居合わせた地元の林業従事者の方に、「兄ちゃん、まさかそんな格好で霊仙登るんか?」と慌て声を掛けられた経験があります(どうも自殺願望者に間違われたようでした)。

 

その時、今畑が廃村となった真の理由を教えて頂きました。

 

霊仙今畑集落02確かにモータリゼーションの波の中で車道が通らなかったという致命的要因もありますが、最大の理由はサルやカモシカといった野生動物に家や畑を荒らされて生活が立ち行かなくなったのだそうです。

 

当時「自然に人間が追い出されたんや」としみじみ語っておられたのをよく憶えています。

 

 

宗金寺入谷同様、今畑でも『故郷の日』が今でも宗金寺で定期的に行われています。

 

さて少し寄り道をしてしまいました。

 

来週は「奥の細道」・・・いやいや落合集落からの「奥の山道」の先へと進みます!

 

【参考文献】 角川日本地名大辞典・25滋賀県(角川書店)

【取材協力】 MT TRADING

 

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