「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
衆生に光明もたらす菩薩の慈悲“木之本地蔵”の伝説・後篇をお届け致します。
木之本地蔵院が創建されてから約140年後のこと。
弘仁3(812)年。全国修行行脚の途上、空海(弘法大師)がこの地を訪れました。
早速木之本のお地蔵さんを参詣したのですが、長い年月を経て著しく荒廃した姿に接し、大変心を痛めました。
そしてこの地蔵院の修復を申し出るのです。
この時空海は、閻魔王(えんまおう)と具生神(ぐしょうじん/人の善悪を記録して死後に閻魔王への報告を担う二神)を安置し、紺紙金泥(こんしこんでい/紺色に染色した紙に金粉をニカワに溶いた絵具で書いたもの)の地蔵本願経一部三巻を献納しました。
すると、ある夜のこと。空海は不思議な夢を見ます。
『堂前の湖に龍が棲んでおり人々に害をなしているのでこれを救え』とのお告げを受けるのです。
早速空海は湖の畔に立ち祈祷を行いました。すると湖から龍が表れて、
『私はこの湖に棲む龍で賤(しず)と申します。今後人々に危害を加えませんので、どうかお討ちにならずにお助け下さい』と懇願しました。
そこで空海はここでの修法(壇を設けて行う加持祈禱)に参列するようにと申し付けます。龍は童女に姿を変え、修法に参列しました。
龍の大変神妙且つ真剣な態度に感心した空海は、懲らしめずに伊香具神社(いかぐじんじゃ)の守護神として祀ることにしました。
長浜市木之本町大音(おおと)にある伊香具神社の祭神は伊香津臣命(いかつおみのみこと)ですが、『近江国風土記』に記載されている余呉湖の羽衣伝説に登場する天女・伊香刀美(いかとみ)と同一であるとされています。
余呉湖の龍神は「天女」であったのかも知れませんね。
また童女・賤にちなんで、伊香具神社の後ろの山を賤ヶ岳(しずがたけ)と名付けたと言い伝えられています。
木之本地蔵院は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)によって本陣が置かれ、戦火により焼失。賤ヶ岳一帯も柴田勝家との激しい戦い(賤ヶ岳合戦)が繰り広げられ死屍累々の地と化したのは、実に因果なことです。
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