中世当代一の色男秘話“泡子塚”の伝説

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

今回は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した当代きっての色男(?)、西行(さい
ぎょう)にまつわるお話をいたしたいと存じます。

 

中山道六十九次の第61番宿場で湧水の郷としても名高い醒井(さめがい)。ここに泡子塚(あわ
こづか)と呼ばれる場所があります。

 

西行を色男と紹介しましたが、決して「軽薄な人物」ではございません。

 

西行(佐藤義清)もとは佐藤義清(さとうのりきよ)という武士で、大化の改新を成し遂げた功労者の1人である中臣(藤原)鎌足を祖とするバリバリのエリート。

 

また生命を深く見つめ花鳥風月をこよなく愛した大歌人としても知られ、文武両道・頭脳明晰・容姿端麗とはまさに彼のためにある言葉であると断言しても過言ではない程のスーパーウルトライケメンであったのです。

 

しかし彼の周囲で巻き起こった様々な出来事に世の無常を痛感し、約束されていたエリートの道を捨て、22歳の若さで出家するという、何とも破天荒な人生を送った人物なのです。

 

さてその西行が東国へ赴く際の途上(40歳代後半か?)のことです。

 

西行は醒井に立ち寄り、この泉の畔にある茶店で休憩をしていました。

 

泡子塚(西行水)案内出家していたとはいえ、そこはかとなく漂う妖艶な色男振りに茶店の娘がたちまち心惹かれ恋をし、西行の立ち去った後に飲み残した茶の泡を思わず口に含んでしまうのです。

 

すると不思議なことに娘は懐妊してしまい、やがて可愛い男の子を出産しました。

 

数か月後。東国からの帰途、再び西行はこの醒井を訪れます。

 

そして茶店の娘からことの一部始終を耳にするのです。

 

西行は男の子を熟視して、「今一滴の泡変じてこれ児なる、もし我が子ならば元の泡に還れ(本当に私が飲み残した茶の泡を口に含んで生まれた子であるなら、もとの泡に還れ)」と祈り、

 

水上は 清き流れの醒井に 浮世の垢を すすぎてやみむ

 

と歌を詠みました。

 

泡子塚すると男の子はたちまち泡となってしまったのです。

 

 

あまりの不可思議な出来事に西行自身も大変驚きましたが、確かに我が子であると認め、湧き出る清水の畔に供養のための五輪塔を建立しました。

 

岩の上にあるこの五輪塔には「仁安三年子年立 一煎一服一期終即今端的雲脚泡」と刻まれています。また今でもこの辺りの地名(小字名)を“児醒井”と呼ぶそうです。

 

ちなみに・・・

 

泡子延命地蔵尊御遺跡実は近江八幡市西生来(にしょうらい)町の中山道沿いにも同じようなお話が語り継がれています。

 

沿道にある泡子延命地蔵尊御遺跡がそのお話の舞台ですが、主人公の名前が明らかでない(犯人不詳)こと以外はほぼ全く話の筋が同じなのです。

 

犯人はここも「西行」その人であるような気がしてならないのてすが・・・

 

そのような下世話なことを考えるのは私だけでしょうか・・・ねぇ?(^^)

 

アーカイブスサイト後藤奇壹の湖國浪漫風土記・淡海鏡では、『湖國納涼散歩』シリーズと題しまして、初秋に掛けを求める旅をご案内。スタートとして泡子塚ゆかりの湧水の郷・醒井をご紹介しておりますので、こちらも是非ご覧ください! 

 

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