とある機関車の終焉、そして追憶の彼方へ

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

三岐鉄道 保々車両区お隣の三重県にある地方私鉄、三岐(さんぎ)鉄道。その中核路線である三岐線に、保々(ほぼ)という駅があります。

 

同駅構内にはCTC(列車集中制御)センターを始め、車両区や施設区があり、三岐線の中枢的役割を担っています。

 

去る5月のことです。

 

この保々駅構内の片隅で、人知れずこの世に別れを告げた1輌の電気機関車がありました。その機関車の名はED500形502号機。またの名をいぶき500形502号機と称しました。

 

昭和27(1952)年6月。ライオン印の“ライオンセメント”で知られていた大阪窯業セメント(現在の住友大阪セメント)は、伊吹山に石灰石鉱山(伊吹鉱山)を操業。翌月、山麓にセメント加工プラント(伊吹工場)を新設しました。同時にバラセメントの大量輸送のため、国鉄(現JR)近江長岡駅に接続する全長3.7kmの貨物線(伊吹工場専用線)が整備されます。

 

伊吹工場専用線の車庫で休息する在りし日のいぶき501・502(1994年5月)昭和30(1955)年に東海道線・稲沢~米原間が電化。これに追随して翌年1月に同専用線も電化され、日立製作所製の自社発注電気機関車が2輌導入されました。

 

 

運転整備重量が50tであることと、導入路線に因み、いぶき500形(501・502号機)と命名されます。

 

上の写真は、まだ小生が社会人成り立ての頃、運転休止日に伊吹工場構内での撮影を特別に許可戴いた時のものです。製造から40年近く経過しているとは思えぬほどの“艶っぷり”。大変大事に扱われていたことが窺えました。

 

運用は平日のみの6往復で、長いセメント貨物列車を従えて地道に活躍。長年日本のインフラ整備の根幹の一端を担いました。しかしモータリゼーションと国内鉱山の需要低下の波には勝てず、平成11(1999)年6月28日をもって運行を終了。開業から47年の歴史に幕を下ろし、2輌の機関車もお役御免となりました。

 

セメント輸送はトラックに切り換えられ、専用線の鉄道設備は程なくして全て撤去されました。

 

住友大阪セメント伊吹工場専用線跡(2009年9月)現在同線跡は伊吹せんろみちと称するサイクリングロード&遊歩道として整備され、かつての線路跡を辿ることが出来ます。またトンネルや橋梁も一部が残されており、現役当時の面影を偲ばせます。

 

右写真の舗装道路がかつての路線跡です。ホームや待合室様の建築物は、公園設備として後から設置されたものです(レールと枕木は本来の場所から移設されていますがホンモノです)。

 

さて、廃線後も車庫に保管されていた機関車たち。平成11(1999)年8月に廃車となり、このまま専用線と運命を共にするかと思われました。しかし幸運にも遠く静岡は大井川鐵道に譲渡されることが決定。同年10月にトラックにて移送。殆ど原形を留めた状態で、翌年2月22日にED500形として竣工。3月18日より同社名物・SL列車の補機として第2の人生をスタートさせました。

 

大井川鐵道で活躍するいぶき501(2008年8月)しかし運命とは数奇なもの。

 

平成17(2005)年2月開港を目指す中部国際空港建設用埋立土砂輸送のために機関車不足となる三岐鉄道からの要請を受諾。501号機は貸与、502号機は売却という形で再び移送されることに。同社での運用に合わせた改造を受け、平成12(2000)年5月18日より運用を開始。大井川鐵道での活躍は僅か2ヶ月足らずでした。

 

いきなり訪れた第3の人生は勝手知ったる本来の姿。土砂輸送が完了するまでの約2年半、三岐鉄道の貨物輸送の一端を担いました。

 

しかしこれまで常に寄り添って活躍してきたこの2輌に今生の別れが訪れます。土砂輸送が終了した平成14(2002)年10月29日。余剰となった2輌はこの日をもって廃車。翌年3月18日に貸与扱いであった501号機は大井川鐵道へ返却。502号機は三岐線の終点・西藤原駅の構内で静態保存されることとなりました。かつて伊吹専用線で活躍し一足先に里帰りを果たしていたE101形蒸気機関車(102号機)と共に、この地で静かに余生を送るはずでした。

 

三岐鉄道で静態保存されていたいぶき502(2005年2月)しかし運命とは残酷なもの。

 

屋根下展示であったE101形と異なり、露天展示されていた502号機は老朽化が急速に進行。保存状態を維持することが困難となりました。平成26(2014)年8月には保々車両区へと回送。約9ヶ月の間雨晒しにされ、後に解体となりました。使用可能な部品は、501号機用のスペアとして大井川鐵道へ引き渡された模様です。

 

そして502号機がこの世を去った同時期。大井川鐵道は名古屋鉄道の傘下から離脱し、地域経済活性化支援機構の支援のもと、静岡銀行とエクリプス日高による事業再生を受け、厳しい経営改善への道を歩むこととなりました。既に老朽化した電機置換用として、西武鉄道からE31形3輌が譲渡されており、501号機も終生安泰とは言えない状況になっています。

 

今となってはどうしようもないことですが、502号機を何等かの形で滋賀に里帰りさせてやれれば良かったのにと、悔恨の念が募るばかりです。ただせめてこの502号機の尊い犠牲が、501号機のあと40年動態運用へ繋がってくれればと、祈らずにはいられないのです。

 

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