俳人と乞食坊主の数奇な出逢い“昼寝塚”の伝説

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今回は昼寝塚(ひるねづか)の伝説についてご紹介したいと存じます。

 

原八幡神社名神高速道路・彦根インターチェンジ入口傍に原八幡神社があります。

 

 

日本一大きな太鼓が奉賛されている神社として名が知られていますが、今回は太鼓については触れません(^^)

 

中山道に隣接するこの神社の鎮守の森は、鳥居本宿と高宮宿のほぼ中間点に位置することから、かつて旅人が木陰で休むのに大変重宝された場所であったようです。

 

昼寝塚境内には表に昼寝塚と刻まれた小さな石碑が、木々の木陰にひっそりと佇んでいます。

 

またこの石碑の裏側にはこのような歌が刻まれています。

 

“ひるがほに 昼寝せうもの 床の山”

 

実はこの句、江戸期を通し代表的な俳人である松尾芭蕉(まつおばしょう)が詠んだものなのです。

 


ある年のこと。芭蕉が中山道を草津から守山を経て彦根にやってきました。

 

松尾芭蕉原八幡神社の傍に差し掛かった時、汚い出で立ちのみすぼらしい1人の男に遭遇します。

 

その男は古びた高麗茶碗に瓜の皮を入れ、破れた扇で蝿を追いながら、木陰で昼寝をしている乞食坊主でした。

 

芭蕉はただの乞食でないのを察知し、この男に握り飯を与え、人生のことなどをしみじみと語り合いました。

 

これが芭蕉の門人十哲の1人である八十村 路通(やそむら ろつう)との出逢いとなります。

 

この出逢いを契機として路通は芭蕉の弟子となり、芭蕉はこの出逢いに「ひるがほの~」の歌を詠んだとされています。この句は芭蕉が貞享4(1687)年10月から翌年の8月に掛けて俳諧行脚に赴いていた際、近江から美濃へ向かう途中、彦根に住む門弟の李由(りゆう)に送った手紙に添えられていたものです。

 

「君が住んでいる辺りの床山(鳥籠山)に立ち寄り、昼顔でも見ながらゆるりと昼寝といきたいところなのだが、残念ながら今回は旅の都合もあり寄らずに先を行くとするよ」という弟子への挨拶を込めた句であると現代では解釈されています。よってここに路通との出逢いの意味が含まれていたか否かは、芭蕉本人のみぞ知るといったところでしょうか。

 

路通の出自は定かでなく、出逢いの場も草津・守山近辺と記述されている書物もあり、門人の中では何ともミステリアスな人物ではあります。ただ彦根では「芭蕉・路通出逢いの場所」は、この地であったと語り伝えています。

 

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