放蕩息子の哀しき末路“権兵衛淵”の伝説

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今回は権兵衛淵(ごんべえぶち)の伝説についてご紹介したいと存じます。

 

守山市木浜(このはま)町。現在ここは湖周道路と琵琶湖大橋取付道路(国道477号)が交錯する交通の要衝となっています。

 

しかしかつては対岸の堅田(かたた)地区とを結ぶ湖上交通の要衝として、また自然豊かな内湖が点在する格好の漁場でした。その内湖の一部に権兵衛淵と呼ばれる場所がありました。

 

髪結床江戸時代のこと。この村に夫婦で髪結床(かみゆいどこ/現在の理髪店に当たる)を営む権兵衛という者がおりました。

 

愛嬌があり、また愛想も良いことでとても人気があり、村人から可愛がられて商いはとても繁盛していました。

 

この権兵衛夫婦には8歳になる息子がおりました。夫婦ともども大の子供好きで、この上もなく可愛がり、文字通り「目に入れても痛くない」と言わんばかりの親バカぶりでした。

 

ところがその手塩にかけて育てた息子が何をどう間違ったのか、あろうことか店の金を盗んでしまいました。母親が見咎めて叱りましたが、権兵衛には内緒にしていたのです

 

その夜、客が帰ってから権兵衛はその日の勘定をした時、どうしても金が足りないことに気付きます。妻に尋ねますが、解らないとの返事。しかし馬鹿正直な権兵衛はそのままで済まされず、しつこく調べたので、遂に妻が真実を喋ってしまいました。

 

権兵衛淵(イメージ)権兵衛は大層怒り、「家の金だったからよかったものの、他人の金だったらどうするんだ!」と泣きじゃくる息子を舟に乗せて水路の中へ漕ぎ出し、可愛い1人息子を水の中へ突き落そうとしました。

 

息子は泣きながら両手を合わせ必死で許しを請いましたが、頑固者であった権兵衛はとうとう水中へ突き落しました。

 

ところが息子は船縁に掴ってもがき、さらに命乞いをします。すると何と権兵衛は刃物を持ち出し息子の両手を切り落としたので、とうとう息子は水中に落ち亡くなってしまいました。後に曲がったことを殊更嫌った権兵衛の心を伝えるため、その地を権兵衛淵と名付けたそうです。

 

この木浜地区を始めとする守山市の琵琶湖畔は、大東亜戦争後の高度成長期からバブル景気時に大規模な干拓やリゾート開発が推進され、かつての自然豊かな情景は見る影もなくなってしまいました。残念ながら権兵衛淵も歴史の波の例に漏れず、今や誰もその地を特定することが出来なくなってしまいました。

 

第1なぎさ公園の菜の花畑しかしバブル崩壊後はアミューズメント施設も長続きせず、ある種「昭和の狂気遺産」の様相を呈しています。昨年末起死回生の想いでオープンした某ショッピングモール。最近客足の勢いが落ちつつあるという噂がまことしやかに流れています。

 

まさか権兵衛の息子の怨念が未だにこの地に渦巻いているとは考えたくありませんが・・・。

 

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