「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
仕事の繁忙と体調不良で、またまたお休みしておりました(>_<)
さて今回は米炊地蔵(こめたきじぞう)の伝説についてご紹介したいと存じます。
東近江市のほぼ中心部にある箕作山(みつくりやま)。
その東の麓に伊野部(いのべ)という集落があります。
ここはかつて神崎郡五個荘町と八日市市の境界でした。
その境界の集落の外れに小さな祠があります。祠には箕作山の岩塊に掘られた磨崖仏(まがいぶつ/自然の岩壁や露岩、転石に造立された仏像のこと)がひっそりと鎮座しています。
この磨崖仏は南北朝時代の作と伝えられており、地元では米炊地蔵と呼ばれています。
昔々、とある豪商の家におつやという大変気立てのよい娘がおりました。
おつやは毎朝欠かさず太郎坊さん(阿賀神社)に参拝し、その道すがらにあるこのお地蔵さんにも絶えず線香やお花を供えておりました。
ある日のこと、いつものお地蔵さんのところを訪れた際、1人の武士が現れておつやにちょっかいを出してきました。
おつやが逃げようとすると「無礼者め!」と叫び、刀に手を掛けて今にも切り掛かろうとします。
するとその時、道の下を流れる川で米を研いでいた女が走り寄って、「もしお武家さま。何かは存じませんが、年若い娘のことですからどうか許してやってください」と懇願します。
するとその武士は、「邪魔をする気か?いらんことをするならお前も切って捨てるぞ!」と激高しました。
女は娘に早く逃げるように目配せして、「お切りになるならどうぞ私を切って、この娘を助けてください」と地べたに座り込んで首を差し出しました。
武士は怒り心頭となり、すかさず女の首を切ってしまいました。
お陰でおつやは命拾いしましたが、身を挺して助けてくれた女のことが気になって仕方がありません。
翌朝、せめて女の家へ礼に行こうとして探しますが、村人は誰もその女のことを知りません。
途方に暮れていつものお地蔵様のところを訪れると、そこには胴と首が離れたお地蔵様が転がっていました。そこでおつやの身代わりとなったお地蔵様のことが大変評判になったとのことです。
ちなみに「米炊」の名は、「米研ぎ」が転じたものとも言われています。
現在、県道209号となった傍らの街道は、クルマが頻繁に行き交うものの、人通りはほとんどありません。でもうっすらと笑みを浮かべた可愛いお地蔵様は、今の時代にあっても人々の暮らしを優しく見守っていらっしゃいます。
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