「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
第6回目は引き続きGattan Go(ガッタンゴー)をご紹介致します。
さて神岡第二隧道に突入。すぐさまレールマウンテンバイク搭載の前照灯を点灯させますが・・・
漆黒の闇・・・です(>_<)
すかさず手持ちの補助灯(LED)を点灯させますが、それでもこのような感じ。
でも季節外れの大雨で外気がやや蒸し暑くなっていたので、ひんやりとしたトンネル内部はひと時のオアシスになりました。
直線でしかも延長300m程度のトンネルであるため、あっという間に通過。
国鉄時代は飛騨船津駅と称し、旧神岡町中心街並びに町役場の最寄駅でした。
1.8km地点のここは高架駅のためとても見晴らしがよく、線路からは旧神岡町の街並みが一望出来ます。
さぁて第2の関門、神岡第一隧道が目前に迫っています。今度はトンネルの向こう側が全く見えません。
神岡第二隧道が“漆黒の闇”なら、神岡第一隧道はまさしく暗黒の闇。流石に前照灯も補助灯も何を照らしているのやら・・・自慢の一眼レフも光源を捉えられず撮影不能に((+_+))
全く視界が開けず一抹の不安がよぎる中、長い右カーブをひたすら疾走。
するとようやく光が・・・
おおっ、このシチュエーションはまさしく川端康成の世界。
トンネルを抜けるとそこは・・・“雪國”・・・ではありません(^^)
延長約600mのトンネルをミッションコンプリートすると緩やかなカーブが見えて参ります。
このカーブに差し掛かると、終点まであと少し。
煙雨なのか好天の兆しなのか・・・一か八かの想いでラストスパートを掛けます。
ようやく終点が見えてきました。ガッタンゴー往路約3.0kmの完走です。
ここも国鉄時代は神岡口駅と称していました。
この神岡線内で最も広大な施設を有する駅で、国鉄そして神岡鉄道時代を通じてこの路線が必要とされた理由を象徴する場所でもあります。
もともと神岡線は、この写真中央に見える神岡鉱山から亜鉛鉱石を搬出するために計画された路線だったのです。第3セクター化後も濃硫酸の輸送が行われていましたが、トラックへの転換に伴い貨物営業を平成16(2004)年12月31日をもって休止。貨物輸送が収益の約7割を占めていた神岡鉄道は、このことにより廃止の道を選ばざるを得ませんでした。
ちなみに社会の授業で「日本の四大公害病」というのを習ったのを覚えておられますか?「水俣病・第二水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそく」でしたよね。実はそのうちのイタイイタイ病の原因となったのが、この神岡鉱山から神通川流域に流出したカドミウムなのです。
山間の駅に不釣り合いなこの広大な施設は、かつて貨物輸送が全盛だった時代の名残です。
さて駅に到着後、しばしホームの待合室で休憩。
ホームの端にある大きな白い建物はかつての車庫。
ここに今でも神岡鉄道時代に活躍したKM-100形ディーゼルカーとKMDD13形ディーゼル機関車が保管されています。かつて廃線後に観光鉄道化を目指す動きがあり、それに備えての保存だったのですが、推進派の当時の飛騨市長が市長選に落選してしまい、計画は白紙となりました。時折公開されているようですが、願わくはこの3km区間でだけでも再びエギゾーストノートを響かせて欲しいものです。
幸か不幸か休憩室に入った途端、再びどしゃ降りの猛攻。ここで約30分、足止めを喰らう羽目になりました(>_<)
でも走行中に降られなかったのはせめてもの救い。
さぁここから復路のレポートを・・・と言いたいところですが、帰りは地獄でございました(T_T)
往路で調子に乗ったせいか、私たちのカラータイマーは既に赤点灯状態。おまけに帰りは上り勾配。何とか無事戻るために必死でペダルを漕いだ記憶しか残っていません。挙句の果てに妻が過呼吸で途中ダウン!残り約600mを小生が片肺運転するという悲劇を招きました((+_+))
皆さん、ペース配分は大切です!
この駅は現在、JR西日本とJR東海の境界駅となっています。
1日の利用者は僅か50人程度。駅前にコンビニすらない山あいの小さな駅ですが、境界駅ということもあって全ての特急が停車。乗務員(運転士・車掌)も交替します。
ここはもう富山県に位置するのですが、かつてこの猪谷は神岡線の起点駅でした。
ホームにはフェンスが設置され、レールが撤去された痕跡が写真でもご確認頂けますが、以前はここに神岡線が乗り入れる3番ホームが存在しました。
この猪谷の街も、神岡線の衰退とともに廃れました。
神岡から鉱石を満載にして牽引されてきた貨車がここで一旦留置され、本線用機関車に付け替えて各地へと旅立っていった光景が容易に想像できます。
無人駅となった猪谷はまるで時間が止まったかのようです。
それでは最後にこんなエピソードを。
ガッタンゴーを無事完走し、旧飛騨温泉口駅の休憩室でまったりとしていた時。スタッフの方とこんな話をしました。
「神岡鉄道の廃止が決定した時、さぞかし地元では反対の声が高まったのではないですか?」
如何にも鐵道ファン(目線)の、鐵道ファンによる、鐵道ファンのための典型的な質問。
これに対しての回答は意外なモノでした。
「いいえ、神岡鉄道の廃止は地元住民からすんなりと受け入れられました。冬の過酷な環境、沿線の急速な過疎化、貨物輸送休止に伴う業績悪化・・・あの時全てに於いてもう“限界”だったんです。例え観光鉄道として事業継続しても、地元の人間には先が見えていました。私たちにとって神岡鉄道の存在は、もう“お荷物”だったんです。」
それを聞いて軽くショック・・・惜しまれて消えゆく鉄路が多い中、こんなにも不憫なことがあろうかと。
でもよくよく考えてみると、鉄道事業も経済活動の一環。収益が上げられなければ事業継続出来ないのは至極当然のこと。であるならば、地元の方々は冷静に現実を受け止めて、賢明な判断を下されたのでしょう。
単なるアトラクションのつもりでしたが、ここでも様々な「旅の醍醐味」が堪能出来ました。ガッタンゴーは4~11月が営業期間(詳しくはオフィシャルサイトを参照)。完全予約制ですので、旅の行程には十分ご注意ください。特にゴールデンウィークや連休、夏休みは混み合いますので、ご予約はお早めに!
そしてまた晴れ間が巡ってきました・・・(^_^)v
(旅は続くよ、どこまでも・・・)
◆レールマウンテンバイク ガッタンゴー
・岐阜県飛騨市神岡町東雲(あずも)1327-2
【TEL】 090-7020-5852
【Web】 http://rail-mtb.com/
【定休日】水曜日(平日はスポット営業)
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