「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
“奥飛騨大自然紀行”シリーズをお届けする予定でしたが、諸般の都合により次回に延期させて頂きます<(_ _)>
今回は4月30日にお届けいたしましたお多賀さんおかげ横丁“菱屋の寿命糸切餅”で、取材時間の都合により割愛致しました内容の補足情報をご紹介致します。
さて実は糸切餅にまつわる縁起の中で、情報の裏取りが出来なかった箇所があり、先日の記事では敢えてその部分に触れずじまい・・・。
しかし何としても「疑問点の解消」がしたいと、日々悶々としておりました。
先日とても天候の良い日の午前に時間が空きましたので、一念発起してぶらりと多賀へ。
この時たまたまひしやの前に差し掛かった際、「ひょっとしたら」の想いでお店の中へ。すると、幸運にも出来たてホヤホヤの糸切餅が1つだけ店頭に。「これは吉兆の表れ!」と早速買い求め、意気揚々と情報収集に出向きました(^_^)v
凡(おおよ)そ七百年前北条時宗の時代
蒙古王国勢に乗じて忽比烈(クビライ)を将として数多の兵船筑紫の浦に来る、斯(かく)の国難に全国挙げて神社仏閣に祈願す、
俄(にわか)かに神風起り蒙古船悉(ことごと)く沈没し生きて還る者僅かに三人と国史に伝えらる此の時の戦捷(せんしょう)品は多賀神社に奉献す現存する船塚即ち之なり。
右の由来に基き名物糸切餅の色彩を施したるは其の船印にて又糸にて切るは国家平和にして刃鎗を用いず且つ寿命を保ち長く栄えせしめんが為この心を表す所以(ゆえん)なり。
この縁起の中にある船塚の存在がこれまでの取材で確認できず、ただでさえ信憑性に乏しい縁起の内容にこれまで懐疑の念を拭うことが出来ずにおりました。
足を棒にしながら多賀の中心街で聞き込みに聞き込みを重ね、ようやく船塚を発見!!(^_^)v
多賀大社本殿から西北西へ約250mの住宅地の中に、一際高くそびえる杉の木があります。ここが舟塚の大杉と呼ばれる場所です。
この地に弘安・文永の役での戦利品を埋め、杉の木を植えて国家の安康を祈念したという伝説は確かにありました。かつてここには樹齢700~800年ともいわれる大木が植生していましたが、平成6(1994)年の夏に急速に樹勢が衰え、翌年の冬に伐採されてしまったようです。
とはいえ新たに植樹された杉は樹齢僅か20年足らずの若木。それでこのように大きく成長したのは、これも霊験の地の成せる業と申せましょう。
これからも霊験あらたかな(?)糸切餅をご愛顧頂ければ幸いです(^^)
最後におまけ情報として多賀のもう1つの銘菓をご紹介します。
誕生は昭和13(1938)年と糸切餅とは比較にならないほどの新しい銘菓。
日本国土の創造主である伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の二神が祀られる多賀大社の、延命長寿と縁結びの崇敬に因んで生み出されました。
神前にて華燭の典を挙げる人も多く、千代に八千代に変らぬ愛を結び益々幸せを祈るという意味を込めて千代結びと命名されたようです。
とても縁起の良いお菓子として慶事にも大変重宝されています。千代結びを施された黄粉餅ですが、その素朴な味わいが地元の方々に愛されています。機会があればこちらも是非ご賞味ください。
◆壽屋
・滋賀県犬上郡多賀町多賀721番地
【TEL】 0749-48-0043
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