「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
2回シリーズと申しながら、前回から随分と時間が経過してしまいました((+_+))
さて何かと子供の“お伊勢さん”の勢いに押されがちな“お多賀さん”。
そんな中でもこれだけは『お伊勢さんに負けない!』と小生が個人的に思っている名物がございます。
それがこの多賀名物、糸切餅(いときりもち)。
多賀を代表する銘菓です。
今“御家騒動”で揺れている伊勢名物・赤福と比較しても、端正で品のある外観と味わいは、彼のあんこだらけの和菓子に決して負けていないと自負しております(^_^)/
この糸切餅、多賀大社門前で店を構える多賀やと莚寿堂本舗の二大勢力が有名どころ。
しかし近年のコストカットと効率化の例に漏れず、両店とも「機械生産」していることは意外にも知られていない事実なのです。
そういえば昔に比べて随分と日持ちがするようになったなぁとは薄々感じてはいました。これも技術革新が成せる業なんでしょうね。
しかしこの平成の世にあって、昔ながらの製法を守り、手作りにこだわって糸切餅を送り出しているお店が1軒あるのです。
店舗は多賀大社前から西へ約300mも離れているので、お店の存在をご存知ない方も多いかと思います(最近はそのこだわりがメディアにも取り上げられ知名度を上げているとも耳にします)。
完全手作りのため1日の生産数が限られており、開店直後の朝8時30分にはもう殆ど売切れ状態なのだとか(事前予約のお客様が多いようです)。
「買えるかどうか解らないのに、そんな朝早くに並んでまで・・・」と仰る諸氏にこっそりと確保のコツを伝授致しましょう。
実はひしやが製造する糸切餅の大半は、名神高速道路・多賀サービスエリアで販売されているのです。但しこちらでは販売の棲み分けがあるのです。上り線(東京方面)は莚寿堂本舗、下り線(大阪方面)は多賀や・ひしやとなっているのです。
店舗よりも比較的数量があって買い易いとはいえ、二大勢力に比べ圧倒的に在庫数が少ないため、有効射程距離圏内はまさしく午前中です。そして賞味期限は当日限りですのでご注意を。
ちなみにこの昔懐かしい雰囲気が香る、うさぎのイラストの包装紙が目印です。
一見中身は他店と変わりませんが、風味豊かな米粉本来の香り、昔ながらの鮮やかな食紅、あっさりとした餡と弾力ある餅。他店のそれと比較して賞味いただくのもまた一興です。
それでは最後に糸切餅発祥の由来をお伝えいたしましょう。
今から約740年前、鎌倉時代の中期。時の鎌倉幕府執権・北条時宗の御代に遡ります。当時日本の存続を揺るがしかねない最大の事件と言えば文永・弘安の役、すなわち元寇襲来です。
この国難にあらゆる神社仏閣では、鎮護国家のもと戦勝が祈願され、多賀大社も例外ではありませんでした。
二度の神風に助けられ、国家存亡の危機を乗り越えた日本の人々は歓喜に沸きました。
多賀の里人は餅を作り、これに蒙古軍の船印を模した色彩を施しました。そして国家平和にして且つ寿命を保ち長く栄えるという思いを込めて、刃槍を用いず糸(弓の弦)でもって切ったことが始まりとされています。
但し『多賀大社由緒略記』には糸切餅の記述はなく、また歴史的に蒙古軍の船印に同様の色彩が認められないことから、真偽の程は定かではありません。
生い立ちは定かではない名物ではありますが、間違いなく“菱屋の寿命糸切餅”の美味は確かなものでございます(^^)
◆本家 ひしや
・滋賀県犬上郡多賀町多賀711番地
【TEL】 0749-48-0068
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