とある自転車店の“廃業”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

地元の氏神様参拝のために、少なくとも月に2回は通るいつもの道。いつもと変わらぬ田舎道の光景・・・と思いきや何かが違う(?_?)

 

その原因は直ぐに判明しました。通り沿いにある自転車店の店舗から、看板が取り払われていたのです。

 

閉店のお知らせ店の正面に回ると1枚の貼紙が貼られていました。

 

書面をよくよく読むと、昨年のクリスマスの日をもって廃業されたとのこと。

 

余りにも突然の出来事でしたので、しばらくその場で呆然と立ち尽くしてしまいました。

 

確かに最近は閉まっている日も多く、また自転車の在庫も動きが鈍いようには薄々感じてはいましたが、こんなにも突然にX-DAYが訪れようとは予想だにしませんでした。

 

このブログ趣旨である“滋賀の郷土史”とはスケールが異なるのですが、これも“私にとっての郷土史”として書き留めておきたいと思います。

 

こちらのお店は昭和35年11月に開業され、ナショナル自転車とホンダのオートバイの販売とメンテナンスを生業とされていました。私の住む町内(自治会)にも自転車店はあったのですが、こちらのお店が自宅から近く、また販売を担当されていた社長さんと整備を担当されていた従業員さんのお二人がとても気さくな方だったので、何かあるといつもこちらにご厄介になっていました。

 

特にこちらのお店にお世話になったのは中学生の頃。通学と部活動で毎日10~30kmも自転車をこいでいたので、パンクを始めとしたトラブルは日常茶飯事でした。春夏秋冬、晴れの日も雨の日も雪の日も、暑い日も寒い日も、出してもらったお茶を両手に椅子に座り、世間話をしながら修理が終わるのを待つ。修理代の手持ちがない時は、ツケ払いにも応じていただけました。

 

入学シーズン前になるとニューモデルの自転車が並び、農繁期直前には真新しいホンダ・カブが店頭を賑わしていました。その度に社長さんは軽トラックに自転車やオートバイを積載して忙しく納品へと向かい、従業員さんは黙々とメンテナンスに従事されていたのを、今でも昨日のように想い出されます。

 

そんなお世話になったこのお店で、高校入学を機にナショナルのロードサイクルを購入。自転車のメンテナンスのイロハを懇切丁寧に教えていただきました。大学生になり免許を取得しても、貧乏学生だった小生は自転車を愛用し、こちらに通い詰めていました。

 

このお店にターニングポイントが訪れたのは小生が社会人となって程なくしてからのこと。あれだけ元気が取り柄だった社長さんが急逝。跡継ぎもいらっしゃらなかったので、整備の従業員さんが後を託されました。

 

しかし営業を全く経験されておられなかったことに加え、大規模店やチェーン店の台頭に従業員さんはかなり苦戦されたようで、メンテナンスの多忙さに加え、もともと身体が弱かったことも手伝って、徐々に開店休業の様相を呈するようになりました。ここ10年位は開店している方が珍しかったように思います。

 

そしてついに従業員さんは高齢を理由に決断されたのだと思います。

 

建屋内には自転車もオートバイも、メンテナンス用の機材も何も残ってはいませんでした。ただ、修理の間に待っていた際のあの想い出の椅子だけがポツンと横たわっていました。

 

廃業した自転車店「これも時代の流れ、1つの時代の終焉」と一言で片付けてしまうのは容易いのですが、何か日本人としての大切なモノを失ったようで一抹の寂しさを覚えずにはいられないのです。

 

これで我が家から半径4km圏内からメンテナンスが出来る自転車店が消滅しました。10万人都市といえども、これが現実なのです。

 

さようなら、そして、ありがとう・・・想い出のいっぱい詰まった自転車屋さん。

 

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