「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>
今回は、滋賀にある夫婦岩(めおといわ)についてのお話を致したいと存じます。
夫婦岩と聞いて皆さんはどこを連想されますか?
恐らく大半の方々が、三重県は伊勢の二見浦(ふたみがうら)にある夫婦岩を思い浮かべられるかと存じます。
こちらは日の出遙拝の地としても全国的に有名ですよね。
ここで豆知識。
この三重の夫婦岩がある二見浦は、何と1881(明治15)年に開設された日本で最初の公認海水浴場なのだそうです。
では本題に戻りましょう。
滋賀の夫婦岩は山の上に存在します。山岳信仰の名残が色濃く残る、東近江市小脇(おわき)町の太郎坊宮(阿賀神社)にそれはあります。
太郎坊宮は今から約1400年前、厩戸王(うまやどのおう/一般に聖徳太子)によって創建されたと伝えられています。
その後、最澄(さいちょう/天台宗・比叡山延暦寺の開祖)がここで修業し、この地に50近くの社殿・社坊を献じたそうです。
麓から740段の階段を登れば本殿に辿り着けますが、社務所横にある山上駐車場まで自動車道が整備されていますので、そこからならほぼ残り1/5程度で到達可能です。まぁ、1/5とはいえ傾斜のある階段ですから結構なハードウォークですけどね(^^)
この太郎坊宮は明治時代に“神仏分離令”が施行されるまで、神道・天台宗・修験道をミックスした独特且つ特異な信仰形態が形成されていました。
ちなみに太郎坊というのはこの神社を守護する天狗の名前のことで、弟で日本八大天狗の1人、近江比良山の次郎坊とともに役小角(えんのおづぬ/修験道の開祖)の弟子であった・・・とされています。
ただ“次郎坊の兄の存在”は文献にも記載がないので、その故事の正当性はちょっぴり疑わしいです。
さて必死の思いで急な階段を登り切りますと、高さ20m以上はあろうかと思しき二つの巨岩に行く手を阻まれます。そう、これが滋賀の夫婦岩なのです。
山手側の大きな方が男岩、反対側の小さい方が女岩と呼ばれています。
この岩はもともと1つであったのですが、神の神通力によって2つに裂けたとか。中央は本殿への通路・・・というよりも最後の難関の様相を呈しています。一説には女性の象徴を表しているのだとも言います。
この岩の裂け目の通路は全長12m、幅は一番広いところで僅かに80cm。岩全体は見る者を圧倒し、通る際は圧迫感さえ感じます。
さてこの夫婦岩には、世にも恐ろしい言い伝えが残っています。
実はココ。敬虔で素直な心でもって祈りながら通れば、たちどころにして病苦を取り去り、諸願を成就していただけるとのことなのですが・・・ウソつきや悪いことをした者がここを通ると、挟まれて絞め殺されてしまうと伝えられています。
「そんなん迷信や!」と仰る方もいらっしゃるでしょうが、ここを通る時の精神的プレッシャーといったら並大抵のモノではありません。
古くから、子どもに対して悪戯をしたりウソをついたりしてはいけないと戒めるための情操教育の場(?)ともなっています。
ですので、小さいお子さんをお持ちの親御さんには打ってつけですよ!
なお、親御さんがヤブヘビにならないように願います(^^)v
太郎坊宮では、天照皇大神(アマテラスオオミカミ)の第一皇子である正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)を祭神としてお祀りしています。
「吾れ勝ち負けること無し。なお勝つ事の速きこと、日の昇るが如し」という名前の由来が示す通り、勝運授福にご利益があると言われています。
またこの太郎坊宮が鎮座する小脇の地は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊が天照皇大神の長子として寵愛を受け、いつも脇に大切に抱えられていたからその地名が付いたとも言われています。
ちなみに夫婦岩の手前には、源義経腰掛岩があります。
鞍馬の山から降り、藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を頼るべく奥州平泉を目指す途中、ここ太郎坊に立ち寄ります。
“源氏再興”を祈願した折に休憩した場所と伝えられています。
義経も夫婦岩を前に、何か想いにふけっていたのでしょうか?
「今年こそ勝ちたいんや!」と願われている方は是非ご参拝ください。但し、「ギャンブルで勝ちたいんや!」とか「宝くじに当たりたいんや!」という我欲にまみれた願望は、夫婦岩でシャット!される可能性が(極めて)高いのでご注意を・・・(*^_^*)
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