不死鳥の如く甦れ!“信楽線物語”(後篇)

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

“信楽線物語”の最後となる今回は、私の独断と偏見による“信楽線の魅力”をお届けしたいと存じます。

 

普通、「〇〇線の魅力」などと申しましたら「“〇〇線沿線”の魅力」を紹介するモノなのですが、そこが小生の偏屈者の真骨頂!「“〇〇線そのもの”の魅力」をご紹介致します(^^)

 

実は意外と知られていないのですが、今年は信楽線にとって昭和8(1933)年に開業して80周年の記念すべき年だったのです。そのメモリアルイヤーに存続を左右しかねない未曽有の大災害に見舞われるとは、呪われた路線と申しましょうか、何とも因果なものです。もし何も無ければ、それ相応のイベントを企画していたのかも知れません。

 

信楽駅さてこちらは信楽線の玄関口にして本社拠点でもある信楽駅。駅を出ると、周囲には陶都・信楽をイメージするに難くない、タヌキのオブジェクトのオンパレードです。

 

こちらのモダンな駅舎は平成12(2000)年に改築されたモノでして、特段興味はそそられません。

 

ではここで小生がおススメするものとは如何に!?

 

信楽線終端それはコチラ。信楽線終端です。

 

どこにでもある終点の風景とのご指摘はごもっとも。この風景自体に特筆すべき点はございません。実は小生、ここを訪れる度、いつもこの終端を眺めてはあることに思いを馳せているのです。

 

“中篇”でこの信楽線はもともと草津線・貴生川駅と関西線・加茂駅とを接続する新線計画の一環として開業したとお話致しました。結局当時の時代背景、資金難、政治力諸々の影響を受け、全線開通は実現しませんでした。その代替として国鉄時代には近城線(きんじょうせん/近江國と山城國を結ぶという意味合いで名付けられた)というバス路線が未成区間に設定されていました。分割民営化後も西日本ジェイアールバスに継承されますが、平成12(2000)年9月30日付で廃止されました。

 

その後、平成元(1989)年7月にびわこ京阪奈線構想が浮上。近江鉄道本線と信楽高原鐵道信楽線の路盤を改良し、東海道線(JR京都/琵琶湖線)のバイパス線として、米原駅とJR学研都市線・京田辺駅とを結ぶ計画が動き出しました。当時近江鉄道沿線(日野町)でびわこ空港建設計画が進行していたこともあり、特に滋賀県内の関係自治体の機運は一気に高まりました。しかし計画から25年経過しても一向に実現の片鱗すら見ない現状に、所詮はバブル時代に構想された採算性の甘い絵空事であったと思わざるを得ません。

 

様々な構想が浮上しては消えても、この終端は1mmも延伸することなく80年もの時を刻んでいる・・・そう思うと、この風景を遠い眼でいつまでも眺めていたくなるのです。

 

信楽高原鐵道グッズ駅舎自体に興味のない信楽駅ですが、構内のアンテナショップは話が別。

 

様々な興味深いお土産品が並んでいます。普段記念切符などには全く触手が動かない小生ですが、信楽高原鐵道運行再開の一助になればと、色々な記念切符を“大人買い”して参りました(^_^)v

 

特に陶器製の記念切符を定常的に発行しているのはここだけです。

 

残り僅かのアイテムもありますので、興味のある方はお早めに。

 

さて信楽線は今も昔もウルトラハイパーなローカル線なのですが、第3セクター化後は(ビンボーな割に)何かとちょこちょこ改修・改築が施されており、実のところ国鉄時代のよすがは殆ど残っていないのです

 

雲井駅そんな中でも信楽線開業時唯一の中間駅であった雲井駅だけは、昭和8年に建設された駅舎を現役で使用しています。

 

当初は瓦葺きの木造建築でしたが、改修の際にトタン屋根に変更され、外壁にも合板が施されています。

 

でもベースの部分はそのままですので、いつか開業当初の姿に戻して、「登録有形文化財」に指定され、末永く残してもらいたいと密かに願っています

 

保線休憩所この雲井駅付近にもう1つ興味深いものがあります。ただのボロ屋ではございません。

 

この建物は保線休憩所

 

線路並びに鉄道施設の保全に従事する保線員の待機施設です。

 

昭和の典型的な保線詰所の造形です。現在は資材倉庫として使用されていますが、周辺には懐かしい造形の設備資材の数々が散見されます。

 

興味はそれだけに止まりません。実はこの建物、昭和22(1947)年に資産登録されています。つまり沿線住民による枕木材調達と勤労奉仕により最初の「不死鳥伝説」を実現した頃のモノなのです。鉄道関係者のみならず、汗を流した沿線住民の憩いの場であったのかも知れませんね。

 

2013年12月3日号記事【毎日新聞 所載】さて当初の予定ではこの記事を「復旧を込めた願い、不死鳥伝説よ再び!」で締め括るつもりでしたが、昨日ビッグニュースが飛び込んで参りました。毎日新聞の1面に「信楽鉄道、復旧へ~事業費めど来年度にも」の記事が掲載されました。

 

11月1日に国土交通省は、鉄道軌道整備法に基づく支援を表明したものの、これをもってしても復旧費の最大75%を占めることとなる経営母体の甲賀市の負担については、国からの補助率引上は困難との見解から、廃止の選択も止むなしとの方向に傾きつつありました。

 

しかしその後、同線を通学手段とする地元高校生による募金活動、復旧支援のためのボランティア活動や観光誘致、そして滋賀県も補助金拠出の検討を始め、“地元パワー”が負のオーラを徐々に払拭しつつありました。

 

そして昨日、鉄道軌道整備法適用に基づく災害復旧事業費補助金制度の適用対象に認定。市の負担する事業費のうち95%が補助されることとなり、約1年後の復旧に向けて大きく前進する運びとなりました。

 

まだまだ予断を許さない状況下にあることは否めないのですが、まずは大きな第一歩を踏み出したと言えましょう。また信楽線の「不死鳥伝説」に新たな伝説が刻まれましたね(^_^)/

 

SKR200形3回に渡り“信楽線復活応援企画”を展開して参りましたが、少しはお力になれたでしょうか?

 

前篇で少し触れましたが、宮崎の高千穂鉄道は災害復旧の費用試算22億円の前に運行再開を断念し、結果廃止に追い込まれました。

 

その後、5年前の平成20(1998)年3月に高千穂あまてらす鉄道が設立され、現在全線再興を目指し活動されています。しかし一度廃業した鉄道を復活させるには、資金・マンパワー・許認可等の高いハードルが幾重にも立ちはだかり、大変苦労をされていると聞き及びます。

 

鐵道に限らず、森羅万象形あるものは、一度この世から消し去れば決して元の姿に戻ることはありません。私たちはそのことを肝に銘じ、先人の偉業を次代に受け継がねばならない・・・そう強く思います。

 

気動車のエギゾーストノートと軽快なレールの軋みが山間にこだまする光景が、1日も早く信楽線に戻ってくることを願って・・・。

 

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