不死鳥の如く甦れ!“信楽線物語”(前篇)

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

当ブログを支えて戴いている皆様、大変ご無沙汰致しております。約2ヶ月振りの記事らしい記事の公開でございます。久し振りの執筆に腕の「鈍り」があろうかと存じますが、何卒ご容赦くださいませ((+_+))

 

代替輸送告知

今年は例年に増して猛暑であったとともに、秋に入り過去最多の台風が日本列島に来襲し、近年稀に見る大きな被害をもたらしました。

 

その中でも印象的であったのが、9月16日に近畿地方へ最も接近した台風18号。直撃はしなかったものの、勢力を増した台風は大量の降雨をもたらし、滋賀を始め京都と福井に大雨特別警報が発令(気象庁による8月30日運用開始から第1号の発令)されました。

 

報道では栗東市内で発生した死者を伴う土砂崩れと大津市内のJR琵琶湖線(東海道線)で築堤が崩壊したことが専ら中心となり、その他の災害については殆ど伝えられることはありませんでした。今回お伝えするお話もその1つです。

 

9月16日深夜から17日未明、県内唯一の第3セクター鐡道・信楽高原鐡道(しがらきこうげんてつどう)沿線にも大量の雨が降り注ぎました。山間部を縫うように走る同線では、24箇所もの路盤陥没・土砂崩れが発生。また濁流と化した杣川(そまがわ)に掛かる杣川橋梁の橋脚1基が流失。運休と復旧の難しさを決定的なものとしてしまいました。

 

流失した杣川橋梁これがその流失した杣川橋梁。

 

この川がどれだけの増水を記録したのかは定かではありません。

 

しかし重量数十トンはあろうかというこの橋脚や橋梁をいとも容易く流失させたのですから、自然の力というものは実に恐ろしいものです。

 

路盤陥没・土砂崩れの現場は山岳部に集中しているため撮影は出来ませんでしたが、それだけに復旧工事の難航も想像に難くありません。

 

列車代行バス未曽有の大災害から約1ヶ月半。未だ同線は復旧の見込みが立たず、現在滋賀観光バス株式会社による1日15往復の代替輸送が実施されています。

 

 いつもは閑散としているここ終点・信楽駅の駅前ですが、観光シーズンであることと列車代行バスも待機して、ロータリーはごった返しています。

 

この状況が鐡道輸送に依るものでないことが実に寂しい限りです。

 

信楽駅構内信楽駅構内には、もう何日もエンジンに火が入っていない同社の最古参レールバス、SKR200形が静かに佇んでいます。

 

このタイプの車輌は昭和末期に全国の第3セクター鉄道等にリリースされたものなのですが、老朽化により現在はとても希少な存在になっています。このまま消滅してしまうには惜しい存在なのです。

 

1日も早く、このホームに人々の姿が戻ってくれることを願わずにはいられません。

 

赤錆びたレール不思議なもので使用されなくなった自動車や列車は、どことなく「生気を失った」印象を受けます。

 

同時にそれはレールも同じ。

 

まだ運休となって日は浅いにも関わらず表面は赤錆びて、もう何年も列車が走っていないような様相です。

 

先月、同鐡道の施設全般を維持管理する甲賀市が、被害額は約3億5千万円に上ると試算しました。

 

下りることのない遮断器年間約9,000万円の赤字を出し、営業係数は150円(100円の営業収入を得るのに150円の経費が必要)と大変厳しい経営状態にあります。

 

また復旧には物理的にも費用的にも多大なリスクを伴うことから、甲賀市は廃止の可能性も視野に入れ検討するようです。

 

この状況を見るに、8年前同様の災難により廃止に追い込まれた宮崎の高千穂鉄道が思い出されます。

 

失われた鉄路は2度と戻ることはありません。

 

信楽線はこれまで何度も廃線の危機に瀕し、その度に不死鳥の如く復活を遂げてきました。今回もその奇跡を起こしてくれることを願って止みません。次回はその信楽線の不死鳥伝説についてお届けしたいと存じます。

 

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