高野山巡礼紀行(4)“真言宗総本山・金剛峯寺”篇

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

今回も引き続き“高野山巡礼紀行”をお届け致したいと存じます。

 

 

こうやくん本日は巡礼紀行2日目。昨日の奥之院に続く高野山二大聖地の1つ、壇上伽藍(だんじょうがらん)と真言宗総本山・金剛峯寺(こんごうぶじ)を訪ねました。

 

 

ちなみにこちらは、高野山マスコットのキャラクター・こうやくん。高野山のあちこちで私たちを迎えてくれます(^^)

 

 

目的地は普賢院からは徒歩で5~10分の距離ですので、私たち一行はそぞろ歩くことと致しました。

 

 

般若湯歩き始めて直ぐに眼に飛び込んできた、酒屋さんの般若湯(はんにゃとう)の文字に少々失笑(^^)

 

 

実は仏教徒が守るべき5つの戒め(五戒)というものがあり、その中にはお酒が含まれているのです。

 

 

特に禅宗では飲酒厳禁とされていましたが、薬効を得るために少しの摂取は問題ないという意識から、「智恵の湧き出る湯」という意味を持った名をつけたのだそうです。 

 

 

高野山は密教ですが、仏教に変わりはありません。ですが、お大師様も「塩酒(おんしゅ)一杯を許す」と酒の効用を認めておられましたので、堂々と看板を上げることが出来たのでしょうね。

 

 

金剛峯寺 正門程なくして金剛峯寺の正門前に到着。まずは主殿(本堂)を目指します。

 

 

金剛峯寺は元来、真言宗の総本山としての高野山全体と同義でした。

 

 

明治2(1869)年、共に豊臣秀吉ゆかりの寺院であった青巖寺と興山寺が合併となり、金剛峯寺と改称されました。

 

 

金剛峯寺 主殿ちなみに青巖寺は秀吉が亡き母(大政所)の菩提を弔うために建立したもので、豊臣秀次が自刃した場所としても知られています。

 

 

現在の金剛峯寺の主殿は江戸次代末期、文久3(1863)年に再建されたものです。

 

 

現在は真言宗の管長が住むこの総本山寺院のことを“金剛峯寺”と称しています。

 

 

高野山は“密教”という性質上、全体的にカメラ撮影を著しく制限する傾向にあるのですが、こちらの主殿は広報的役割を担うことから、比較的寛容です。

 

 

主殿は重要な儀式・法要が執り行われる場所であるため、多くの荘厳な広間が存在します。 

 

 

金剛峯寺 蟠龍庭それを差し置いて私を魅了したのは、この見事な枯山水庭園。

 

 

ここ蟠龍庭(ばんりゅうてい)は昭和59(1984)年、弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造営され、2,340平方メートルの石庭は国内で最大級を誇っています。

 

 

この石庭では、雲海の中で奥手に雄、手前に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守るように表現されています。龍を表す石は、お大師様ご生誕の地である四国の花崗岩が、雲海を表す白川砂は京都のものが用いられています。

 

 

金剛峯寺 台所もう1つ魅了したのは台所

 

 

ここはこれまで大勢の僧侶の食事を賄ってきた中枢で、釜も大変大きく、柱や梁も煤で真っ黒になっています。水飲場は湧水を水槽に溜め、大きな竈(かまど)は現在も使用されています。

 

 

炭を熾す場所もあり、その上には防火対策として大きな煙突があります。また、食物保存庫としては床下収蔵庫や天井からつり下ろした台があります。釣り下しの台は通気性を向上させ、更に紙を垂らすことによりネズミの侵入を抑止したのだそうです。大釜は二石釜といい、一つの釜で7斗(約98kg)の炊飯が可能。約2,000人分程の御飯が作れました。焚口は後方にあり、床板を外して階段を降ると炊口があるといった構造です。

 

 

なお新別殿大広間では、参拝客にお茶とお菓子を振る舞って頂ける他、高野山にまつわる講話を宗派の僧侶がやさしく解説して下さいます。勿論、素朴な疑問にも気さくに応えて下さいますよ。

 

 

さて次は聖地・壇上伽藍を訪れます。

 

 

(旅は続くよ、どこまでも・・・)

 

 

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