きぬがさやま夜話(2)“お茶子谷”の伝説

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

今回は「きぬがさやま夜話」第2回としまして、かつてこの繖山に近江源氏・佐々木氏の嫡流であり南近江の守護大名であった六角氏が権勢を誇るべく築いた、観音寺城にまつわるお話をいたしたいと存じます。

 

 

この繖山にはお茶子谷と呼ばれる場所があります。

 

 

山の南面麓にある寺院・教林坊(きょうりんぼう)の裏手(通称:龍の口)から観音正寺の奥之院へと通じる谷筋がそれですが、観音寺城が落城してからは全く使われなくなったそうです。

 

 

お茶子谷には哀しい話が残っています。

 

 

昔々、繖山山麓の石塚村に住んでいた豪族の娘に、お茶子という美しい姫がいました。

 

やがてお茶子は、近江源氏・佐々木氏の殿様に見初められてお城へ仕える身となります。お茶子の優しさと美しさは大変殿様を喜ばせ、殊の外寵愛を受けました。

 

しかしそれは同時に、お城に仕える他の女たちから大きく妬まれることになります。

 

女たちの妬みは次第に酷くなり、ある日お茶子は谷の岩屋に閉じ込められ、蛇に責められてなぶり殺されてしまいます。お茶子の怨霊はブトに化身したため、この山のブトは頭が桃割れの形をしていて、刺されると酷く毒が回って腫れ上がるといいます。

 

 

ブトとは蚋(ぶゆ/ハエの仲間で大きさが2~5mmの吸血害虫)のことを指します。

 

 

ちなみに・・・実はこの「お茶子伝説」にはもう1つのストーリーパターンがあるのです!

 

 

その昔、繖山の麓にある石塚村の豪族に、お茶子という美しい娘がおりました。

 

このところ毎夜、お茶子のところへ忍んでくる若者がおりました。それは観音寺城主・佐々木氏の血筋の者と名乗る気品の高い貴公子でした。如何にお忍びとはいえ従者の1人も連れて来ないので両親は不審に思いましたが、お茶子はすっかり魂を奪われています。先頃、野へ若葉を摘みに出たのがそもそもの馴れ初めでした。

 

しかしどうしたことかお茶子は目に見えてやつれていきます。そのやつれ方が余りに激しいので、「もしや魔性の者では…」と両親は気が気でなく、こっそりと占ってもらいました。結果その原因が大蛇の仕業であることを知らされて、さしもの幾多の手の者を従える豪族も、可愛い娘のために驚き嘆き悲しみました。

 

逃れる方法を授かったお茶子の父親は、家来に命じて家中の隙間という隙間を糊で貼り付けて塞がせました。母はお茶子に長い針を渡し、「今夜あの人が来たら、この針でその人の衣の裾を縫い止めるのです。決して気付かれぬように・・・」と何度も念を押しました。

 

 

「あのお優しい殿様が、何で大蛇であってよいものか」とお茶子は両親を恨めしく思うのですが、ふと思い当る節もありました。

 

その夜の若者はとても淋しげで、顔色も蒼ざめておりました。「お茶子殿、お別れです。今宵が最後・・・」

 

お茶子は別れが悲しくて泣きながら、しかし恐ろしさも忘れ必死の思いで彼の衣の裾を針で縫い止めました。物音ひとつもせず、その後のことは誰にも解りませんでした。

 

数日後、村中が大騒ぎとなる事件が起こります。

 

「龍の口に大蛇が死に掛かっている。首に剣が縫い刺さっていて、血まみれになって黄色い焔を吐いて、のた打ち回っている!」と叫びながら、命からがら帰って来たある木こりが余りの恐ろしさのためにそのまま息絶えてしまったというのです。

 

翌朝、龍の口で大蛇に巻かれて死んでいるお茶子が見つかりました。哀れに思った村人たちは、お茶子と大蛇をこの谷にねんごろに葬ったそうです。

 

 

この2つのお話は微妙にニュアンスが異なりますが、共に哀しいお話であることに変わりはありません。以来この谷を「お茶子谷」と呼ぶようになったとのことです。

 

 

最後に、この悲劇のヒロインであるお茶子を祀ったお茶子地蔵が現在でも残っています。

 

 

繖山を東近江市方面から入る林道観音寺線を登り、山上駐車場から観音正寺参道を歩きます。参道沿いには大変多くのお地蔵様が祀られていますが、そのなかでも一際大きな(高さ約1m)お地蔵様がそれですので、直ぐにお解りいただけると思います。

 

 

お茶子の数奇な運命に想いを馳せ、合掌いただければ幸いです<(_ _)>

 

 

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