Daily Archives: 2012年12月26日

もし長生きが叶うのなら・・・“寿命石”の伝説

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

「神のみぞ知る」“寿命”・・・それは科学万能の21世紀にあって人類が未だコントロール成さざる未知の領域。これを司るのはまさしく神のみ!と言っても過言ではないでしょう。今回はその未知の領域に踏み込む寿命石(じゅみょういし)のお話をご紹介いたします。

 

 

寿命石(多賀大社)ではまず寿命石の“ありか”を先にご案内いたしましょう。犬上郡多賀町多賀にございます多賀大社。その本殿の東側(向かって右側)に問題の対象はございます。

 

 

いやいやまだまだ!ここで焦ってはいけません。とりあえず、まずは使用上の注意(私の話)をお聞きください(^^)

 

 

今から約800年前の平安時代末期。 治承4(1180)年12月28日。時の権力者・平清盛(たいらのきよもり)の命により、平重衡(たいらのしげひら/平清盛の五男で平家軍の大将として活躍)率いる平家軍は南都焼打(なんとやきうち/東大寺・興福寺など奈良の仏教寺院を焼討にした事件)を実行します。

 

 

先日の大河ドラマでもそんなエピソードが語られていましたよね。

 

 

奈良の大仏(東大寺)奈良の東大寺も主要な建物の大部分を焼失。大仏殿は数日に渡り燃え続け、大仏も壊滅的な被害を受けました。 翌年、後白河法皇(ごしらかわほうおう)の使者としてこの惨状の視察に訪れていた藤原行隆(ふじわらのゆきたか)に、東大寺の再建を進言した1人の老僧がおりました。それが俊乗坊重源(しゅんじょうぼう・ちょうげん)でした。

 

 

行隆はこれに賛意を示し、重源を朝廷に推挙。重源は東大寺勧進職(とうだいじかんじんしょく/東大寺再建のために信者や有志者を説得し寄付金の奉納を推進する総責任者)に任ぜられます。この時、重源は61歳でした。

 

 

東大寺の再建には財政的にも技術的にも多大な困難が想定されましたが、それよりも勧進職を拝命した重源が、果たして年齢的に職責を全う出来るかという心配がありました。 重源自身も勿論このことを憂慮していました。

 

 

そして色々と考えた末に何とかあと二十年寿命を延ばしたいと、再建成就の祈願も兼ね大神宮(伊勢神宮のこと)に三度参詣します。

 

 

重源すると祭神・天照大神(あまてらすおおみかみ)が夢に現れ、「再建成就のために延命を望むなら多賀の神(伊邪那岐命・伊邪那美命)に祈願せよ」と告げられました。

 

 

重源は さらにここ多賀大社を訪れ、参籠の日々を過ごしました。 そして満願の日。重源の一念が神に届いたのか、社殿の前に1枚の柏の葉が散ってきました。その葉は虫に 喰われていましたが、よく見てみると『(えん)』の形に読めました。この字は「廿」「」と分けて読むことも出来るので、二十年の 延命を神がお聞き届けになった印であると喜んで東大寺へと戻りました。

 

 

その後多年に渡り各地へ寄付金集めに奔走し幾多の困難を克服した結果、文治元(1185)年8月28日に大仏の開眼供養を迎えるに至りました。

 

 

建久6(1195)年には大仏殿を再建し、建仁3(1203)年には総供養を執り行います。

 

 

寿命石と祈願の白石重源は再び多賀大社を参詣し、寿命を神に返上して傍らの石を枕に亡くなりました。建永元(1206)年6月、重源85歳でした。

 

 

その枕にしたという石が寿命石(別称:枕石”であると伝えられています(話をまともに聞いていれば、ひょっとして下手をすると命を取られる???)。

 

 

なお重源が授かった『柏葉莚字』の故事に因み、白い石に願い事を書いて寿命石に奉納するという習わし(?)があります。祈願をご希望の方は社務所お尋ねください。

 

 

胡宮神社ちなみに・・・多賀大社から南南西約1kmの地点、名神高速道路・多賀サービスエリア付近に胡宮神社(このみやじんじゃ)があります。

 

 

こちらも多賀大社と同じく、伊邪那岐命・伊邪那美命をお祀りしています。 実はこちらにも寿命石・枕石があります。まぁ同じ祭神を祀る神社ですから、同様の伝説が残るのも理解出来ないではないですが…でもやっぱり腑に落ちません。

 

 

こんなお話を聞きました。この胡宮神社、中世までは「多賀大社の境外末社(けいがいまっしゃ)」として認識されていました。

 

 

寿命石・枕石(胡宮神社)しかし近世になって胡宮神社側が末社を否定し、「胡宮神社は多賀大社の奥宮(おくみや)である」と主張したため論争が絶えなかったそうです。

 

 

境外末社とは、神社本社の管理に属するものの外に独立した敷地を持つ小規模な神社のこと。

 

 

対して奥宮とは神社本社と同じ祭神を祀り、本社よりも奥に鎮座する神社のことです。簡単に申し上げますと、「胡宮神社は多賀大社と同格である!」と主張したのです。

 

 

「この論争が勃発してから、ここに寿命石が設置されたのでは?」という話も聞かれます。

 

 

なお胡宮神社には、重源が東大寺再建成就のための参詣した建久9(1198)年に寄進したと伝えられる金銅製五輪塔(国指定重要文化財)が所蔵されています。

 

 

金銅製五輪塔(国指定重要文化財)いや~もう話がややこしくなってきました。さてはて、どちらが本物でどちらが偽物なのか。

 

 

いやいや、どちらが元祖でどちらが本家なのでしょうか???これこそまさしく“神のみぞ知る”というワケです。

 

 

そういえばこんな感じの論争、多賀大社門前の「糸切餅」の販売店でもあったような・・・(苦笑)。

 

 

でも色々な意味で“長生き”はしたいですよね。あなたはどちらの“寿命石”にお願いしますか?

 

 

2012年の更新は本記事をもって修了致します。次回は2013年1月9日からスタートの予定です(その前にも気分次第でちょこちょこ執筆するかも・・・)。このリスタートの1年、ご愛顧いただきまして誠に有難うございました。来年も何卒お引き立て賜ります様お願い申し上げます<(_ _)>

 

 

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