中村勘三郎さん追悼特別企画 “法界坊”の伝説

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

去る12月5日午前2時33分。歌舞伎界の風雲児と呼ばれ、一般人にとって得てして小難しく感じる古典芸能を独自の切り口で実に多くの人々に広め親しみを与えた稀代の役者、十八代目・中村勘三郎さんが、急性呼吸窮迫症候群のため還らぬ人となりました。

 

 

57歳、余りにも早過ぎる旅立ちでした。

 

 

今回は私の好きな役者さんの1人である中村勘三郎さんの偉業を偲び、滋賀の伝説と絡めたお話をいたしたいと存じます。

 

 

さて皆さん、法界坊というお坊さんをご存知でしょうか?この名前を聞いて“ピン”とくる方は、余程の“歌舞伎通”とお見受けいたします(*^_^*)

 

 

 

法界坊は『隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)』という演目の主人公として登場します。

 

 

 

最近では中村勘三郎さんがプロデュースする平成中村座の代表的な演目の1つとして高い人気を誇っていました。

 

 

隅田川続俤のお話のあらすじを書きますと直ぐにページが埋まってしまいますので詳しくは触れませんが、簡単に申せば「浅草で釣鐘建立の勧進をしながらその浄財で暮らす半面、薄汚い恰好をして悪事を働き、おまけに好色で嫌われ者の破戒僧法界坊”が巻き起こすドタバタ愛憎コメディ」といった感じです。

 

 

歌舞伎の演目で「コメディ(喜劇)」はとても珍しいので、現在でも人気があるのでしょうね。ちなみに“破戒僧(はかいそう)”とは、戒律を破って恥じないお坊さんのこと。特に肉食や好色・犯罪に手を染めるとそう言われるようです。これに対して戒律を頑なに守るのが“持戒僧(じかいそう)”です。

 

 

さて実はこの演目には、モデルとなった滋賀にまつわるお話があるのです。

 

 

今から丁度260年前、江戸時代後期の宝暦元(1751)年。坂田郡鳥居本村(とりいもとむら/現在の彦根市鳥居本町)のとある名主の家に、1人の男の子が生まれます。

 

 

幼少の頃に母親を亡くし、また8歳の時には父親まで失ってしまったため、近くの上品寺(じょうぼんじ)で出家し、名も法界坊穎玄(ほうかいぼうえいげん)と改めます。

 

 

しばらく上品寺の住職・祐海(ゆうかい)のもとで修業を積みますが、後に諸国修行行脚へと旅立ちます。

 

 

穎玄19歳の時。師匠でもあり父同様の存在でもあった祐海が亡くなると上品寺の住職となりますが、当時寺はとても荒れ果てていました。穎玄は寺の再興を決意し、喜捨(きしゃ/寄付のこと)を求めて江戸へと出向きます。

 

 

江戸八百八町を武家屋敷から町屋まで隈なく歩き回り、また花街(はなまち/遊郭のこと)では遊女に仏法を説いても回りました。

 

 

そんな中、吉原遊郭にある遊女屋“大文字屋”の看板花魁(おいらん)である花里(はなさと)とその姉・花扇(はなおうぎ)は、穎玄の説法に痛く感銘し、熱心な帰依者となっていきます。

 

 

穎玄は我が身の哀しい身分を嘆く遊女たちに、自らが救いの手を差し伸べるべく、寺に釣鐘を寄進して欲しいと請います。

 

 

花里は自ら喜捨するに止まらず、遊郭内の布施集めの世話役も務めました。しかし残念なことに彼女は結核を患い、まもなくその若い命を散らしてしまいます。

 

 

 

花里亡き後、花扇が妹の遺志を継いで世話役となり、明和6(1769)年には待望の釣鐘が完成します。この釣鐘の周囲には、遊女ら有志の姓名が刻まれました。しかしこの時、花扇もこの世にはおりませんでした。

 

 

 

穎玄は遊女たちの想いを一身に背負い、釣鐘を地車(だんじり)に載せ、江戸からこの上品寺まで1人で曳いて帰りました。

 

 

釣鐘堂完成法要の前夜。穎玄の枕元にあの花里が現れ、「前世の功徳のお陰で、今は観音浄土で幸せに暮らしております」と言い残し消え去りました。穎玄が目を覚ますと、何と枕元に一体の観音菩薩像が置かれていたそうです。

 

 

また穎玄は花扇から生前打掛(うちかけ)を受け取っておりました。穎玄はそれをもとに七条の袈裟を作り、文政12(1829)年79歳で亡くなるまで用いていたと伝えられています。

 

 

今でも上品寺には釣鐘を曳いた地車や七条の袈裟の他、花里・花扇ゆかりの品が寺宝として納められています。

 

 

隅田川続俤での法界坊は喜捨を遊興に遣い娘を手籠めにするなど“極悪人”として描かれていますが、モデルとなった穎玄の実際の姿は“聖人君子”のような人物だったのです。

 

 

どこでどう転んでこのような内容になったのかは定かではありません。

 

 

 

今でも歌舞伎の演目として人気の高いお話が、実は滋賀にとてもゆかりの深い人物に由来するということは意外にも知られていないのです。

 

 

 

上品寺は現在、彦根市鳥居本町の国道8号沿いにあります。

 

 

激しい交通量の影響で、釣鐘の劣化が激しいとも聞きますが、大東亜戦争中の国家総動員法に基づく金属類回収令でも拠出されることなく、当時の面影を今に残しています。

 

 

勘三郎さん、ついに貴方の演じる法界坊をこの眼にすることは叶いませんでしたが、あちらの世界でも是非演じてくださいね。

 

 

昭和・平成の世に燦然と歌舞(傾)いた男、中村勘三郎。

 

 

永遠に・・・

 

 

にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 滋賀県情報へ
ご愛読いただき誠に有難うございます。ワンクリック応援にご協力をお願いいたします!