Monthly Archives: 10月 2012

湖北“東山道/中山道を往く”(完)~The mononofu’s memorial 徳源院

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

滋賀県教育委員会文化財保護課主催「ブロガーによる歴史探訪情報発信」企画として、湖北“東山道/中山道”界隈に佇む歴史の魅力を紐解くシリーズ。

 

 

4ヶ月に渡りお送りしてきましたこのシリーズもこの第6回で完結と相成ります。今回は近江源氏の中で激動の戦国を生き抜いた一門・京極家の一大メモリアルである徳源院(とくげんいん)を訪ね歩きます。

 

 

JR東海道線・柏原駅から西北西の方向へ徒歩約30分の位置に、天台宗の寺院・徳源院があります。

 

 

鎌倉時代中期の弘安9(1286)年、近江源氏・佐々木氏の別家で北近江を支配していた京極氏の初代・氏信(うじのぶ)によって建立されました。

 

 

ちなみに“京極”の家名は、氏信の宿所が京都の京極高辻(きょうごくたかつじ)にあったことに由来すると言われています。

 

 

京極氏は浅井氏の台頭とともに一時期勢力が衰え、当時清瀧寺(きよたきでら)と呼ばれていたこの寺院も荒れるに任せる状態でした。

 

 

江戸時代初期の寛文12(1672)年。讃岐國・丸亀藩主であった京極高豊は、播磨國(現在の兵庫県)の所領2村とこの地一帯の所領換えを幕府に請願。

 

 

同地にあり京極氏の菩提寺であったこの清瀧寺を復興します。

 

 

付近に散在していた墓碑を1箇所に集めて整理し、三重塔を寄進。

 

 

歴代当主の墓を並べ、この時父・高和の法名にちなみ、院号を徳源院と改めました。

 

 

一族全ての墓を1箇所に集中安置しているのは、全国的にも極めて珍しいケースなのだそうです。

 

 

国の史跡に指定されている京極家墓所は本堂裏手の山麓にあります。

 

 

墓所は年代別に大きく2つの階層に分かれています。

 

 

 

まず上段には始祖・氏信を筆頭に、南北朝時代に活躍した道誉(どうよ)を含む歴代当主(18代・高吉まで)の宝篋印塔が18基。

 

 

 

右は京極(佐々木)道誉の墓碑です。

 

 

 

心なしかとても立派に見えますよね(^^)

 

 

 

そして下段には淀殿の妹・初を娶った中興の祖・19代高次(たかつぐ)を始めとして、江戸時代後期までの当主(25代・丸亀藩主高中)並びに分家当主(多度津藩)の宝篋印塔16基と一族の墓が存在します。

 

 

左はその中興の祖である京極高次の墓碑。流石京極家を存亡の危機から救った功労者だけに、墓碑は立派な石廟の中に安置されています。

 

 

私の意図的な物言い(笑)で既にお気付きかも知れませんが、実は墓碑の大きさは京極家の栄枯盛衰を如実に表している、すなわち貢献度によって大きさがまるで異なるのです。

 

 

よって京極家を存亡の危機に陥れてしまった高次の父・高吉の墓碑といったら、それはそれは惨めな程に小さいのであります(>_<)

 

 

その他に、本堂の奥には位牌殿と呼ばれる場所があります。

 

 

こちらには歴代当主の位牌と、何とその木像が安置されています。

 

 

「位牌のみ」「肖像画」が通例なのですが、これも徳源院ならではの特徴といえます。

 

 

京極家の菩提寺としてのイメージの強い徳源院ですが、もともとはここに初代・氏信が築いた柏原館がありました。

 

 

本堂裏には裏山を取り込んだ池泉回遊式庭園があります。

 

 

現在は枯池と枯滝になっていますが、本来は“清瀧”と呼ばれた滝から水が落ち、池には水が湛えられていました。

 

 

しかし、昭和34(1959)年の伊勢湾台風の際に水源の川ごと崩れてしまったとのことです。

 

 

もう1つの名勝として、バサラ大名として名を馳せた京極(佐々木)道誉が愛したと伝えられているしだれ桜、道誉櫻があげられます。

 

 

現在残っているのはその2代目と3代目です。今回の取材が残念ながら“サクラの季節”ではありませんでしたので可憐な姿をお見せすることは出来ませんが、是非とも春には訪れたいものです。

 

 

さて、今回のこの記事のタイトルは“The mononofu’s memorial ”といたしておりますが、この徳源院には1つだけ“武家ではない墓”があります。

 

 

その人物の名は、公卿・北畠具行(きたばたけともゆき)。この人物のお話でもって最後を締め括りたいと思います。

 

 

 

公卿(くぎょう)とは、朝廷に仕える貴族の中でも日本の律令の規定に基づく太政官の最高幹部にあたる職位です。そんなお公家さんの墓が、何故武家の菩提寺にあるのでしょう?

 

 

 

具行は鎌倉時代末期に後醍醐天皇に仕えた側近で、村上源氏の流れを汲み、知略・和歌にも優れたバリバリのエリート貴族でした。

 

 

 

元弘元(1331)年。後醍醐天皇を首謀者とする鎌倉幕府へのクーデター計画(元弘の変)に主要メンバーの1人として参加します。

 

 

しかし山城國(現在の京都府南部)の笠置山合戦で笠置城落城の際、幕府軍に捕縛されます。翌年、佐々木道誉により鎌倉に護送される途中、幕府の命により近江國柏原で斬首されました。その最期の地が、徳源院より南へ約700m、旧東山道沿道の丸山(標高285m)です。

 

 

現在その地には北畠具行卿墓(国指定史跡)があります。

 

 

道誉は公家である具行のことを忌み嫌っていましたが、死に臨んでの具行の神妙な態度には道誉もいたく感服し、当時道誉の別邸であった清瀧寺に1ケ月ほど逗留させ丁重にもてなしました。

 

 

幕府に対しては再三に渡り助命嘆願しましたが聞き届けられず、その別れを惜しんだと伝わります。

 

 

処刑前日の晩、2人はしばし談笑。

 

 

翌日具行は剃髪(出家)後に処刑されますが、処刑前に道誉に対し、丁重な扱いに感謝の意を述べたとそうです。

 

 

 この時の出来事が、後の鎌倉幕府打倒へ道誉を駆り立てる原動力のひとつとなったのかも知れません。 

 

 

この墓は死後16年を経て建立され、今もなお6月19日の命日には地元の人々によって手厚く供養されています。このような経緯があり、京極家の菩提寺にも北畠具行の墓碑が存在するのです。

 

 

おまけとしてこんなエヒソードをご紹介しましょう。大東亜戦争終結後、皇室ゆかりの遺跡や文化財が次々と国指定の解除を受ける中、こちらは珍しくその地位を守り抜きました。

 

 

その具行の持つ皇室への想いの力(?)の影響か真偽は不明ですが、にわかに埋蔵金伝説が持ち上がったことがあるのです。

 

 

北畠具行卿墓から約10mの地面に、何故かやや窪んだ箇所があります。かつて地元住民の1人が「ここに眠る財宝を掘り当てよ!」という夢のお告げを得て、トンネルを掘った跡なのだそうです。

 

 

しかし残念ながらその方は具行卿の崇り!?か志半ばで亡くなられたそうです。トンネルは放置すると危険であるとのことで埋め戻されたのですが、何度土を補充しても窪んでしまうのだそうで、地元の怪奇話のネタになっています。

 

 

勇気ある方は是非チャレンジを!(>_<)

 

 

今回徳源院の山口光秀住職、御令室には全面的にご協力を賜りました。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

 

 

霊通山 徳源院

滋賀県米原市清滝288番地
TEL.0749-57-0047
入場料:300円
Web:http://tokugenin.maibara.jp/

※写真撮影は本企画にて特別に許可されたものですので予めご了承ください。

 

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湖東平野にハワイの風“Soy+Cafe”

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

今回は秋のお出掛けにピッタリ(?)の“隠れ家ネタ”をお届けしようと存じます(^^)

 

 

家族との外食はいつも「回転寿司」「ラーメン」「うどん」のローテーション(笑)。たまにはちょっと毛色の異なるお店に行ってみよう!ということに・・・。

 

 

で、今回訪れたのは東近江市にございますSoy+Cafe(ソイプラスカフェ)です。

 

 

 

こちらのブログを時折拝見していて、前々から私の脳内監視衛星でチェックしておりました(^^)

 

 

 

東近江市…と一言で申しましても、合併により巨大なエリアと化してしまいましたので説明しにくいですねぇ。

 

 

う~ん…かつての愛知郡湖東町で、最近施設の老朽化と維持費の問題で“南極体験ゾーン”が休止されてしまった「西堀栄三郎記念探検の殿堂」のやや近く…といった感じです。

 

 

特に大きな道沿いにあるワケでもなく、何か目印があるワケでもなし……。

 

 

田舎の集落の中に忽然と現れるハワイの州旗とオープンテラスが特徴の、“知る人ぞ知る”的カフェなのであります。

 

 

Soy+Cafe・・・“大豆”と“カフェ”?いったい何だろうと思ったのですが、現地に赴いて直ぐに解決いたしました。

 

 

このお店の斜め向かいに“ススムトーフ”で有名な垣谷豆腐店があり、こちらと姉妹店なのだとか。

 

 

もちろんただの姉妹店でなく、カフェで出されるフードにはきっちりこちらの豆乳が食材にアレンジされているそうです。

 

 

ちなみにメインのススムトーフもさることながら、垣谷豆腐店の豆乳ドーナツが絶品です。何れも売切れ必至ですので、お求めはお早めにどうぞ。ま、お豆腐屋さんの話題はこれくらいにしておきまして・・・(^^)

 

 

Soy+Cafeはテイクアウトがメインのお店です。もちろんイートインもOK。

 

 

こちらのおススメMenuはロコモコ丼ソイプラスバーガー

 

 

妻はソイプラスバーガーを、私と娘はロコモコ丼を所望いたしました。

 

 

お値段お手頃になかなかのボリューム!

 

 

ハンバーグは約2cmの厚みがあり、なお且つジューシー。

 

 

ふんわり半熟目玉焼きとの相性もバッチリです。

 

 

お天気の良い日にテラスでいただくと、“ハワイアン・ミュージック”も流れていて雰囲気は(周囲の風景とのアンバランスさがある意味)格別です。

 

 

ロコモコ丼、ソイプラスバーガーともに525円とリーズナブル。ロコモコ丼は105円プラスでご飯大盛にも出来ます(その他別料金にてトッピングメニューもあり)。

 

 

また自家焙煎のコーヒーやフルーツ系のドリンクもおススメです。特に私がオーダーしたオレンジジュースの氷が果肉入りのシャーベットになっていたのには驚きました。

 

 

あとこちらのお店では、ボストンテリアとシーズーのミックスの看板犬・モコちゃんがお出迎えしてくれます。

 

 

いや“お出迎え”というよりも“お昼寝”…?

 

 

店長さん曰く、「ほとんどまるまる1日寝ている」のだそうです。

 

 

この“ヤル気なしモード全開”振りですから、“怖がりのお子さん”もノープロブレムです(^^)

 

 

対してこちらは裏(?)看板犬、ペキニーズのまるちゃんです。

 

 

モコちゃんと違い、こちらはたま~のお目見えです。

 

 

理由は・・・ハッスルし過ぎる性格だとか(^^)

 

 

もちろん愛犬を連れての入店も全犬種ノープロブレムなのだそうです(ワンちゃん専用Menuはございませんのでご注意を)。

 

 

駐車スペースが狭い(3~5台程度)のがちょっぴりネック(>_<)

 

 

でも、とてもゆったりとした時間を過ごせますので是非訪れてみてください。

 

 

特にこの時期、周囲の田畑が一面お花畑となりますから、絶対お天気の良い日にGOですよっ!

 

 

追伸 来店前には必ずお店のブログをチェックしましょう。何かいいことあるかも・・・(*^_^*)

 

 

Soy+CAFE (ソイプラスカフェ)

滋賀県東近江市大沢町711-1
TEL:090-6063-9123
★定 休 日/月曜日・火曜日
★営業時間/11:00~17:00(ラストオーダー16:30)
★ブ ロ グ/http://ameblo.jp/soypluscafe/

 

 

 

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湖北“東山道/中山道を往く”(5)~お灸と福助の郷・柏原

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

滋賀県教育委員会文化財保護課主催「ブロガーによる歴史探訪情報発信」企画として、湖北“東山道/中山道”界隈に佇む歴史の魅力を紐解くシリーズ。 

 

 

第5回目は、中山道六十九次の第60番宿場でお灸の代名詞“伊吹もぐさ”と福助発祥の地で知られる柏原(かしわばら)を訪ね歩きます。

 

 

JR東海道線・柏原駅から駅前通りを南へ2分程歩くと、中山道に出ます。

 

 

この周辺約1.5kmの区域に渡って、かつて柏原の宿場町がありました。

 

 

『太平記』には記述があり、中世には既に存在していた古い宿場で、規模は近江國下最大級を誇りました。

 

 

(もぐさ)が特産品であることは全国的にも有名で、最盛期には10軒以上の艾屋があったと言われています。

 

 

艾とはヨモギの葉の裏にある繊毛を精製したもので、お灸に使用されます。

 

 

地元ではお灸のことを“やいと”と呼び、亡き祖母からはイタズラをする度に「やいと据えるでぇ!」とよく叱られたものです。

 

 

もぐさは、5~8月によく生育したヨモギの葉を採集。それを臼でつき、ふるいに掛け、陰干しする工程を繰り返して作られます。

 

 

不純物のない繊毛だけの艾を作るには大変な手間を要するため、とても高価になります。なお高純度な高級品ほど点火しやすく、火力が穏やか。米粒の半分程度のもぐさでも、皮膚の上で直接点火しても、心地よい熱さを感じるという優れモノです。

 

 

柏原には昔ながらの佇まいを今に伝える艾屋、伊吹堂(亀屋佐京商店)があります。

 

 

伊吹山の薬草は平安時代中期に編纂された延喜式(えんぎしき)という文献にも記述があり、また織田信長が薬草植栽を奨励したとも伝えられています。この伊吹山の薬草にはこのような伝説が残っています。

 

 

柏原宿で数ある艾屋の中でも、亀屋佐京の店は群を抜いて高い評判を得ていました。

 

 

品質の高さは勿論でしたが、代々の七兵衛(伊吹屋主人の通称)の巧みな宣伝が伊吹もぐさを有名にしたそうです。

 

 

江戸時代後期の寛政元(1789)年に生まれた佐京は家業を継いで6代目七兵衛となり、毎月沢山の艾を背負って全国各地へ売り歩いていました。

 

 

ある時中山道を売り歩きながら江戸に赴きました。財布の中には結構お金が貯まっていましたので、ついふらふらっと吉原遊郭に足を運びます。佐京はここで「わしは伊吹山の麓の艾屋だが、随分商いで儲けたのでお金をお前さん達に撒いてやろう。その代わりに“江州柏原伊吹山、本家亀屋のきりもぐさ”と謳っておくれ」と頼みました。

 

 

さらに店に帰ってからも街道を往く雲助や馬子達を呼び止め、一杯の酒を振る舞っては宣伝を頼みました。すると誰もがこの歌を口ずさんで歩いたため大きな宣伝効果となり、間もなく伊吹もぐさは天下に知れ渡るまでになったのです。

 

 

またこの伊吹堂には福助という正直一途の番頭がおりました。

 

 

お店の家訓を守り、普段は裃(はかま)を着け扇子を手離しませんでした。

 

 

道往くお客に艾を勧め、どんなに少ない商いでも感謝の心を表し、 おべっかを言わず真心で応え続けました。

 

 

耳たぶが異様に大きなことがトレードマークのこの人物の噂は一躍上方(現在の大阪)でも有名になり、このことを聞きつけた伏見の人形屋が“福を招く縁起物”として番頭・福助の姿を人形にして売り出しました。

 

 

瞬く間に福助人形は大ブレイク!商店の店先に飾られるようになっていったのです。

 

 

この福助人形発祥伝説は各地に残っていますが、それぞれに元祖を主張!

 

 

勿論ここでも柏原宿歴史館にて専用の部屋を仕立てて、“元祖振り”をアピールしています。

 

 

柏原宿歴史館では、その他柏原周辺の歴史と文化や特別天然記念部“ゲンジボタル”についても詳しく展示・紹介されています。さらに喫茶「柏」が併設されており、軽食などがいただけます。ここでは特に艾をイメージした“やいとうどん”がおススメです!

 

 

 旧宿場町界隈では他にも興味深いものがあります。

 

 

これは柏原銀行跡。明治34(1901)年6月に艾屋・山根為蔵によって柏原宿において設立され、昭和18(1943)年6月に滋賀銀行によって買収される42年間に渡り、地域の産業振興に貢献しました。

 

 

後に建物・土地が米原市に寄贈。平成16(2004)年から復元・公開に向けて検討が重ねられ、平成20(2008)年から工事に着工。平成21(2009)年3月に完成して現在に至ります。

 

 

宿場のよすがを良く残していることも去ることながら、昭和の香りもチラホラと垣間見えるのがとても興味深いところ。

 

 

木造家屋の軒先にこのような看板が残っているのです。

 

 

歴史的景観・建造物だけでなく、こういった時代の片鱗を垣間見るのもまた一興です。

 

 

その中でも今回の訪問で発見した極めつけのアンノウン・オブジェクト(笑)がコレ!

 

 

どうやらペットフードの自動販売機のようです。

 

 

ただ損傷が激しく、どのようなシステムで販売を行っていたかが皆目見当が付きません。

 

 

情報をお持ちの方は是非ご一報を!

 

 

今回柏原宿歴史館の皆さんには全面的にご協力を賜りました。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

 

 

柏原宿歴史館

滋賀県米原市柏原2101番地
TEL.0749-57-8020
入場料:300円
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)
      祝日の翌日(祝日が土・日曜日の場合は火曜日)
      年末年始(12月27日~1月5日)

※写真撮影は本企画にて特別に許可されたものですので予めご了承ください。

 

 

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知られざる悲劇の羽衣天女“おこぼ”の伝説

「後藤奇壹の湖國浪漫風土記」に、ようこそおいでくださいました<(_ _)>

 

 

今回は地元の方の記憶も乏しいものになりつつある知られざる悲劇の羽衣天女(はごろもてんにょ)、おこぼについてのお話をいたしたいと存じます。

 

 

皆さん、羽衣伝説という昔ばなしを覚えておられますか?
缶詰のシーチキンのことではありませんよ~念のため(^^)

 

 

羽衣によって天から降りてきた天女。そしてそれに恋する男。そして悲しい別れの結末…おおまかに申し上げるとそのような内容です。

 

 

 

昔ばなしの羽衣伝説で最も有名なのが、静岡県静岡市清水区にあります三保の松原(みほのまつばら)。

 

 

 

また文献に残されている羽衣伝説は2つ。『近江國風土記(おうみのくにふどき)』に記載されている滋賀県長浜市にある余呉湖(よごこ)と、『丹後國風土記(たんごのくにふどき)』に記載されている京都府京丹後市にある磯砂山(いさなごさん)です。

 

 

 

実は一般的に知られている「男と結婚し子供を儲けるが、後に羽衣を見つけて天に帰ってしまう」というストーリーは、滋賀の余呉湖に伝わるお話がベースとなっているのです。

 

 

本来ならその有名どころを持ってくるのですが、これはまた後日ご紹介いたします。ちなみに天女の写真やイラストを探していたのですが・・・現代の天女のイメージはこんな感じなんですね(苦笑)。

 

 

では本題に戻ります。

 

 

今から約千年前、愛知川(えちがわ)のほとりに小椋郷(おぐらごう/現在の東近江市小倉町付近と想定)と呼ばれるところがありました。

 

 

陰暦の7月6日(現在の8月上旬)のこと。この郷の領主であった鯰江犀之介友貞(なまずえさいのすけともさだ)は近くの池へ魚釣りに出掛けました。

 

 

すると池では何とも美しい女が水浴していて、傍らの松の枝には薄物の衣が掛けられ芳香を放っているではないですか。友貞はその女に声を掛けましたが、女は黙ったまま返事をしません。友貞はこの美しい女の姿に酔い、どうしてもこらえ切れなくて、何と衣を奪って帰ってしまいます。

 

 

女は衣を返してくれるよう泣いて訴えますが、友貞は「知らぬ存ぜぬ」を通し続け、返そうとはしませんでした。

 

 

 

それから程なくして女は友貞の妻となり、おこぼと呼ばれるようになりました。「衣を返せば逃げるかもしれない」と考えた友貞は、衣を隠したままにしていました。

 

 

7年の歳月が流れ、二人の間に6人の子供が出来ました。末の子の乳母は衣の隠し場所を知っていました。7年も経っているというのに夫に隠れてすすり泣く哀れなおこぼの姿を見る度に、乳母の胸は痛みます。

 

 

ねんねんころり、ねんころり

熟寝(うまい)する子は賢(さか)しい子

賢しい子にはお宝あげる

お宝屋根の破風(はふ)のなか

 

 

乳母は子守唄に歌い込んで衣のありかを教えました。

 

 

当時この地方では結婚して7年目の七夕の夜に、親類縁者を招いて酒宴を張る習慣がありました。友貞も習慣通り酒宴を開き、容色の衰えぬ妻をかたわらにして幸福の絶頂にありました。しかし突然、妻は鈴を振るような美しい声で歌を詠みました。

 

 

かりそめに なきしふすまの 七とせに 妹のかたみの たねおばのこす

 

 

友貞はハッとして傍らを振り返ると、何といままでそこにいた妻の姿がありません。妻は天の川を背に衣をまとい、中空に舞っているではありませんか。

 

 

「やっぱり天女だったのか」・・・友貞と6人の子ども達の嘆きは、居並ぶ人たちの涙を誘いました。

 

 

おこぼが水浴していたこの池は、それ以来誰言うことなくおこぼと呼ばれるようになりました。

 

 

おこぼ池は現在の東近江市妹(いもと)町の田園地帯にありました。

 

 

しかし残念ながら昭和50年代に実施された土地改良に伴う圃場整備で埋め立てられてしまい、当時の面影はありません。

 

 

また出自の時期は不明ですが、藤原氏の流れを汲む鯰江(なまずえ)は古くからこの地域一帯を支配していたと言われています。

 

 

室町時代には現在の東近江市なまず江町に鯰江城を築き、近江源氏で南近江の守護大名である六角氏と縁戚・主従関係になります。

 

 

しかし後に佐久間盛政・蒲生賢秀・丹羽長秀・柴田勝家を中心とする織田信長の軍勢に攻められ落城。一族は各地に分散し、没落しました。

 

 

この事実が「おこぼの約500年を掛けての怨念」が成せる業であったとは、余り考えたくないですね(>_<)

 

 

今回の記事編集に情報をご提供いただきました東近江観光協会の西さん、この場を借りまして厚く御礼申し上げます。

 

 

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